家路
リディアがアシェンバード伯爵家へやって来てから、もうそろそろ一月が経とうとしていた。
季節はさほど変わってはいないが、リディアは少しこの生活に慣れ始めていた。少なくとも、屋敷の中を歩くのに緊張することはなくなった。相変わらずメイドに何かを頼みごとをするのは違和感溢れるものだったが、自分で何かをやろうにも、どこに何があるのかわからないこの状況では、確かに助かることでもあった。
けれど、どうしても納得のいかないことが一つ。
「ねぇ、ニコ。一人で外出したいって、そんなに我侭なことかしら」
着替えをして、あとはもうベッドに入るだけという時間になってから、リディアは相棒の妖精猫にそう不満をもらした。
「あぁ?」
めんどくさそうにニコは答える。お気に入りのブランデーを開けて、どうやらほろ酔い気分のようだ。
「だって、今日アーミンに言われたのよ。ちょっと本屋に行きたくなって、でもアーミンが忙しそうだったから一人で行こうとしたら、必ず私をお連れ下さいませって。大丈夫よこのぐらいって言ったら、エドガーに叱られるからって。平気だって何度も言ったんだけど、しまいには我侭はお控え下さいませ、なんて、笑いながら言われちゃったのよ」
思い出しても、一体それのどこが我侭だったのかわからない。忙しそうなアーミンを気遣っただけだったのに。
忙しく動き回るアーミンを捕まえて、本屋に行くから一緒に来てと、そう頼む方がよっぽど我侭なのではないだろうかとリディアは思う。それでもきっと、アーミンは嫌な顔一つせずついて来てくれるだろうが、だからなおさらそうだと思えてしまうのだ。
「そんなん、あれだろ? あの伯爵が心配性だからじゃねぇの?」
「だけど、ちょっと本屋に行くぐらいよ? そりゃ、本当に貴族のお嬢さまだったら色々危ないこともあるでしょうけど、あたしはそうじゃないもの。ここに来るまでは、食事だって洗濯だって一通りのことはやってきたんだから。お使いに出されることだってあったじゃないの」
エドガーだって、それはわかっているはずだ。リディアは生まれながらにメイド達に着替えも何かもやってもらっていたような貴族ではない。何かやりたいことがあったら、身一つでやってしまった方が楽だと思える性質なのだ。
「エドガーに何を言われてるのかは知らないけど、アーミンはちょっと勘違いしてるんじゃないのかしら」
「あんたと違って、勘違いなんてしなさそうな奴に見えるけどな」
「何よ」
失礼なことを言うニコに眉を寄せながら、リディアはすっくと立ち上がった。
「いいわ。ちょっと兄さまに聞いてくる。この時間ならまだ起きてると思うから」
ニコは、「へいへい」とでも言うように片足を上げるだけだった。
部屋を出て、廊下にだれもいないのをいいことに足早に駆ける。明かりの消された廊下は暗く、窓から入ってくる月明かりだけがリディアの足元を照らしてくれた。暗闇には慣れているはずなのに、昼間のこの屋敷の賑やかな様を知っているから、何だかこの静けさが少し怖かった。
足早に、廊下を進む。
エドガーの私室の前にたどり着いて、すぐさまノックをする。レイヴンが扉を開けてくれる場合もあるのだが、今日はもうレイヴンはいないらしい。ほどなくして扉を開けたのはエドガー本人だった。
「リディア、どうしたの? 僕と一緒に寝たくなった?」
リディアの姿を見ると、エドガーはそう言って嬉しそうに微笑む。おいで、と手招きをされて部屋の中に招かれる。
「そうじゃないわ。ただちょっと、兄さまに聞きたいことがあって……」
言いながら、だからといって、何もこんな時間に訪ねてこなくてもよかったのだとリディアは後悔した。エドガーは嫌な顔一つしないが、普通こんな時間に人の部屋を訪ねるものではない。
「あの、兄さま、ごめんなさい。別に急用じゃないの。やっぱり明日にするわ。朝食は一緒に食べれるんでしょう?」
「もちろん、君と一緒に過ごせる時間を逃したりはしないけど……別にいいんだよ。せっかく来てくれたんだから、ゆっくりしていけばいい。もう時間も遅いけど、何なら今日も一緒に寝るかい?」
言ってエドガーは、ゆっくりとリディアの肩を押すと部屋のソファへと座らせた。有無を言わさない態度だが、浮かんだ柔らかな笑みのおかげで、強引な仕草には見えないのがエドガーのすごいところだと思う。そうしてどんどん彼のペースにはまってしまうのだ。
「一日の終わりにまで君の顔を見ていられるだなんて、今日はきっといい夢が見られそうだな」
「あたしは別にそんな風には思わないけど……」
「ねぇリディア、僕らはこんな風に、この先もずっと仲良くやっていけると思わないかい?」
隣に腰を下ろしたエドガーは、リディアの肩に腕を回し、至近距離で顔を覗く。可愛がられている、とは思うのだが、何もこんなに顔を近づけなくてもいいとリディアは思う。それにちょっと、これは妹に対する兄の態度にしては、しつこいと言うか変と言うか……
