A riverside of the night
「おや。リディアは出掛けないのかい?」
お茶を飲みに一階へ降りていったリディアを見ると、暖炉の傍で本を読んでいた父親は、少し驚いたように顔を上げた。
「先ほどエドガーが出かけて行ったよ。てっきりおまえも一緒だと思っていたのだが」
「あたしは今まで一度だって隊商のお祭りになんか行ってないじゃない」
「いや、そうだがね。エドガーがおまえと一緒に行きたいようなことを言っていたものでね」
けれどそう言うエドガーは、他の女の子と出掛けてしまったのだ。今頃きっと、リディアのことなんて忘れて楽しんでいるに違いない。
むかむかとしながら、リディアは紅茶を飲んだ。ニコも出掛けてしまっているし、何だかつまらない。
「あたしの分まで、エドガーは楽しんでるわよ、きっと」
そう言いながらも、リディアは気づいていた。夕飯を食べている時も、その後も。エドガーが何度も祭りに誘う素振りを見せていたことは。その度にリディアは父親に話しかけたり、話を逸らしたり、自分の部屋に駆け込んでしまったりと、エドガーを避けていたのだ。
今更ながらに、それを少し残念に思うだなんてどうかしている。
エドガーと一緒に出掛けたって、またメアリーのような女の子に恨まれるだけだ。そうわかっているのに、素直に誘われておけば良かっただなんて思ってしまうなんて。
今頃エドガーは、メアリーと楽しくダンスでもしているのだろうか。そう思うと、悔しいような腹が立つような、自分でもよくわからない気持ちになってしまう。勝手にすればいいじゃないのと思いながらも、ため息が口からこぼれてしまった。
「行ってきたらどうだい?」
「え?」
「いや、祭りにね。一度ぐらい行ってみたらどうだい。リディアが行けば、エドガーも喜ぶだろう」
すすめてくる父親に、リディアは空になったカップを見つめながら考え込んだ。
エドガーは果たして喜ぶだろうか。ダンスの相手には困らないだろうし。今更のこのこリディアが行ったりすれば、逆に迷惑がるかもしれない。
でも、一度ぐらいは祭りに行ってみたいと思わないわけではない。踊らなくても、隊商の奏でる音楽を聴くだけでも楽しいはずだ。
「それに、帽子が欲しかったんじゃないのかね?」
そう言われれば、リディアの気持ちは一気に傾いてしまう。
あの薔薇飾りのついた帽子。それを思い出すと、とたんにメアリーのことまで思い出してしまい嫌な気分になったが、それでもあの帽子が素敵だったことには変わらない。もう売れてしまっただろうかと思えば、リディアは慌てて椅子から立ち上がっていた。
エドガーに会いに行くわけじゃない。あの帽子を見に行くのだ。
急いで部屋に戻り、ショールを羽織って階段を下りてきたリディアに、父親は金貨を一枚握らせてくれた。これだけで、どんな帽子でも買えてしまうだろう。
「父さま」
びっくりして顔を上げると、父親はいつもと変わらない穏やかな笑みのまま、リディアの背中を押してくれた。
「気に入った帽子があったんだろう。それで買ってきなさい」
「でも、だって」
「おまえももう子供じゃないんだ、いい帽子の一つぐらいあった方がいいだろう」
子供じゃないと言われれば嬉しくなる。けれど獣消しができないうちはまだ子供だとわかっているから、心からは喜べない。
「ありがとう、父さま」
父の頬にキスをしてから、リディアは家を出た。
隊商が滞在する間は、村中が浮き足立っているようだ。リディアの父は買い物にも特に興味が無いが、家族そろって買い物に出向く家も珍しくないだろう。
普段は静かな夜の町も、今日は人で溢れている。隊商が訪れた日はいつもこうだった。とは言っても、リディアはそんな様子を部屋の窓から覗くのが常だったから、普段とは違う光景に少し目を丸くしてしまう。
広場に近づくにつれ、人の数は多くなる。
慣れない人の波に圧倒されてしまいそうになるが、人が多くて良かったとも思う。これなら、エドガーに見つかることもないだろう。隠れなきゃならない理由もないが、できることなら見つかりたくない。エドガー一人ならともかく、絶対その隣にはよその女の子がいるのだろうから。
大きな広場の中央では、楽団が音を奏でている。隊商は楽器と共に旅をする。そうして行く先々の町で歓迎を受け、夜な夜なお祭り騒ぎとなるのだろう。楽しそうな暮らしだが、同時に真似できないわとリディアは思う。のんびりとしたこの村での暮らしが、リディアは気に入っているのだ。
「ねぇ、あたしと踊ってくれるって言ったでしょ!?」
聞こえてきた怒声に、リディアはびくりと身体を震わせた。
