猫と狼とお祭りと


アニークシ、と、その祭りは呼ばれていた。
毎年春先に行われる、村の若い男女のためのお祭りだった。
昔は、未婚の男女が親しくするなんてことは、ありえないことだったらしい。そんな彼らの出会いの場となっていたのが、このアニークシだと父はいつか語ってくれた。春先に行われる、その一晩の祭りの間だけは、未婚の男女は好きに手を取ることができるのだと。
そうして、結婚相手を見つけるのだ。
「父さまも、アニークシで母さまと結婚することにしたの?」
そう尋ねたリディアに、父は苦笑して見せた。
「父さま達が結婚するよりも、ずっと前の話だよ。そうだね……父さまの父さまの、そのまた父さま達ぐらいの時代かな」
「父さまの父さまの父さま……」
昔の話すぎて、リディアにはさっぱりわからなかった。想像することもできない。
ぱちぱちと瞬きをするリディアの頭を、父はゆっくりと撫でてくれた。その手が頭から生えた耳にあたり、ぴくぴくっと小さく動く。耳も尻尾も、獣人にとっては特に敏感な場所なのだ。
「まあ今は、昔とは違った意味合いの祭りになってしまっているがね」
父はそれきり何も語らなかったが、その意味はリディアにもわかっていた。
未婚の男女が、結婚相手を見つけるための祭りだったのは、もう昔のこと。今のアニークシは、恋人同士が楽しむための、そんな祭りだった。
子供は参加することができないその祭りに、憧れている女の子達は多かった。村のほとんどの女の子がそうだと言ってもいいぐらいだ。もう祭りに参加している、年上の女の子からアニークシの話を聞けば、きゃあきゃあと嬉しげな声を上げる。
田舎の村だから、祭りと言っても、篝火を囲みながら踊り、そうして多少の果物やお菓子を食べるだけの簡素なものだったが、それでもアニークシに参加できるのは大人の証だったから、そんな大人のお祭りに女の子達は憧れずにはいられないのだ。
もうすぐ冬が明けようとしている。
また、アニークシがやって来る季節になる。
「洋品店が賑やかになるわね」
ベッドから抜け出し、カーテンを開けながら、リディアはそう呟いた。朝晩はまだ冷え込む日が続いていたが、それも少しずつ楽になっている。
アニークシに合わせて、洋服を新調するのはごく一部の女の子達だけだった。大抵の子は、服を新調するだけのお金はないから、洋品店で布の端切れを買ってきて、エプロンを作るのだ。レースの飾りを付けたエプロンはなかなかに可愛くて、通りすがりの女の子をつい目で追ってしまったことは一度や二度ではない。
多少お金の余っている子は、髪や尻尾を縛るリボンを買う。そうしてキレイに装って、恋人と手を取り合って祭りに参加するのだ。
だから冬が明ける頃になると、洋品店はとたんに混みだす。年頃の女の子ばかりか、まだ子供と呼べる少女達まで、せめて気分だけでも味わいたいとばかりにエプロンを作ろうとするのだから、洋品店は毎日大賑わいだった。
けれどそんなことは、リディアには関係のないことだった。
頭の上に生えているクリーム色の耳と、そして尻尾。この二つを消し、人間のフリをすることができない―――獣消しのできないリディアは、大人だとは見なされない。祭りには参加できないのだ。
例え獣消しができたとしたって、この村にリディアを誘ってくれる男の子がいるとは到底考えられない。だからどうせ同じことだとは思っている。それでも、やっぱり、多少は落ち込んでしまうのは事実だったけれど。
「……やんなっちゃう」
今年も、憂鬱な季節が巡ってくる。
そんな気分を捨て去るように、リディアはえいっと夜着を脱ぎ捨てた。素肌が冷たい空気に触れ、ぶるっと震える。早く暖炉に火の灯った、温かい部屋に行きたい。手早く洋服を着てから、リディアはドアを開けた。


リディアが生まれた時から暮らしているこの村は、獣人界の中でも片田舎にあった。
とは言っても、生まれてから一度もこの村から出たことのないリディアにとっては、田舎だの都会だのと言われてもいまいちぴんと来ない。それでも、まだ見ぬ人間界には興味が尽きないから、一日も早く行ってみたいと思うのだ。
小さな村だから、村人はみな似たり寄ったりな生活をしている。カールトン家は、その中でも名士と呼ばれる家ではあったが、かと言ってその暮らしぶりが特別裕福なわけではなかった。
他の村人と唯一変わっている点といえば、それはリカントロープの居候がいることだろう。
「おはよう、リディア。朝食ならもうできてるよ」
スープの入った鍋をかき回しているのは、金髪に珍しい灰紫の目をした一人の青年だ。獣消しをした姿は、ただの人間にしか見えないから、猫族の暮らすこの村に住んでいる彼が、まさか獰猛な人狼だと思う者はいないだろう。
リディアだって、正体を知らされずにエドガーと出会ったら、リカントロープだとは気づかなかっただろう。もっとも出会ってすぐに、リディアをいじめていた男の子達を簡単にぶちのめした彼だから、気づくのは時間の問題だったかもしれないが。
「おはよう。……あら、父さまは?」