「えっと、そうね、仲良くやっていけるのはいいことよね。でもエドガーはそのうちどこかの貴族の令嬢と結婚するんでしょうし」
「リディアがずっと僕にいてほしいと言うのなら、結婚なんかしないよ」
「…………」
それは、何と答えればいいのか。
「……あの、兄さま。あたし、ちょっと聞きたいことがあって来たんだけど」
何と返事をすればいいのかわからなかったから、リディアはさっさと本題に入ることにした。エドガーのことは優しい人だと思うが、こんなところが少し厄介だと思う。エドガーは兄だというのに、何だか口説かれているような気がしてしまって。
「うん? 何だい?」
「あのね、アーミンのことなんだけど」
「アーミン?」
思いも寄らない名前だったのか、エドガーは不思議そうに目を大きくする。
「えぇ、そうなの。あのね、今日あたしが一人で出かけようとしたら、一人で出かけちゃダメだって。エドガーに叱られるからって言うのよ。そんなのおかしいでしょ? だからエドガーから、アーミンにあたしは平気だって言ってほしいんだけど」
それは、エドガーにとってはとても簡単なお願いだと言えた。明日の朝にでも、そう一言アーミンに言ってくれればいいだけなのだから。
けれどエドガーは、どうしてか小さく眉を寄せた。困ったようにリディアを見る瞳は、リディアがここに来たばかり―――エドガーを困らせてばかりいる頃によく目にしたものだった。
「兄さま?」
「リディア、それはダメだ」
エドガーがどうしてそんなことを言うのかわからない。
「ダメって、どうして?」
「リディア、君は自分の立場を理解していない」
「あたしの立場って何よ?」
真面目な顔でエドガーは言うが、一体何を言いたいのかわからない。
「一人で外出だなんて、そんなことを僕が認められるとでも思ってるの? 良家の子女はね、一人で外出なんかしたりしないものなんだよ」
「だってあたし、そんなのじゃないわ。今までは何でも一人でやってきたんだから。買い物だって何だってそうよ」
「でもその時とはもう立場が違うだろう? 今の君は、どこからどう見ても良家のお嬢さんにしか見えないよ。そんな女の子が一人で歩いてたら、周りからどう見られるかわかったものじゃない。それに最近、この辺でも物騒な事件が多いんだ。都会にはそれだけ妙な輩も多い。何かあってからじゃ遅いんだよリディア」
エドガーの声は静かで、無理に言うことを聞かせようとする横暴な響きなんてどこにも無かった。
それでも、リディアは引っかかりを覚えずにはいられない。自分がそんな大層な身分になったとはとても思えない。
「そんなの大丈夫よ。今まで何度かアーミンと一緒に出かけたことがあるけど、何にも無かったもの。ちょっと本屋に行ったり雑貨屋に行ったり、散歩したりするぐらいだもの。それで何かあるわけないわ」
「アーミンがいたからこそ、何も起こらなかったのかもしれないだろう? リディア、君は僕が見るに、どうも少し世間知らずなところがあるようだし」
「何よ、そんなんじゃないわよ!」
確かに田舎で暮らしていたことは事実だが、人からそう言われると腹が立つ。世間知らずというのなら、生まれてから食うに困らず生活してきた貴族の方が、ずっとそうではないかと思ってしまう。
「大体それなら、あたしは一人で散歩もできないってこと? 一人になりたい時だってあるわ。そんな自由もあたしには無いっていうの?」
「リディア……君を縛り付けたいわけじゃない。だけどね、これだけは譲れないよ。何かあってから後悔しても遅い。ここは、君のような若くて可愛い女の子が一人でふらふら歩いて、いつも無事でいられるような町じゃないんだ。君が今まで暮らしていた田舎とは違うんだよ。それが本当にわかってるの?」
いつもは扇情的な灰紫の瞳が、今はただひたすらに真面目にリディアを見ている。何よ、とリディアは胸中で呟く。そのぐらいわかっている。わかっていて、それでもなおかつ大丈夫だと言っているのに。
「縛り付けたくはないとか言いながら、しっかり縛り付けてるじゃない。あなたは一人で外出するのに、どうしてあたしはしちゃいけないの?」
「僕は何かあっても一人で対処できる。実際これまでそうしてきたんだ。だけど君はそうはできないだろう?」
「あたしだってそれぐらいできます!」
もうこれ以上話しても無駄だと思って、リディアは立ち上がった。困ったように自分を見上げる、そんなエドガーの眼差し一つにまでもむかむかとした。
「今日は一緒に寝てくれないの?」
「今の兄さまなんかと寝れるわけないでしょっ」
言い捨てると、リディアは駆け足で部屋を飛び出した。リディア、と後ろから呼ぶ声が聞こえたが、振り返ってなんかやらなかった。