振り返ると、一人の女性が若い男性に詰め寄っているところだった。怒鳴り声だと思って驚いてしまったが、どうやら酒を飲んで声が大きくなっただけのことらしい。男性は笑って、女性の手を引いてダンスの輪へと加わっていく。
だれもかれもが楽しんでいる。
羨ましいと思わないわけではなかったが、リディアを誘ってくるような男の人なんてエドガー以外にはいないだろうし、エドガーと踊るだなんて冗談じゃない。それに例え他の男の人が誘ってくれたとしたって、リディアは相手の足を踏んでしまうのがオチだ。とても楽しめるはずがない。
「……別に、あたしは踊りに来たわけじゃないもの」
それなのに、つい目が踊りを楽しむ男女にばかり行ってしまう。
あそこにエドガーもいるのだろう。けれど相手の女の子がだれかなんて知りたくなかったから、リディアはふいっとダンスの輪に背を向けた。
酒が入っている人々の足取りは陽気だ。ぶつからないようにすり抜けながら、リディアは昼間に見た帽子の荷馬車を探した。
広場を半分ほど歩く内に、目当ての荷馬車を見つけることはできたのだが、近くにいるはずの店番が見つからない。きょろきょろと辺りを見回すと、荷馬車の影に座り込み、隊商の若者達が酒瓶を回しているのを見つけた。
休憩中なのだろうか。どうしようかとリディアは少し悩んだが、せっかくここまで来たのだ。せめてあの帽子がまだ売られていないか確認するぐらいいいだろうと思って、彼らに近づいて行った。
「あの、休憩中にごめんなさい。ちょっと帽子を見せてもらいたいんだけど……」
「帽子? 今は店開けてないんだけど」
酒瓶を持ったまま、上目遣いに見上げる男の目の鋭さに、リディアは少し怯んでしまった。
地面には、空の空き瓶が何本も転がっている。瓶に直接口をつけて酒を飲むなんてことは、もちろん父親もエドガーもしないから、それだけでリディアは粗野なイメージを抱いてしまう。話しかけたのは間違いだっただろうか。
けれど鋭い目でまじまじとリディアを見上げていた男は、ゆっくりと立ち上がると、急に人懐っこい笑顔になった。
「なに、そんなに気に入った帽子があったの?」
面白がられているのだろうか。
笑顔を浮かべると、男と言うよりは青年と呼ぶ方がぴったりと来るような気がする。エドガーとそう年は変わらないぐらいだろうか。
「えぇ、あの、ちょっと気になって……」
「いいよ。休憩中なんだけど、せっかく来てくれたんだから出してあげるよ。どんなやつ?」
怖そうだと思ったのは間違いだったのかもしれない。親切な青年に、リディアはほっと息をもらした。
「ピンクの薔薇飾りがついてるやつなんだけど……」
言いながら、リディアは恥ずかしくなってうつむいてしまった。あんな素敵な帽子が似合うような女の子でないことは、リディアが一番よくわかっている。笑われやしないだろうかと不安になったが、青年は「薔薇飾りね」と頷くと、荷馬車の中に入って行った。そして戻ってきた時には、大きな箱を抱えていた。
この箱の中に、あの帽子が入っているのかと思うだけでどきどきした。良かった、まだ売られてはいなかったのだ。
「これに目をつけるとは、いいセンスをしてるねお嬢さん。この薔薇飾りは見事なものだろ?」
「えぇ、すごく素敵だなって」
「今日の昼間も、これを手に取ってた子はたくさんいたよ。まぁその中もだれも、こんな時間に来たりはしなかったけどね」
そう言って青年は笑う。やっぱり、昼間に出直してきた方が良かったのだろうか。
「勇気あるお嬢さんに、ここで売ってあげてもいいんだけどね」
青年は顔を近づけてきた。驚くリディアの耳元に口を寄せてささやく。
「今は休憩中だろ? こっそり売ったのがばれると、お頭に小言を言われるもんでね。できれば、だれにもばれないような場所があればいいんだけど」
お頭という呼び方に、リディアはこっそり笑ってしまった。まるで盗賊のようだと思ったのだ。
「どうかな」
今を逃せば、もうこの帽子は買えないかもしれないと思えば、躊躇う気持ちはなかった。父親だってああ言ってくれたのだ。
「川辺の方に行けば、村の人たちはだれも来ないと思うわ。昼間でもそうだけど、夜ならなおさら来ないはずよ」
「よし。じゃあそこに行こう」
頷くと、青年はさりげなくリディアの手をとった。エドガー以外にそんなことをする人はいなかったから、驚きのあまり耳も尻尾もこれ以上無いほどぴんっと立ってしまった。
「はぐれるといけないからさ」
広場はすごい人だ。村中の半分以上の人たちが集まっているのではないかと思える程だ。