食卓には、父の姿も、それにニコの姿も無い。きょろきょろと辺りを見回すリディアに、鍋をかきまぜ続けながら、エドガーは小さく微笑んだ。
「教授なら、もう仕事に出かけたよ。ニコはどこに行ったのか知らないけど……今日はちょっとお寝坊さんだったね」
そうエドガーに言われて初めて、リディアは自分が寝坊をしたことに気づいた。
冬になるといつもこうだ。なかなかベッドから抜け出せなくて、一人だけ朝食の時間に遅れてしまう。
「……起こしてくれれば良かったのに」
一人寝坊をした気まずさで、ついそんなことを言ってしまう。小さな子供じゃないのに。こんなことだから、いつまで経っても獣消しができるようにならないのだろうか。
「まだ寒い日が続くからね、仕方ないよ。リディアは寒がりだし」
「あなたが暑がりすぎるのよ」
エドガーが寒がっているところを、冗談抜きに今までリディアは一度も見たことがないと思う。リディアがぶるぶる身体を震わせている時でさえ、エドガーは「ちょっと肌寒いかな」なんて言っているのだ。信じられない、とリディアは思う。
「アイオスロープは、みんな寒がりだよね」
種族の差、なのだろうか。それなら、少しリカントロープが羨ましくなる。寒い朝だってさぞかし快適に目覚めることができるのだろう。
エドガーが、器を二つ取り出しスープをよそっていた。てっきり自分の分だけだと思っていたから、リディアは首を傾げる。
「朝食、まだ食べてなかったの?」
「うん。リディアと一緒に食べようと思ってたから」
いつ起きてくるかもわからない自分を、わざわざ待ってくれていたのだと知って、リディアは思わず眉を寄せてしまう。
「待っててくれなくていいのに。父さま達と一緒に食べれば良かったじゃない」
「リディアと一緒に食べたかったんだ。それに、そこまでお腹は減ってなかったし」
「毎日一緒に食べてるんだから、一食ぐらい一緒に食べれなくたって何も変わらないでしょ」
「ものすごく変わるよ。リディアの顔を見ながらじゃないと美味しく感じない」
大げさにも程がある。
けれどそんな台詞を、エドガーはこれ以上無いほど真剣な顔で言うものだから、もう何年も一緒に暮らしているリディアでさえ、それが冗談なのか本気なのかわからなくなってしまうのだ。
熱い眼差しで見つめられれば、頭の芯がくらくらとするような。
この村には、そうやってリディアを見つめる男の人なんか他にいないから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
リディアを可愛いと言ってくれるのは、エドガーだけだ。
「もう、そんなことばっかり言って」
わざと怒ったように言って、リディアは椅子に腰掛けた。
待っていてくれるのは嬉しいし、一人で食べる食事が味気ないことは知っている。でも何だか、エドガーが必要以上に自分を甘やかしているように感じられて、それに少しイライラしてしまうのだ。それこそ、小さな子供のように思われているようで。
「仕方ないだろ? いつだってリディアと一緒にいたいんだから。それに、リディアを見てると飽きないし」
一緒にいたいはともかく、見ていると飽きないってなに。
「あたしはあなたのオモチャじゃないの!」
噛み付くようにして怒鳴ると、エドガーはおかしそうに笑った。
喧嘩をしても勝てないことなんてわかりきっているから、なおさら腹が立つ。
ジャムをめいっぱいパンに塗りたくってから、かぶりついてやった。エドガーが人間界で買ってきた、特別美味しいジャムだ。無くなったら、またエドガーに買いに行かせてやる。
「そんな怒らないでよ、リディア」
「別に、怒ってないけど」
「しっぽ毛羽立ってるよ」
あぁもう。だから早く、獣消しができるようになりたいのに。
耳もしっぽも素直すぎる。耳なんてとくに、意識して動かすこともできないから厄介だ。
もぞもぞと動いて、しっぽをスカートで隠す。いまさら無駄なような気はしたけれど、そうせずにはいられなかった。だってまだ当分、尻尾は毛羽立ったままだと思うから。
「これは、静電気なの!」
むかむかとしたままそう叫ぶと、エドガーはますます盛大に笑い出した。あんまりにも笑うものだから、リディアは机の下の足をえいっと蹴飛ばしてやった。けれど全然堪えた様子はなく、エドガーはしばらくの間笑い続けていた。
リカントロープは、よく獰猛だと言われるけれど。
エドガーと一緒にいると、自分の方が獰猛になってしまいそうだとリディアは思った。


*


朝食を食べ終わると、リディアは決まって人気のない川辺に行く。そうしてそこで、水面に映る自分の姿を見つめながら、獣消しの練習をするのだ。
獣消しができるのは、獣人にとって一人前の証。
それは練習して習得するというよりは、ある時自然にできるようになるのだと父もエドガーも口を揃えて言うけれど、この年にもなってできる気配すら感じられない自分自身に焦っているリディアは、とても落ち着いてその時を待つことなんてできそうになかった。だからこうして、毎日川辺へやって来ては、一人練習を繰り返しているのだ。