こんなのは納得できない。自分の部屋へと戻りながら、リディアは何度も何度もそう思う。
エドガーのバカ、と呟きながらベッドに入った。大事にされていると思えればいいのかもしれないけれど、ただ子ども扱いされているとしか思えなかった。何もできない小さな子供だとでも思われているかのような。
あんまり腹が立ったから、明日は一日口を利いてやらないことにしようと、心に決めてリディアは目を閉じた。
*
何とか、エドガーを見返してやりたかった。
何もできないと、決め付けられているようで悔しかった。
だからそんなエドガーへの当て付けも込めて、リディアはこっそり家を抜け出してやった。ニコと一緒に、庭を散歩するフリをして。そして、何とかヘイをよじ登って、屋敷の外へと出てやった。
「あの伯爵にばれたら、さぞかし叱られるんじゃねぇの?」
「ばれなきゃ平気よ。それにばれたって、一人で外出することのどこが悪いのよ? あたしは小さな子供じゃないのよ」
エドガーはレイヴンを連れて出かけていて、屋敷を留守にしている。エドガーが帰ってくるまでに屋敷に戻ればいいだろうと思ったが、同時に、別にばれてもいいやとも思う。これから一生、一人で自由に散歩もできない生活を続けるだなんてごめんだ。生まれた時からそんな生活をしている貴族のレディーとは違うのだ。
なるべく自分でできることは自分でするし、その代わり、自分のしたいことはしたいようにする。
そう思って、リディアは少しうきうきしながら道を歩いて行った。昨日の今日で、何だかエドガーを出し抜いてやったような気分だった。途中でニコと別れ、気の向くままに一人で適当に道を歩いていく。
リディアにも人並みに好奇心はあったが、けれど静かな孤児院生活、そこでも変わり者といじめられて育ってきた所為か、リディアは人ごみが苦手だった。なので、どうしても人がいない方いない方に足は進んでしまい、気がつくとそこは全く見知らぬ場所だった。人気のない暗い路地。酒の空き瓶が道端に捨てられ割れている。
あまり、いい場所でないことだけは確かのようだった。
「……何でこんな場所に出てきちゃったのかしら」
途中で、何だかこのまま進むのはまずそうだと気づいた。だから、今来た道をその通りに戻ったはずなのに―――その結果、ますます知らない場所に来てしまった。
自分のことを方向音痴などとは思いたくなかった。知らない場所だからいけないのだ。今まで道に迷ったことなんかない。これが正真正銘初めてだ。だからこそ、どうすればいいのかわからずリディアは戸惑った。
人ごみの賑やかな歓声が、ここには全く聞こえてこない。安心するどころか、逆に不安になった。どれだけ自分は元の場所から離れた所まで来てしまったのか。
「ニコ……いないの?」
途中で別れた相棒の名前を呼ぶ。姿を消すことのできる妖精猫だから、ひょっこりその辺から現れてくれないだろうかと期待した。
けれどニコは現れない。リディアと違い、もうずいぶん一人で町を散策しているニコだから、迷っているなんてことはないだろう。どこかで昼寝をしているか、もしかしたらもう屋敷に戻っているのかもしれない。こんなことなら、ニコと一緒にいれば良かったと今になって後悔した。大丈夫だからと、どうしてあんなに自信満々でいられたのだろう。
空を見ると、だんだんと日が落ちてきていた。夕焼けが目に染みる。目の奥がツキンと痛んだ。
こんな時に呼べる名前を、リディアは知らない。
困っている自分を助けることができるのは自分だけだった。たまにニコが助けてくれることもあるにはあったが、基本的には薄情な猫なのだ。妖精はいつもリディアの傍にいてくれたが、彼らは人間に好意的なわけではない。興味を持つだけで、悪戯をすることの方が多いぐらいだ。
けれど今、こんな薄汚い路地裏には、その妖精すらもいない。
だからなおさら、自分でどうにかしなきゃいけないのに。
落ちていく夕日が心を急かす。けれどリディアには、どちらに行けば元の場所に、家に帰れるのかわからない。長くなる影が怖い。魔物でも潜んでいそうだ。どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。どうしてこんなに、怖いの、だろう。
しゃがみこんで、小さくなった。
ぎゅっと、自分の膝を抱え込んだ。
いじめられて、一人で泣いていた夜を思い出した。声を出して泣くと、うるさいとだれかに怒鳴られるから、涙だけ流して静かに泣く方法を覚えてしまった。そうすると大抵、ニコが仕方ないなぁと言うかのように、前足でぽんとリディアの頭を叩いてくれた。にくきゅうのついた手は気持ちよかった。たまに、お腹の毛を触らせてくれることもあった。紳士を気取っているニコには、これ以上無いほどのサービスだ。
「ニコ……」
―――どこにいるの?