だから青年がそうするのも無理はない。ただそれだけのことなのに、これほど過剰に反応してしまう自分が子供っぽく思えた。きっと他の女の子だったら、手を繋がれたぐらいでここまで驚いたりはしないだろう。エドガーが相手をしているような女の子はとくに。
「楽しんでこいよ」
地面に座り込み、酒を飲んでいた仲間の一人が、にやにやと笑いながら青年に声をかける。その笑い方に、リディアはふと嫌なものを感じた。
「うっせーよ!」
青年は笑いながら言い返す。「行こうか」と言われれば、リディアは頷くしかなかった。
通りを抜ければ、辺りはとたんに静かになる。
広場の喧騒も、もう遠いところにあった。聞こえるのは自分達の足音だけだ。
「その帽子、よく似合うと思うよ」
せっかく話しかけてくれているのに、男の人と話をすることに慣れないリディアは、ありがとうと返すぐらいが精一杯なのだ。
そんなリディアに呆れた様子も見せずに、青年はリディアの全身を一瞥するように眺めた。
「尻尾、可愛いね」
ゆらゆらと動くリディアの尻尾に目を留めて、青年は小さく笑う。
この年にもなって、獣消しをしない少女は珍しいだろう。だからからかわれているのだろうかとも思ったが、青年の様子からはいまいちよくわからなかった。
それよりも、繋がれたままの手の方が気になる。やっと手が離れたのは、村を抜け、川べりについてからのことだった。
「へぇ。確かに人が来そうにない場所だな」
「でしょう?」
頷きながら、リディアはやっと自由になった左手を右手で包み込んだ。嫌だったわけではないが、繋がれた間中心臓が落ち着かなかった。エドガーが相手なら、そんなことはないのだけれど。
「帽子、見てもいい?」
いつもの場所に座り込みながらリディアが言うと、青年は軽く頷き箱を寄越してくれた。
膝の上に置き、そっと蓋を開けたリディアは、昼間見たのと同じ帽子をそこに見つけて、頬が緩むのを感じた。
昼間はゆっくりと見ることができなかったけれど、見れば見るほど素敵だと思わずにはいられない。繊細なレースも、生花と見紛う程の薔薇飾りも。派手すぎず、可愛らしい雰囲気なのもリディアの気に入るところだった。こんな帽子をかぶってみたいと思っていた。
「これ、いくらなの?」
尋ねながらも少し緊張した。さっき父親からもらった金貨があるから大丈夫なはず。
「いい値段だよ。こんだけ見事なレースを使ってるからね」
「だ、大丈夫よ」
「まけてあげようか」
目を輝かせながら青年は言う。持ち合わせが少なそうに見えたのだろうか。
安くしてもらえるのなら、それに越したことはない。こくこくとリディアが頷くと、青年も嬉しそうに口の端を上げた。
「じゃあ、その分を君からもらってもいいよね?」
リディアがその分払うのなら、それはまけることにはならないのではないか。
何を言っているのだろうと目を丸くした瞬間、リディアの視界が回った。違う。押し倒されたのだ。
背中に当たるのは冷たい土の感触だ。妖精達と一緒に昼寝をする時、リディアはたまにねっころがることもある。けれどそれは、お日さまが辺りを照らしている間のことだ。こんな、冷たい土は知らない。
「な、なに……?」
「わかってるんだろ。こんな人気のない所にわざわざ来たぐらいなんだから」
青年はにやりと笑う。嫌な笑い方だ。こんな笑顔を、リディアは身近で見たことがない。父さまだってエドガーだって、こんな笑い方は絶対にしない。リディアを怖がらせるようなことも。
「楽しませてくれたら、あの帽子、タダでやったっていいよ」
「い、いい。いらない! あたし、家に帰…っ」
「何を今更。どうせ前に俺らが来た時だって、だれかとやってんだろ?」
何を言っているのかわからない。
リディアが必死に起き上がろうとしても、青年の身体が重く圧し掛かっていてちっとも動けない。
やっぱり、話しかけるべきじゃなかった。明日まで大人しく待っていれば良かった。
今更そんなことを後悔したって遅かった。男の手がリディアの襟元に伸びる。そうしてリボンを解き、その下のボタンを一つ一つ外していくのがわかると、泣き出したくなった。鼻の奥がツンと痛む。大声で泣いたらだれか気づいてくれるだろうか。そんなわけはない。ここには滅多なことでは人が来ないことなんて、リディアが一番よく知っている。
「……嫌だってば! 放して!」
思い切り蹴飛ばしてやろうとした足は簡単に押さえられてしまう。
遠慮なくスカートをまくられ、膝を押さえつけられれば、我慢しようとしていた涙はついに抑え切れなくてなってしまった。
「静かにしてろよ。このまま何もしないで帰ったりしたら、あいつらに笑われんだろ」
だからこんなひどい真似をするのだろうか?