今日はその練習に、エドガーもくっついてきた。家を出る時は、朝食のやり取りをまだ引きずっていたリディアだったが、川辺に着く頃にはそんな苛立ちはもうすっかり忘れてしまっていた。
外の空気は肌に寒いけれど、少し歩けば慣れてくる。澄んだ空気は心地よくて、陽だまりを歩けば暖かい。
「大丈夫? 寒くない?」
「平気よ」
これまたエドガーが買ってきた、もこもことした上着を着込んでいる。寒がり(とエドガーは言うが、これぐらい普通だとリディアは思っている)のリディアのために、エドガーがわざわざ探して買って来てくれた物だ。
マフラーを巻いた上から、その上着を羽織る。そうすると驚くほど暖かくて、だからこそこうやって外にも出てこれる程だというのに、それでもエドガーはリディアが寒がっていないか心配で仕方ないらしい。
そのエドガーは、秋物と大して変わらない薄い上着を一枚羽織っただけの姿なのだから、見ているリディアの方が寒くなってしまう。
思わず、ぶるりと身体を震わせてしまった。
寒そうなエドガーを見て反射的にそうなってしまっただけなのだが、隣を歩くエドガーは、リディアが寒がっていると思ったらしい。無言で上着を脱ごうとするのだから、リディアは慌てた。
「ちょっと、何やってるのよ。寒いでしょ!」
「僕は平気だよ。君の方こそ寒いんだろう?」
そう言って、リディアの肩にかけようとするのだから、たまったものではない。
「見てるこっちの方が寒いのよ!」
心底からそう叫べば、エドガーにもその気持ちは伝わったらしい。しぶしぶ、と表現するのがぴったりの態度で、エドガーは脱いだばかりの上着に再び腕を通した。その様子を見ながら、リディアはほっと胸を撫で下ろす。
エドガーのこんな態度を、村の女の子達は紳士的だと言って騒ぐけれど。
リディアには今ひとつそうは思えない。紳士的なことは確かなのだろうが、それ以上に過保護に思えて仕方ない。エドガーの『紳士的』な態度は村中の女の子に発揮されるけれど、『過保護』な態度が発揮されるのはリディアに対してだけなのだ。
縄張り争いから逃げ出してきた、まだ少年だったエドガーと、リディアが一つ屋根の下で暮らし始めてから、もう数年の月日が流れただろうか。
エドガーにとってのリディアは、「女の子」ではなく「妹」に近いものなのだろうとは理解している。リディアも、エドガーを兄のように思って頼る場面は多々あるからだ。
だからこそ、こんな風に過保護になってしまうのだろう。リカントロープのエドガーにとって、アイオスロープのリディアは、それだけでか弱い、庇護しなければならない対象のように思えるのかもしれない。
「心配なんだよ」
言い訳をするように、エドガーは呟いた。
「冬なんだから、寒いのは当たり前でしょう? 見てるこっちが余計に寒くなるような真似は止めてちょうだい」
「じゃあさ」
手袋もはめていない、エドガーの手が、リディアの右手をそっと掴んだ。
リディアは毛糸の手袋をはめている。例に漏れず、これも冬の初めにエドガーが買ってきた物で―――どれだけエドガーに甘やかされているのだろうかと、こんな瞬間にリディアは改めて思う。リディアが止めなければ、エドガーは際限なくリディアのためにお金を使ってしまいそうだ。
「せめて、こうしてようか。ちょっとは暖かそうだから」
そう言って、エドガーは嬉しそうに笑う。
手を繋いだぐらいでは、大して暖かくもならない。むしろ、なるのはエドガーの方だと思う。
それでも手を離す理由もなくて、そのまま川辺に向かって歩き続けた。エドガーと手を繋ぐのなんていつものことだけど、何だか改めて考えると恥ずかしくて、それ以上に嬉しくて、尻尾は大きくゆらゆらと揺れてしまった。
「……早く、春になればいいのに」
黙っているのが、何だか気恥ずかしかった。
「春、といえばさ」
「なあに?」
エドガーが何を言い出すのかわからなくて、リディアの両耳はぴんっと立った。
歩きながら、エドガーは前を向いたままだ。その横顔を、リディアは見つめている。
「アニークシにさ。僕と一緒に出てくれる気はある?」
エドガーらしくない言い方だった。いつものエドガーなら、もっとスマートな物言いをするはずだった。
アニークシ、と、リディアは呟く。
その台詞の意味を理解すると同時に、リディアの足は止まってしまっていた。いつもの川辺は、もうすぐそこだというのに。
「な、なに言ってるのよ」
わけがわからない。
多分この時期、村の女の子達は、みんな似たような台詞を男の子達から言われているのだろう。あるいは、待ち望んでいるのか。
でもリディアは、想像もしていなかった。期待すら、していなかったのだ。
「意味がわからなかったのなら、もう一度言ってもいいけど?」
肩をすくめながらエドガーは言う。リディアのこんな反応など、わかっていたとでも言いたげに。
「そんなんじゃなくて……だって……あたしが出れるわけないでしょ」
「どうして」
「どうしてって……」
それを、エドガーが聞くのか。
あたしを、怒らせようとしてるの?