「君にとって、この状況で呼べる名前は、あの変てこな猫しかいないのかい?」
リディアの影の上に、もう一人の影が重なった。
夕日の角度で、顔が見えない。表情がわからない。けれど、笑っていないことだけは確かなようだ。そんなことは声でわかる。
「エドガー……」
「迎えに来たよ。この悪い子め」
だからどうして子ども扱いするの、とは言えなかった。
「どうして……」
どうしてここがわかったのか、と問いたかったのか。それとも、どうして迎えに来てくれたのと尋ねたかったのか。
リディア自身にも自分の気持ちはわからなかったが、エドガーは前者だと受け取ったようだ。
「帰って君とお茶にしようと思ったら、君が屋敷から抜け出しているのに気づいたんだよ。それから慌てて探し回って……でもね、そんないいドレスを着てるのに、供もつけずに一人できょろきょろしながら歩いている年頃のお嬢さんのことは、案外簡単に見つけられたんだよ。だから言っただろう? 必ずアーミンを連れて出かけるようにって」
口調は厳しかったが、しゃがみこんだリディアを立たせ、その背中に回された腕は驚くほど優しかった。
距離が近づいて、エドガーの顔が見える。口元は引き締まっていたが、その双眸には大きな安堵の色が浮かんでいた。
「……迷子になるだなんて思わなかったのよ」
言い訳のように呟くリディアに、「そうだろうね」とエドガーは小さく頷いた。
「だれだって、最初から迷子になるとは思わないだろうさ。とくに君は、あれだけ自信満々に僕に断言してくれていたんだからね」
言葉の端々に棘を感じる。多分今、エドガーはきっとものすごく怒ってる。それなのにどうして優しくしてくれるのだろうかとリディアは不思議になった。やっぱりこの人のことは、わかるようでよくわからない。掴みどころのない人なのだ。
「僕が心配だって言ったわけがわかったかい?」
頷きたくない。けれど、頷かないわけにはいかない。
「君にとっては慣れない暮らしだろうけど、お願いだから慣れてくれと言うしかない。でも嫌なことばかりじゃないはずだよ。昨夜のディナーのデザートだった、リンゴのコンポートのクレープ包み、すごく美味しいって僕の分まで食べてたよね?」
「それは、だってエドガーがくれるって言うから」
別にリディア自らがちょうだいとねだったわけじゃない。そこのところを誤解されてはたまらないと、こんな状況なのにリディアはムキになってそう言った。
エドガーの口元が少し和らぐ。そうだったねと頷きながら。
「そんな風に楽しいことだってあるはずだ。僕が言ってるのはね、お願いだから心配させないでということだけなんだ。君に何かあったら、僕がどれだけ悲しむかわかってるの?」
出会ってまだ、そんなに時間は経っていない。
今ならまだ、リディアがいなくなっても、エドガーは元の生活に戻るだけなのではないかと思う。
けれど同時に、やっぱり悲しむのだろうなと思う。こうして迎えに来てくれた、その優しさは本物だから。よくわからない人ではあるけど、そこに偽りはないように見えるから。
「……ごめんなさい」
何だか謝ってばかりだと思う。腹を立てることもあって、謝ることもあって、でも嬉しいこともたくさんあって。
何だか、本当の家族のようだと。
「わかってくれればいいんだ」
きゅっと、優しくエドガーはリディアを抱きしめた。その温かさが心地よくて、リディアはされるがままになっていた。エドガーの胸に耳を当てると、心臓の鼓動が少し早いような気がした。リディアの気のせいかもしれない。
少し前までの自分だったら、こうして男の人に抱きしめられるだなんて考えられないことだった。
なのに今は、それを自然のことのように受け入れてしまっている自分がいる。
不思議に思ったけれど、嫌ではなかった。むしろ嬉しい。抱きしめてもらえる温もりを、今までリディアは知らなかったから。
「罰として、明日は一日僕に付き合ってもらうよ」
そっと腕を放すと、エドガーはもういつもの笑顔に戻っていた。でもちょっぴり意地悪そうな。
「一日って……何をするの?」
「そうだな、まずは新しいドレスの採寸でも受けてもらおうかな。この前も作らせようとしたら、もうこれ以上はいらないって断られたから。僕としては、一着でも多く君を美しく着飾るドレスが欲しいんだ。キレイな妹の姿を見たいと思うのは兄として当然だろう? そうしてそうだな、二人でオペラを見に行こう。前に誘ったら言葉もわからないし賑やかなところは苦手だって言ってたけど、一度行ったら絶対楽しいと言うはずだから。あぁ、明日は一日楽しそうだな」
仕事はいいのかしらとリディアは思ったが、今のエドガーに言っても無駄なことはわかっている。それに結局どうにかするのはエドガーなのだから、後で困ったって、そんなの自業自得だわと思う。
「さぁ、帰ろう。みんな心配してる」