信じられない。信じたくない。
大声でののしってやりたいのに、喉から出た声は言葉にはならなかった。出てくるのは嗚咽だけで、意味のある言葉になんてならない。
「や、ぁ……」
涙でぼやけて、自分を押し倒している男の顔もろくに見えなくなった。
ひぐっと、喉が妙な音をたてる。草を踏む音が聞こえたのはその瞬間だった。男がさっとリディアから身を離したのも。
「……リディア?」
掠れた声だった。リディアの知っている、いつもリディアを呼ぶ声よりもずっと低い、知らない男の人のような声。
それでも聞きまちがえるはずなんてなかった。嗚咽の止まらない喉では名前を呼ぶことはできなくて、だから心の中だけで返事をした。エドガー、と。
ちっと、舌打ちが聞こえた。涙を拭うと、男が逃げるように走り出すのがわかった。けれどそれよりも、エドガーが男を掴まえる方が早かった。
首根っこを掴んで持ち上げる。まるで子供を相手にしているようだった。信じられないその光景に、リディアは今の状況も忘れて目を見開いた。
「リディアに何をした」
「な、何も。俺は、ただ帽子を……」
「あぁ、帽子で釣って誘い出したのか? 君たち隊商の若い男が、よくその手を使っていることは知ってるよ。行く先々でちょっとした一晩の遊びだ。さぞかし楽しいものだろうね」
まるで友達のように笑いかけながらも、エドガーは男を持ち上げる手を緩めない。それでも苦しそうな様子などは無いのだから、男はさぞ恐ろしく思ったことだろう。その笑顔も含めて。
「君たちがどこで何をしようが、それは僕の知ったことじゃない。どこのお嬢さんを誘い出そうがね」
「そ、そうか。ならこの手を」
「でも、リディアだけは別だ」
エドガーの手が動いた。
男を放すのだろうかと思ったのは一瞬で、男の身体は持ち上げられたままだった。首根っこを掴んでいるわけではない。首をそのまま掴んでいるのだ。
あれでは息ができない。男の顔が赤くなる。暗闇でもわかるほど。なのにエドガーは笑顔を浮かべたままだ。わかっていてそうしているのだ。
「例えば今ここで、僕が君を殺してしまっても、大した騒ぎにはならない。リディアを無理やり襲っていた君を、僕がついうっかり力の加減を間違って殺してしまったとしても、ここの村人は僕を責めたりはしないだろう。君たちが女性を誘い出していることを知っている人は多いしね。それにリディアは簡単に男になびくような女の子じゃない。合意の上だなんてだれも思わない。それに何より―――僕の意見に逆らう村人がいるとは思えない。どうしてだかわかるかい?」
エドガーの手に、ほんの少し力が入る。
それだけで男は、目を剥いたまま動かなくなる。
「僕がリカントロープだから。狼にとって、猫を殺すことなんて簡単なんだ」
「……エドガーっ!」
硬直がとけたリディアは走り出した。
エドガーにぶつかるようにして抱きつく。怖くてたまらない。
「止めて、もう止めて! 放してあげて、死んじゃうわ!」
「……リディア。こいつは、君を」
「止めて! 殺さないで! 止めてお願いだから止めて!」
どさりと、重たい布袋が落ちたような音が聞こえた。
死んでしまったのかと怖くて、リディアはすぐに目を向けることができなかった。けれど荒い呼吸を繰り返した後、男はもつれた足取りで何とか走り去って行った。良かった、生きていると、心底から安心した。エドガーは人殺しにならずに済んだのだ。
「どうしてあんなことしたの!?」
「あいつが君にしようとしたことを思えば当然だ」
エドガーは痛ましそうな顔をしてリディアを見た。そういえば、ボタンが外されたままだった。露になったままの胸元に気づいて、リディアは慌てて服をかきあわせた。
心臓がばくばくと鳴っている。
あの男にされたことも怖かったけれど、今見た光景の方がずっと怖かった。
目の前でエドガーがだれかを殺そうとしただなんて。
「だからって……だからってやりすぎだわ。あなたがあんなことする人だなんて思ってなかったわ!」
「じゃあそれは、君の認識が足りなかったんだ」
目の前にいるのは、本当にエドガーなのだろうか。
冷たくそう言い放つエドガーは、今までの彼とは違って見えた。リボンを尻尾に結んでくれる、優しいエドガーとは絶対的に何かが違った。
「……あなた、変よ」
エドガーはリディアを助けてくれたはずなのに。
おかしい。それなのに、そんなエドガーを怖いと思ってしまうだなんて。
「そうかもね。アイオスロープの君からすれば、今の僕はおかしいのかもしれない」
「何よ、種族とかじゃなくて」
「種族なんだよ」
ゆっくりとエドガーは言う。言い聞かせるように。その様子はどこかさびしげにも見えた。月明かりの下だから、そう見えるのかもしれない。