頭の中が、かっと熱くなったような気がした。こんなこと、自分で言いたくなんてないのに。
「まだ、獣消しができないからに決まってるでしょ!」
アニークシに参加できるのは、大人の男女だけ。獣消しができるのは大人の証だから、まだその獣消しができないリディアは、アニークシに参加できる権利はないのだ。
そんなこと、この村に住んでいる人なら、だれでもわかっていることなのに。それこそ、居候のエドガーにだって。
なのにエドガーは、「何だそんなこと」とでも言うかのような顔をする。
「何も別に、獣消しができなきゃアニークシには出られないって決められているわけじゃないだろ。ただ、子供は参加できないってだけで」
「だから……獣消しができない内は、まだ子供だって……」
「それだって、一つの目安だろう? 獣消しができたからって、その翌日からはい大人って認められるわけじゃないじゃないか」
それはそうだけど。
早い子は、十五や十六で獣消しができるようになっているけれど、だからといって子供扱いされていないわけではない。相変わらず親に叱られることだってあるし、暗くなれば家に帰らなければいけない。他の子供達と同じように。
「君は年齢的に見れば十分大人だし、アニークシに参加できる条件は満たしているはずだよ。獣消しができなくても、毎年祭りに参加してる子はいるんだし」
リディアもそれは知っている。そうして、そんな子達が影でどんなことを言われているのかも知っている。つまり、生意気だとか何だとか、そういうことをだ。
「大丈夫だよ。僕がエスコートするんだから、妙なことは言わせない」
エドガーはそう断言するが、それがまた恐ろしいのだ。何をするつもりなのだろうと、ついついリディアは訝ってしまう。
「……アニークシに出るのは、獣消しができるようになってからでいいわ」
この話はこれでお終いにしたかった。歩き出そうとしたリディアの腕を、すかさずエドガーは掴む。
「獣消しができないことなんか、気にすることじゃないよ」
「気にするに決まってるでしょ!」
「祭りの最中には、みんな興奮して獣消しなんてろくにできていない子がほとんどだよ。僕から言わせれば、大人っていうのはどんな状況であっても獣消しを解かないものだけどね」
この村にやって来てからというもの、ずっと獣消しをしたままのエドガーのその台詞には、確かに説得力があった。
「アニークシがどんなものなのか、興味は無い?」
そりゃ。
あるに決まってる。
女の子達で賑わう洋品店に入って、一緒になって端切れを買いたいと思ったことは一度や二度ではない。エプロンを作りたいと思ったことも。そうして、お祭りに出たいと思ったことだって。
アニークシに参加した女の子達は、そろってその体験談を年下の女の子達に語っていたものだ。買い物の最中に、そんな話を小耳に挟むことはよくあった。人付き合いの苦手なリディアは、そこで話に混ざることはできなかったから、どんなに楽しかったのだろうと想像を巡らすのが精一杯だったのだ。
そんな、想像するしかなかったお祭りに、エドガーは一緒に参加しようという。
それは、まるで甘い罠のような誘いだった。
「……でも、父さまが何て言うかわからないわ」
そんな台詞を返している時点で、もうリディアの気持ちは片方に傾ききっていたのだ。
それを見抜いたエドガーは、満足そうに頷いた。
「大丈夫。教授なら、僕が説得するから」
つまりは結局、そういうことになってしまったのだった。
***

40万踏んで下さったK子さんにお捧げします。キリリク一話目^^
「パラレル物でらぶらぶな話」とのリクだったので、獣耳にて書いております。
らぶい話に仕上がるかどうかは果てしなく不安なのですが…あと2、3話ほどお付き合い下さい。

(09.1.16)