「えぇ」
でも、兄さま程じゃないでしょうけどね。
心の中だけで呟いて、差し出された手をとった。そして、リディアは家へと歩き出した。
季節はさほど変わってはいないが、リディアは少しこの生活に慣れ始めていた。少なくとも、屋敷の中を歩くのに緊張することはなくなった。相変わらずメイドに何かを頼みごとをするのは違和感溢れるものだったが、自分で何かをやろうにも、どこに何があるのかわからないこの状況では、確かに助かることでもあった。
けれど、どうしても納得のいかないことが一つ。
「ねぇ、ニコ。一人で外出したいって、そんなに我侭なことかしら」
着替えをして、あとはもうベッドに入るだけという時間になってから、リディアは相棒の妖精猫にそう不満をもらした。
「あぁ?」
めんどくさそうにニコは答える。お気に入りのブランデーを開けて、どうやらほろ酔い気分のようだ。
「だって、今日アーミンに言われたのよ。ちょっと本屋に行きたくなって、でもアーミンが忙しそうだったから一人で行こうとしたら、必ず私をお連れ下さいませって。大丈夫よこのぐらいって言ったら、エドガーに叱られるからって。平気だって何度も言ったんだけど、しまいには我侭はお控え下さいませ、なんて、笑いながら言われちゃったのよ」
思い出しても、一体それのどこが我侭だったのかわからない。忙しそうなアーミンを気遣っただけだったのに。
忙しく動き回るアーミンを捕まえて、本屋に行くから一緒に来てと、そう頼む方がよっぽど我侭なのではないだろうかとリディアは思う。それでもきっと、アーミンは嫌な顔一つせずついて来てくれるだろうが、だからなおさらそうだと思えてしまうのだ。
「そんなん、あれだろ? あの伯爵が心配性だからじゃねぇの?」
「だけど、ちょっと本屋に行くぐらいよ? そりゃ、本当に貴族のお嬢さまだったら色々危ないこともあるでしょうけど、あたしはそうじゃないもの。ここに来るまでは、食事だって洗濯だって一通りのことはやってきたんだから。お使いに出されることだってあったじゃないの」
エドガーだって、それはわかっているはずだ。リディアは生まれながらにメイド達に着替えも何かもやってもらっていたような貴族ではない。何かやりたいことがあったら、身一つでやってしまった方が楽だと思える性質なのだ。
「エドガーに何を言われてるのかは知らないけど、アーミンはちょっと勘違いしてるんじゃないのかしら」
「あんたと違って、勘違いなんてしなさそうな奴に見えるけどな」
「何よ」
失礼なことを言うニコに眉を寄せながら、リディアはすっくと立ち上がった。
「いいわ。ちょっと兄さまに聞いてくる。この時間ならまだ起きてると思うから」
ニコは、「へいへい」とでも言うように片足を上げるだけだった。
部屋を出て、廊下にだれもいないのをいいことに足早に駆ける。明かりの消された廊下は暗く、窓から入ってくる月明かりだけがリディアの足元を照らしてくれた。暗闇には慣れているはずなのに、昼間のこの屋敷の賑やかな様を知っているから、何だかこの静けさが少し怖かった。
足早に、廊下を進む。
エドガーの私室の前にたどり着いて、すぐさまノックをする。レイヴンが扉を開けてくれる場合もあるのだが、今日はもうレイヴンはいないらしい。ほどなくして扉を開けたのはエドガー本人だった。
「リディア、どうしたの? 僕と一緒に寝たくなった?」
リディアの姿を見ると、エドガーはそう言って嬉しそうに微笑む。おいで、と手招きをされて部屋の中に招かれる。
「そうじゃないわ。ただちょっと、兄さまに聞きたいことがあって……」
言いながら、だからといって、何もこんな時間に訪ねてこなくてもよかったのだとリディアは後悔した。エドガーは嫌な顔一つしないが、普通こんな時間に人の部屋を訪ねるものではない。
「あの、兄さま、ごめんなさい。別に急用じゃないの。やっぱり明日にするわ。朝食は一緒に食べれるんでしょう?」
「もちろん、君と一緒に過ごせる時間を逃したりはしないけど……別にいいんだよ。せっかく来てくれたんだから、ゆっくりしていけばいい。もう時間も遅いけど、何なら今日も一緒に寝るかい?」
言ってエドガーは、ゆっくりとリディアの肩を押すと部屋のソファへと座らせた。有無を言わさない態度だが、浮かんだ柔らかな笑みのおかげで、強引な仕草には見えないのがエドガーのすごいところだと思う。そうしてどんどん彼のペースにはまってしまうのだ。
「一日の終わりにまで君の顔を見ていられるだなんて、今日はきっといい夢が見られそうだな」
「あたしは別にそんな風には思わないけど……」
「ねぇリディア、僕らはこんな風に、この先もずっと仲良くやっていけると思わないかい?」