「僕ら人狼にとって、人を殺すことは当たり前のことだ。自分の物を守るために、僕らは平気で他人に牙を向ける。そういう種族なんだ」
小さく笑ってから、エドガーはリディアの頬に手を伸ばした。
いつもの仕草。理由もなくエドガーはリディアに触れる。リディアだって、その触れ合いを受け入れてきた。
けれど今は無理だった。人を殺そうとした手で触られることに耐えられなかった。
払いのけてしまった手を、エドガーはどう思っただろうか。
「……君を守りたかっただけだよ」
出会ってから、いつだってエドガーはリディアを守ってくれた。
それでも今は、その手を、リディアはただ恐ろしいとしか思えなかった。
お茶を飲みに一階へ降りていったリディアを見ると、暖炉の傍で本を読んでいた父親は、少し驚いたように顔を上げた。
「先ほどエドガーが出かけて行ったよ。てっきりおまえも一緒だと思っていたのだが」
「あたしは今まで一度だって隊商のお祭りになんか行ってないじゃない」
「いや、そうだがね。エドガーがおまえと一緒に行きたいようなことを言っていたものでね」
けれどそう言うエドガーは、他の女の子と出掛けてしまったのだ。今頃きっと、リディアのことなんて忘れて楽しんでいるに違いない。
むかむかとしながら、リディアは紅茶を飲んだ。ニコも出掛けてしまっているし、何だかつまらない。
「あたしの分まで、エドガーは楽しんでるわよ、きっと」
そう言いながらも、リディアは気づいていた。夕飯を食べている時も、その後も。エドガーが何度も祭りに誘う素振りを見せていたことは。その度にリディアは父親に話しかけたり、話を逸らしたり、自分の部屋に駆け込んでしまったりと、エドガーを避けていたのだ。
今更ながらに、それを少し残念に思うだなんてどうかしている。
エドガーと一緒に出掛けたって、またメアリーのような女の子に恨まれるだけだ。そうわかっているのに、素直に誘われておけば良かっただなんて思ってしまうなんて。
今頃エドガーは、メアリーと楽しくダンスでもしているのだろうか。そう思うと、悔しいような腹が立つような、自分でもよくわからない気持ちになってしまう。勝手にすればいいじゃないのと思いながらも、ため息が口からこぼれてしまった。
「行ってきたらどうだい?」
「え?」
「いや、祭りにね。一度ぐらい行ってみたらどうだい。リディアが行けば、エドガーも喜ぶだろう」
すすめてくる父親に、リディアは空になったカップを見つめながら考え込んだ。
エドガーは果たして喜ぶだろうか。ダンスの相手には困らないだろうし。今更のこのこリディアが行ったりすれば、逆に迷惑がるかもしれない。
でも、一度ぐらいは祭りに行ってみたいと思わないわけではない。踊らなくても、隊商の奏でる音楽を聴くだけでも楽しいはずだ。
「それに、帽子が欲しかったんじゃないのかね?」
そう言われれば、リディアの気持ちは一気に傾いてしまう。
あの薔薇飾りのついた帽子。それを思い出すと、とたんにメアリーのことまで思い出してしまい嫌な気分になったが、それでもあの帽子が素敵だったことには変わらない。もう売れてしまっただろうかと思えば、リディアは慌てて椅子から立ち上がっていた。
エドガーに会いに行くわけじゃない。あの帽子を見に行くのだ。
急いで部屋に戻り、ショールを羽織って階段を下りてきたリディアに、父親は金貨を一枚握らせてくれた。これだけで、どんな帽子でも買えてしまうだろう。
「父さま」
びっくりして顔を上げると、父親はいつもと変わらない穏やかな笑みのまま、リディアの背中を押してくれた。
「気に入った帽子があったんだろう。それで買ってきなさい」
「でも、だって」
「おまえももう子供じゃないんだ、いい帽子の一つぐらいあった方がいいだろう」
子供じゃないと言われれば嬉しくなる。けれど獣消しができないうちはまだ子供だとわかっているから、心からは喜べない。
「ありがとう、父さま」
父の頬にキスをしてから、リディアは家を出た。
隊商が滞在する間は、村中が浮き足立っているようだ。リディアの父は買い物にも特に興味が無いが、家族そろって買い物に出向く家も珍しくないだろう。
普段は静かな夜の町も、今日は人で溢れている。隊商が訪れた日はいつもこうだった。とは言っても、リディアはそんな様子を部屋の窓から覗くのが常だったから、普段とは違う光景に少し目を丸くしてしまう。
広場に近づくにつれ、人の数は多くなる。
慣れない人の波に圧倒されてしまいそうになるが、人が多くて良かったとも思う。これなら、エドガーに見つかることもないだろう。隠れなきゃならない理由もないが、できることなら見つかりたくない。エドガー一人ならともかく、絶対その隣にはよその女の子がいるのだろうから。