隣に腰を下ろしたエドガーは、リディアの肩に腕を回し、至近距離で顔を覗く。可愛がられている、とは思うのだが、何もこんなに顔を近づけなくてもいいとリディアは思う。それにちょっと、これは妹に対する兄の態度にしては、しつこいと言うか変と言うか……
「えっと、そうね、仲良くやっていけるのはいいことよね。でもエドガーはそのうちどこかの貴族の令嬢と結婚するんでしょうし」
「リディアがずっと僕にいてほしいと言うのなら、結婚なんかしないよ」
「…………」
それは、何と答えればいいのか。
「……あの、兄さま。あたし、ちょっと聞きたいことがあって来たんだけど」
何と返事をすればいいのかわからなかったから、リディアはさっさと本題に入ることにした。エドガーのことは優しい人だと思うが、こんなところが少し厄介だと思う。エドガーは兄だというのに、何だか口説かれているような気がしてしまって。
「うん? 何だい?」
「あのね、アーミンのことなんだけど」
「アーミン?」
思いも寄らない名前だったのか、エドガーは不思議そうに目を大きくする。
「えぇ、そうなの。あのね、今日あたしが一人で出かけようとしたら、一人で出かけちゃダメだって。エドガーに叱られるからって言うのよ。そんなのおかしいでしょ? だからエドガーから、アーミンにあたしは平気だって言ってほしいんだけど」
それは、エドガーにとってはとても簡単なお願いだと言えた。明日の朝にでも、そう一言アーミンに言ってくれればいいだけなのだから。
けれどエドガーは、どうしてか小さく眉を寄せた。困ったようにリディアを見る瞳は、リディアがここに来たばかり―――エドガーを困らせてばかりいる頃によく目にしたものだった。
「兄さま?」
「リディア、それはダメだ」
エドガーがどうしてそんなことを言うのかわからない。
「ダメって、どうして?」
「リディア、君は自分の立場を理解していない」
「あたしの立場って何よ?」
真面目な顔でエドガーは言うが、一体何を言いたいのかわからない。
「一人で外出だなんて、そんなことを僕が認められるとでも思ってるの? 良家の子女はね、一人で外出なんかしたりしないものなんだよ」
「だってあたし、そんなのじゃないわ。今までは何でも一人でやってきたんだから。買い物だって何だってそうよ」
「でもその時とはもう立場が違うだろう? 今の君は、どこからどう見ても良家のお嬢さんにしか見えないよ。そんな女の子が一人で歩いてたら、周りからどう見られるかわかったものじゃない。それに最近、この辺でも物騒な事件が多いんだ。都会にはそれだけ妙な輩も多い。何かあってからじゃ遅いんだよリディア」
エドガーの声は静かで、無理に言うことを聞かせようとする横暴な響きなんてどこにも無かった。
それでも、リディアは引っかかりを覚えずにはいられない。自分がそんな大層な身分になったとはとても思えない。
「そんなの大丈夫よ。今まで何度かアーミンと一緒に出かけたことがあるけど、何にも無かったもの。ちょっと本屋に行ったり雑貨屋に行ったり、散歩したりするぐらいだもの。それで何かあるわけないわ」
「アーミンがいたからこそ、何も起こらなかったのかもしれないだろう? リディア、君は僕が見るに、どうも少し世間知らずなところがあるようだし」
「何よ、そんなんじゃないわよ!」
確かに田舎で暮らしていたことは事実だが、人からそう言われると腹が立つ。世間知らずというのなら、生まれてから食うに困らず生活してきた貴族の方が、ずっとそうではないかと思ってしまう。
「大体それなら、あたしは一人で散歩もできないってこと? 一人になりたい時だってあるわ。そんな自由もあたしには無いっていうの?」
「リディア……君を縛り付けたいわけじゃない。だけどね、これだけは譲れないよ。何かあってから後悔しても遅い。ここは、君のような若くて可愛い女の子が一人でふらふら歩いて、いつも無事でいられるような町じゃないんだ。君が今まで暮らしていた田舎とは違うんだよ。それが本当にわかってるの?」
いつもは扇情的な灰紫の瞳が、今はただひたすらに真面目にリディアを見ている。何よ、とリディアは胸中で呟く。そのぐらいわかっている。わかっていて、それでもなおかつ大丈夫だと言っているのに。
「縛り付けたくはないとか言いながら、しっかり縛り付けてるじゃない。あなたは一人で外出するのに、どうしてあたしはしちゃいけないの?」
「僕は何かあっても一人で対処できる。実際これまでそうしてきたんだ。だけど君はそうはできないだろう?」
「あたしだってそれぐらいできます!」
もうこれ以上話しても無駄だと思って、リディアは立ち上がった。困ったように自分を見上げる、そんなエドガーの眼差し一つにまでもむかむかとした。
「今日は一緒に寝てくれないの?」
「今の兄さまなんかと寝れるわけないでしょっ」
言い捨てると、リディアは駆け足で部屋を飛び出した。リディア、と後ろから呼ぶ声が聞こえたが、振り返ってなんかやらなかった。
こんなのは納得できない。自分の部屋へと戻りながら、リディアは何度も何度もそう思う。
エドガーのバカ、と呟きながらベッドに入った。大事にされていると思えればいいのかもしれないけれど、ただ子ども扱いされているとしか思えなかった。何もできない小さな子供だとでも思われているかのような。
あんまり腹が立ったから、明日は一日口を利いてやらないことにしようと、心に決めてリディアは目を閉じた。
*
何とか、エドガーを見返してやりたかった。
何もできないと、決め付けられているようで悔しかった。
だからそんなエドガーへの当て付けも込めて、リディアはこっそり家を抜け出してやった。ニコと一緒に、庭を散歩するフリをして。そして、何とかヘイをよじ登って、屋敷の外へと出てやった。
「あの伯爵にばれたら、さぞかし叱られるんじゃねぇの?」
「ばれなきゃ平気よ。それにばれたって、一人で外出することのどこが悪いのよ? あたしは小さな子供じゃないのよ」
エドガーはレイヴンを連れて出かけていて、屋敷を留守にしている。エドガーが帰ってくるまでに屋敷に戻ればいいだろうと思ったが、同時に、別にばれてもいいやとも思う。これから一生、一人で自由に散歩もできない生活を続けるだなんてごめんだ。生まれた時からそんな生活をしている貴族のレディーとは違うのだ。
なるべく自分でできることは自分でするし、その代わり、自分のしたいことはしたいようにする。
そう思って、リディアは少しうきうきしながら道を歩いて行った。昨日の今日で、何だかエドガーを出し抜いてやったような気分だった。途中でニコと別れ、気の向くままに一人で適当に道を歩いていく。
リディアにも人並みに好奇心はあったが、けれど静かな孤児院生活、そこでも変わり者といじめられて育ってきた所為か、リディアは人ごみが苦手だった。なので、どうしても人がいない方いない方に足は進んでしまい、気がつくとそこは全く見知らぬ場所だった。人気のない暗い路地。酒の空き瓶が道端に捨てられ割れている。
あまり、いい場所でないことだけは確かのようだった。
「……何でこんな場所に出てきちゃったのかしら」
途中で、何だかこのまま進むのはまずそうだと気づいた。だから、今来た道をその通りに戻ったはずなのに―――その結果、ますます知らない場所に来てしまった。
自分のことを方向音痴などとは思いたくなかった。知らない場所だからいけないのだ。今まで道に迷ったことなんかない。これが正真正銘初めてだ。だからこそ、どうすればいいのかわからずリディアは戸惑った。
人ごみの賑やかな歓声が、ここには全く聞こえてこない。安心するどころか、逆に不安になった。どれだけ自分は元の場所から離れた所まで来てしまったのか。
「ニコ……いないの?」
途中で別れた相棒の名前を呼ぶ。姿を消すことのできる妖精猫だから、ひょっこりその辺から現れてくれないだろうかと期待した。
けれどニコは現れない。リディアと違い、もうずいぶん一人で町を散策しているニコだから、迷っているなんてことはないだろう。どこかで昼寝をしているか、もしかしたらもう屋敷に戻っているのかもしれない。こんなことなら、ニコと一緒にいれば良かったと今になって後悔した。大丈夫だからと、どうしてあんなに自信満々でいられたのだろう。
空を見ると、だんだんと日が落ちてきていた。夕焼けが目に染みる。目の奥がツキンと痛んだ。
こんな時に呼べる名前を、リディアは知らない。
困っている自分を助けることができるのは自分だけだった。たまにニコが助けてくれることもあるにはあったが、基本的には薄情な猫なのだ。妖精はいつもリディアの傍にいてくれたが、彼らは人間に好意的なわけではない。興味を持つだけで、悪戯をすることの方が多いぐらいだ。
けれど今、こんな薄汚い路地裏には、その妖精すらもいない。
だからなおさら、自分でどうにかしなきゃいけないのに。
落ちていく夕日が心を急かす。けれどリディアには、どちらに行けば元の場所に、家に帰れるのかわからない。長くなる影が怖い。魔物でも潜んでいそうだ。どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。どうしてこんなに、怖いの、だろう。
しゃがみこんで、小さくなった。
ぎゅっと、自分の膝を抱え込んだ。
いじめられて、一人で泣いていた夜を思い出した。声を出して泣くと、うるさいとだれかに怒鳴られるから、涙だけ流して静かに泣く方法を覚えてしまった。そうすると大抵、ニコが仕方ないなぁと言うかのように、前足でぽんとリディアの頭を叩いてくれた。にくきゅうのついた手は気持ちよかった。たまに、お腹の毛を触らせてくれることもあった。紳士を気取っているニコには、これ以上無いほどのサービスだ。
「ニコ……」
―――どこにいるの?