大きな広場の中央では、楽団が音を奏でている。隊商は楽器と共に旅をする。そうして行く先々の町で歓迎を受け、夜な夜なお祭り騒ぎとなるのだろう。楽しそうな暮らしだが、同時に真似できないわとリディアは思う。のんびりとしたこの村での暮らしが、リディアは気に入っているのだ。
「ねぇ、あたしと踊ってくれるって言ったでしょ!?」
聞こえてきた怒声に、リディアはびくりと身体を震わせた。
振り返ると、一人の女性が若い男性に詰め寄っているところだった。怒鳴り声だと思って驚いてしまったが、どうやら酒を飲んで声が大きくなっただけのことらしい。男性は笑って、女性の手を引いてダンスの輪へと加わっていく。
だれもかれもが楽しんでいる。
羨ましいと思わないわけではなかったが、リディアを誘ってくるような男の人なんてエドガー以外にはいないだろうし、エドガーと踊るだなんて冗談じゃない。それに例え他の男の人が誘ってくれたとしたって、リディアは相手の足を踏んでしまうのがオチだ。とても楽しめるはずがない。
「……別に、あたしは踊りに来たわけじゃないもの」
それなのに、つい目が踊りを楽しむ男女にばかり行ってしまう。
あそこにエドガーもいるのだろう。けれど相手の女の子がだれかなんて知りたくなかったから、リディアはふいっとダンスの輪に背を向けた。
酒が入っている人々の足取りは陽気だ。ぶつからないようにすり抜けながら、リディアは昼間に見た帽子の荷馬車を探した。
広場を半分ほど歩く内に、目当ての荷馬車を見つけることはできたのだが、近くにいるはずの店番が見つからない。きょろきょろと辺りを見回すと、荷馬車の影に座り込み、隊商の若者達が酒瓶を回しているのを見つけた。
休憩中なのだろうか。どうしようかとリディアは少し悩んだが、せっかくここまで来たのだ。せめてあの帽子がまだ売られていないか確認するぐらいいいだろうと思って、彼らに近づいて行った。
「あの、休憩中にごめんなさい。ちょっと帽子を見せてもらいたいんだけど……」
「帽子? 今は店開けてないんだけど」
酒瓶を持ったまま、上目遣いに見上げる男の目の鋭さに、リディアは少し怯んでしまった。
地面には、空の空き瓶が何本も転がっている。瓶に直接口をつけて酒を飲むなんてことは、もちろん父親もエドガーもしないから、それだけでリディアは粗野なイメージを抱いてしまう。話しかけたのは間違いだっただろうか。
けれど鋭い目でまじまじとリディアを見上げていた男は、ゆっくりと立ち上がると、急に人懐っこい笑顔になった。
「なに、そんなに気に入った帽子があったの?」
面白がられているのだろうか。
笑顔を浮かべると、男と言うよりは青年と呼ぶ方がぴったりと来るような気がする。エドガーとそう年は変わらないぐらいだろうか。
「えぇ、あの、ちょっと気になって……」
「いいよ。休憩中なんだけど、せっかく来てくれたんだから出してあげるよ。どんなやつ?」
怖そうだと思ったのは間違いだったのかもしれない。親切な青年に、リディアはほっと息をもらした。
「ピンクの薔薇飾りがついてるやつなんだけど……」
言いながら、リディアは恥ずかしくなってうつむいてしまった。あんな素敵な帽子が似合うような女の子でないことは、リディアが一番よくわかっている。笑われやしないだろうかと不安になったが、青年は「薔薇飾りね」と頷くと、荷馬車の中に入って行った。そして戻ってきた時には、大きな箱を抱えていた。
この箱の中に、あの帽子が入っているのかと思うだけでどきどきした。良かった、まだ売られてはいなかったのだ。
「これに目をつけるとは、いいセンスをしてるねお嬢さん。この薔薇飾りは見事なものだろ?」
「えぇ、すごく素敵だなって」
「今日の昼間も、これを手に取ってた子はたくさんいたよ。まぁその中もだれも、こんな時間に来たりはしなかったけどね」
そう言って青年は笑う。やっぱり、昼間に出直してきた方が良かったのだろうか。
「勇気あるお嬢さんに、ここで売ってあげてもいいんだけどね」
青年は顔を近づけてきた。驚くリディアの耳元に口を寄せてささやく。
「今は休憩中だろ? こっそり売ったのがばれると、お頭に小言を言われるもんでね。できれば、だれにもばれないような場所があればいいんだけど」
お頭という呼び方に、リディアはこっそり笑ってしまった。まるで盗賊のようだと思ったのだ。
「どうかな」
今を逃せば、もうこの帽子は買えないかもしれないと思えば、躊躇う気持ちはなかった。父親だってああ言ってくれたのだ。
「川辺の方に行けば、村の人たちはだれも来ないと思うわ。昼間でもそうだけど、夜ならなおさら来ないはずよ」
「よし。じゃあそこに行こう」
頷くと、青年はさりげなくリディアの手をとった。エドガー以外にそんなことをする人はいなかったから、驚きのあまり耳も尻尾もこれ以上無いほどぴんっと立ってしまった。
「はぐれるといけないからさ」