「君にとって、この状況で呼べる名前は、あの変てこな猫しかいないのかい?」
リディアの影の上に、もう一人の影が重なった。
夕日の角度で、顔が見えない。表情がわからない。けれど、笑っていないことだけは確かなようだ。そんなことは声でわかる。
「エドガー……」
「迎えに来たよ。この悪い子め」
だからどうして子ども扱いするの、とは言えなかった。
「どうして……」
どうしてここがわかったのか、と問いたかったのか。それとも、どうして迎えに来てくれたのと尋ねたかったのか。
リディア自身にも自分の気持ちはわからなかったが、エドガーは前者だと受け取ったようだ。
「帰って君とお茶にしようと思ったら、君が屋敷から抜け出しているのに気づいたんだよ。それから慌てて探し回って……でもね、そんないいドレスを着てるのに、供もつけずに一人できょろきょろしながら歩いている年頃のお嬢さんのことは、案外簡単に見つけられたんだよ。だから言っただろう? 必ずアーミンを連れて出かけるようにって」
口調は厳しかったが、しゃがみこんだリディアを立たせ、その背中に回された腕は驚くほど優しかった。
距離が近づいて、エドガーの顔が見える。口元は引き締まっていたが、その双眸には大きな安堵の色が浮かんでいた。
「……迷子になるだなんて思わなかったのよ」
言い訳のように呟くリディアに、「そうだろうね」とエドガーは小さく頷いた。
「だれだって、最初から迷子になるとは思わないだろうさ。とくに君は、あれだけ自信満々に僕に断言してくれていたんだからね」
言葉の端々に棘を感じる。多分今、エドガーはきっとものすごく怒ってる。それなのにどうして優しくしてくれるのだろうかとリディアは不思議になった。やっぱりこの人のことは、わかるようでよくわからない。掴みどころのない人なのだ。
「僕が心配だって言ったわけがわかったかい?」
頷きたくない。けれど、頷かないわけにはいかない。
「君にとっては慣れない暮らしだろうけど、お願いだから慣れてくれと言うしかない。でも嫌なことばかりじゃないはずだよ。昨夜のディナーのデザートだった、リンゴのコンポートのクレープ包み、すごく美味しいって僕の分まで食べてたよね?」
「それは、だってエドガーがくれるって言うから」
別にリディア自らがちょうだいとねだったわけじゃない。そこのところを誤解されてはたまらないと、こんな状況なのにリディアはムキになってそう言った。
エドガーの口元が少し和らぐ。そうだったねと頷きながら。
「そんな風に楽しいことだってあるはずだ。僕が言ってるのはね、お願いだから心配させないでということだけなんだ。君に何かあったら、僕がどれだけ悲しむかわかってるの?」
出会ってまだ、そんなに時間は経っていない。
今ならまだ、リディアがいなくなっても、エドガーは元の生活に戻るだけなのではないかと思う。
けれど同時に、やっぱり悲しむのだろうなと思う。こうして迎えに来てくれた、その優しさは本物だから。よくわからない人ではあるけど、そこに偽りはないように見えるから。
「……ごめんなさい」
何だか謝ってばかりだと思う。腹を立てることもあって、謝ることもあって、でも嬉しいこともたくさんあって。
何だか、本当の家族のようだと。
「わかってくれればいいんだ」
きゅっと、優しくエドガーはリディアを抱きしめた。その温かさが心地よくて、リディアはされるがままになっていた。エドガーの胸に耳を当てると、心臓の鼓動が少し早いような気がした。リディアの気のせいかもしれない。
少し前までの自分だったら、こうして男の人に抱きしめられるだなんて考えられないことだった。
なのに今は、それを自然のことのように受け入れてしまっている自分がいる。
不思議に思ったけれど、嫌ではなかった。むしろ嬉しい。抱きしめてもらえる温もりを、今までリディアは知らなかったから。
「罰として、明日は一日僕に付き合ってもらうよ」
そっと腕を放すと、エドガーはもういつもの笑顔に戻っていた。でもちょっぴり意地悪そうな。
「一日って……何をするの?」
「そうだな、まずは新しいドレスの採寸でも受けてもらおうかな。この前も作らせようとしたら、もうこれ以上はいらないって断られたから。僕としては、一着でも多く君を美しく着飾るドレスが欲しいんだ。キレイな妹の姿を見たいと思うのは兄として当然だろう? そうしてそうだな、二人でオペラを見に行こう。前に誘ったら言葉もわからないし賑やかなところは苦手だって言ってたけど、一度行ったら絶対楽しいと言うはずだから。あぁ、明日は一日楽しそうだな」
仕事はいいのかしらとリディアは思ったが、今のエドガーに言っても無駄なことはわかっている。それに結局どうにかするのはエドガーなのだから、後で困ったって、そんなの自業自得だわと思う。
「さぁ、帰ろう。みんな心配してる」
「えぇ」
でも、兄さま程じゃないでしょうけどね。
心の中だけで呟いて、差し出された手をとった。そして、リディアは家へと歩き出した。
(07.2.22)