広場はすごい人だ。村中の半分以上の人たちが集まっているのではないかと思える程だ。
だから青年がそうするのも無理はない。ただそれだけのことなのに、これほど過剰に反応してしまう自分が子供っぽく思えた。きっと他の女の子だったら、手を繋がれたぐらいでここまで驚いたりはしないだろう。エドガーが相手をしているような女の子はとくに。
「楽しんでこいよ」
地面に座り込み、酒を飲んでいた仲間の一人が、にやにやと笑いながら青年に声をかける。その笑い方に、リディアはふと嫌なものを感じた。
「うっせーよ!」
青年は笑いながら言い返す。「行こうか」と言われれば、リディアは頷くしかなかった。
通りを抜ければ、辺りはとたんに静かになる。
広場の喧騒も、もう遠いところにあった。聞こえるのは自分達の足音だけだ。
「その帽子、よく似合うと思うよ」
せっかく話しかけてくれているのに、男の人と話をすることに慣れないリディアは、ありがとうと返すぐらいが精一杯なのだ。
そんなリディアに呆れた様子も見せずに、青年はリディアの全身を一瞥するように眺めた。
「尻尾、可愛いね」
ゆらゆらと動くリディアの尻尾に目を留めて、青年は小さく笑う。
この年にもなって、獣消しをしない少女は珍しいだろう。だからからかわれているのだろうかとも思ったが、青年の様子からはいまいちよくわからなかった。
それよりも、繋がれたままの手の方が気になる。やっと手が離れたのは、村を抜け、川べりについてからのことだった。
「へぇ。確かに人が来そうにない場所だな」
「でしょう?」
頷きながら、リディアはやっと自由になった左手を右手で包み込んだ。嫌だったわけではないが、繋がれた間中心臓が落ち着かなかった。エドガーが相手なら、そんなことはないのだけれど。
「帽子、見てもいい?」
いつもの場所に座り込みながらリディアが言うと、青年は軽く頷き箱を寄越してくれた。
膝の上に置き、そっと蓋を開けたリディアは、昼間見たのと同じ帽子をそこに見つけて、頬が緩むのを感じた。
昼間はゆっくりと見ることができなかったけれど、見れば見るほど素敵だと思わずにはいられない。繊細なレースも、生花と見紛う程の薔薇飾りも。派手すぎず、可愛らしい雰囲気なのもリディアの気に入るところだった。こんな帽子をかぶってみたいと思っていた。
「これ、いくらなの?」
尋ねながらも少し緊張した。さっき父親からもらった金貨があるから大丈夫なはず。
「いい値段だよ。こんだけ見事なレースを使ってるからね」
「だ、大丈夫よ」
「まけてあげようか」
目を輝かせながら青年は言う。持ち合わせが少なそうに見えたのだろうか。
安くしてもらえるのなら、それに越したことはない。こくこくとリディアが頷くと、青年も嬉しそうに口の端を上げた。
「じゃあ、その分を君からもらってもいいよね?」
リディアがその分払うのなら、それはまけることにはならないのではないか。
何を言っているのだろうと目を丸くした瞬間、リディアの視界が回った。違う。押し倒されたのだ。
背中に当たるのは冷たい土の感触だ。妖精達と一緒に昼寝をする時、リディアはたまにねっころがることもある。けれどそれは、お日さまが辺りを照らしている間のことだ。こんな、冷たい土は知らない。
「な、なに……?」
「わかってるんだろ。こんな人気のない所にわざわざ来たぐらいなんだから」
青年はにやりと笑う。嫌な笑い方だ。こんな笑顔を、リディアは身近で見たことがない。父さまだってエドガーだって、こんな笑い方は絶対にしない。リディアを怖がらせるようなことも。
「楽しませてくれたら、あの帽子、タダでやったっていいよ」
「い、いい。いらない! あたし、家に帰…っ」
「何を今更。どうせ前に俺らが来た時だって、だれかとやってんだろ?」
何を言っているのかわからない。
リディアが必死に起き上がろうとしても、青年の身体が重く圧し掛かっていてちっとも動けない。
やっぱり、話しかけるべきじゃなかった。明日まで大人しく待っていれば良かった。
今更そんなことを後悔したって遅かった。男の手がリディアの襟元に伸びる。そうしてリボンを解き、その下のボタンを一つ一つ外していくのがわかると、泣き出したくなった。鼻の奥がツンと痛む。大声で泣いたらだれか気づいてくれるだろうか。そんなわけはない。ここには滅多なことでは人が来ないことなんて、リディアが一番よく知っている。
「……嫌だってば! 放して!」
思い切り蹴飛ばしてやろうとした足は簡単に押さえられてしまう。
遠慮なくスカートをまくられ、膝を押さえつけられれば、我慢しようとしていた涙はついに抑え切れなくてなってしまった。
「静かにしてろよ。このまま何もしないで帰ったりしたら、あいつらに笑われんだろ」
だからこんなひどい真似をするのだろうか?
信じられない。信じたくない。
大声でののしってやりたいのに、喉から出た声は言葉にはならなかった。出てくるのは嗚咽だけで、意味のある言葉になんてならない。
「や、ぁ……」
涙でぼやけて、自分を押し倒している男の顔もろくに見えなくなった。
ひぐっと、喉が妙な音をたてる。草を踏む音が聞こえたのはその瞬間だった。男がさっとリディアから身を離したのも。
「……リディア?」
掠れた声だった。リディアの知っている、いつもリディアを呼ぶ声よりもずっと低い、知らない男の人のような声。
それでも聞きまちがえるはずなんてなかった。嗚咽の止まらない喉では名前を呼ぶことはできなくて、だから心の中だけで返事をした。エドガー、と。
ちっと、舌打ちが聞こえた。涙を拭うと、男が逃げるように走り出すのがわかった。けれどそれよりも、エドガーが男を掴まえる方が早かった。
首根っこを掴んで持ち上げる。まるで子供を相手にしているようだった。信じられないその光景に、リディアは今の状況も忘れて目を見開いた。
「リディアに何をした」
「な、何も。俺は、ただ帽子を……」
「あぁ、帽子で釣って誘い出したのか? 君たち隊商の若い男が、よくその手を使っていることは知ってるよ。行く先々でちょっとした一晩の遊びだ。さぞかし楽しいものだろうね」
まるで友達のように笑いかけながらも、エドガーは男を持ち上げる手を緩めない。それでも苦しそうな様子などは無いのだから、男はさぞ恐ろしく思ったことだろう。その笑顔も含めて。
「君たちがどこで何をしようが、それは僕の知ったことじゃない。どこのお嬢さんを誘い出そうがね」
「そ、そうか。ならこの手を」
「でも、リディアだけは別だ」
エドガーの手が動いた。
男を放すのだろうかと思ったのは一瞬で、男の身体は持ち上げられたままだった。首根っこを掴んでいるわけではない。首をそのまま掴んでいるのだ。
あれでは息ができない。男の顔が赤くなる。暗闇でもわかるほど。なのにエドガーは笑顔を浮かべたままだ。わかっていてそうしているのだ。
「例えば今ここで、僕が君を殺してしまっても、大した騒ぎにはならない。リディアを無理やり襲っていた君を、僕がついうっかり力の加減を間違って殺してしまったとしても、ここの村人は僕を責めたりはしないだろう。君たちが女性を誘い出していることを知っている人は多いしね。それにリディアは簡単に男になびくような女の子じゃない。合意の上だなんてだれも思わない。それに何より―――僕の意見に逆らう村人がいるとは思えない。どうしてだかわかるかい?」
エドガーの手に、ほんの少し力が入る。
それだけで男は、目を剥いたまま動かなくなる。
「僕がリカントロープだから。狼にとって、猫を殺すことなんて簡単なんだ」
「……エドガーっ!」
硬直がとけたリディアは走り出した。
エドガーにぶつかるようにして抱きつく。怖くてたまらない。
「止めて、もう止めて! 放してあげて、死んじゃうわ!」
「……リディア。こいつは、君を」
「止めて! 殺さないで! 止めてお願いだから止めて!」
どさりと、重たい布袋が落ちたような音が聞こえた。
死んでしまったのかと怖くて、リディアはすぐに目を向けることができなかった。けれど荒い呼吸を繰り返した後、男はもつれた足取りで何とか走り去って行った。良かった、生きていると、心底から安心した。エドガーは人殺しにならずに済んだのだ。
「どうしてあんなことしたの!?」
「あいつが君にしようとしたことを思えば当然だ」
エドガーは痛ましそうな顔をしてリディアを見た。そういえば、ボタンが外されたままだった。露になったままの胸元に気づいて、リディアは慌てて服をかきあわせた。
心臓がばくばくと鳴っている。
あの男にされたことも怖かったけれど、今見た光景の方がずっと怖かった。
目の前でエドガーがだれかを殺そうとしただなんて。
「だからって……だからってやりすぎだわ。あなたがあんなことする人だなんて思ってなかったわ!」
「じゃあそれは、君の認識が足りなかったんだ」
目の前にいるのは、本当にエドガーなのだろうか。
冷たくそう言い放つエドガーは、今までの彼とは違って見えた。リボンを尻尾に結んでくれる、優しいエドガーとは絶対的に何かが違った。
「……あなた、変よ」
エドガーはリディアを助けてくれたはずなのに。
おかしい。それなのに、そんなエドガーを怖いと思ってしまうだなんて。
「そうかもね。アイオスロープの君からすれば、今の僕はおかしいのかもしれない」
「何よ、種族とかじゃなくて」
「種族なんだよ」
ゆっくりとエドガーは言う。言い聞かせるように。その様子はどこかさびしげにも見えた。月明かりの下だから、そう見えるのかもしれない。
「僕ら人狼にとって、人を殺すことは当たり前のことだ。自分の物を守るために、僕らは平気で他人に牙を向ける。そういう種族なんだ」
小さく笑ってから、エドガーはリディアの頬に手を伸ばした。
いつもの仕草。理由もなくエドガーはリディアに触れる。リディアだって、その触れ合いを受け入れてきた。
けれど今は無理だった。人を殺そうとした手で触られることに耐えられなかった。
払いのけてしまった手を、エドガーはどう思っただろうか。
「……君を守りたかっただけだよ」
出会ってから、いつだってエドガーはリディアを守ってくれた。
それでも今は、その手を、リディアはただ恐ろしいとしか思えなかった。
***
後半急にシリアスちっくになりました。
この種族の違いを軸にした話になるつもりです。
でも次は二人の出会い話とかにしようかな。
(08.9.26)
後半急にシリアスちっくになりました。
この種族の違いを軸にした話になるつもりです。
でも次は二人の出会い話とかにしようかな。
(08.9.26)