おやすみ、僕の眠り姫


目覚めて、身じろぎしようとしても、そうはできない瞬間にいまだに少しばかり驚いてしまう。
「あぁ、そっか……一緒に寝てたんだっけ」
腕の中には、小さな少女が一人。いや、年齢的に見ても外見的に見ても、この少女は―――リディアは、決して『小さな』少女ではない。貴族の娘であれば、とっくに社交界デビューし、結婚していたとしてもおかしくはない年頃だ。ちょっとよそのパーティーなどに顔を出せば、一人前の女性として着飾った少女達はたくさんいる。いや、むしろそれが普通だというのに。
けれど―――いや、だからこそ―――エドガーの目には、身体を丸くしてすやすやと小さな寝息をたてて眠るリディアが、年よりも幼い子供に見えてしまう。可愛らしいドレスを贈れば喜んでくれるが、立派な宝石は気後れしてしまうようでなかなか身につけてくれない。甘いお菓子やデザートを食べている時は本当に嬉しそうで、大好きだよと耳元で囁くと、まるで母親に褒められた子供のような顔になる。きっとリディア自身は気づいていないのだろうけど。
昨夜だって、面白い本を見つけたから一緒に読もうとベッドに誘ってみれば、夢中になったリディアは早く早くと続きをねだって、なかなか眠らせてくれないほどだった。やっと一冊読み終わった頃には、もうとっくに日付は変わっていて、そこでようやくエドガーは開放されたのだった。最後まで読み聞かせてもらって満足したリディアは、数分後にはもう夢の世界へと旅立っていった。エドガーの腕の中で。
「まったく、女性に眠らせてもらえないことはよくあるけど……」
今夜はもう遅いからここまでにしようと本を閉じかけたら、続きが気になって眠れないじゃないのと文句を言われた。そんなことで眠らせてもらえなかったのは初めてだ。
甘い赤茶色の髪を一房手にとってエドガーは眺める。リディアはあまりこの髪が気に入っていないようだったが、こんなに艶やかでコシのある柔らかな髪の、一体どこが気に入らないのかエドガーにはわからない。エドガーの金髪をしきりに羨ましがっていたが、髪なんて所詮はオマケにすぎない。その魅力を引き出せるか埋没させるかは、その本人にかかっているのだということを、リディアは理解してはいないのだろう。
磨けばどれだけ美しくなることだろうと思いながら、あどけない寝顔を見つめた。そこらの貴族の令嬢にも負けないぐらい美しくさせる自信がエドガーにはあったが、けれどそうすればおのずと害虫をも呼び寄せることになるだろう。もちろん害虫駆除はお手の物ではあったが、できれば面倒なことはしたくない。ただでさえ、厄介な仕事が山のようにあるというのだから。
カーテンが閉じられたままの部屋はいまだ薄暗い。けれど気にすることなく、エドガーはリディアの寝顔を見つめ続けた。こんな風に見つめ続けていることがばれたら、きっと平手の一発ぐらいは食らいそうだったが、わかっていても目が離せない。
その寝顔を眺めて、どれぐらいの時間が経ったのだろう。カチコチという時計の針をただ聞いていると、召使用のドアがコンコンとノックされた。
「おはようございます、エドガーさま」
「あぁ、おはようレイヴン」
部屋に入ってきたレイヴンは、いつもと同じようにカーテンを開ける。眩しい朝の光りがさっと部屋に差し込んでくる。起きるかな、とエドガーは少し心配したが、リディアはそんなことにも気づかず小さな寝息を立てるだけだった。
よっぽど眠いようだと思えば、もっと昨夜早く寝ればいいのにと思い出して笑みがもれる。目先の楽しみを後回しにできない辺りが、何とも子供っぽくて可愛らしい。リディアが聞いたら怒るだろうけれど。
ベッド脇のチェストの上には丁寧にしわの伸ばされた新聞が置かれている。毎朝それに欠かさず目を通すのが日課であったが、隣でリディアが寝ているとなるとそうもいかない。
起こさないようにそっと腕を外して、ほっとしながら枕に背を預ける。今までこんな風にだれかを気づかったことなんてなかったなと思えば、何だか新鮮な気がした。これはこれで悪くない。
足音も立てずに部屋を出て行ったレイヴンは、ほどなくしてトレイにコーヒーを乗せて帰ってきた。ベッドの中からコーヒーを受け取り、口をつける。熱さが喉を通過して、だんだんと目が覚めてくる。
この苦いコーヒーも、きっとリディアの口には合わないのだろう。そう考えて、何をしていてもこの妹のことが頭から離れない自分を自覚して、エドガーは小さな笑みをもらした。本当、仕方ないぐらい夢中になっているんだなぁと。そんな自分は嫌ではない。
「レイヴン、まったくおかしなことだとは思わないか? この僕が、一人の女の子に夢中になってるだなんて」
社交界のレディー達が聞いたら、一体どんな顔をするのだろう。それを考えるのは少し愉快なことでもあった。
表情の変わらないレイヴンだが、今は少し困っているようにエドガーには見える。自分自身の感情すらよくわからないレイヴンは、何と返事をすればいいのかわからないのだろう。
「自分でも、リディアのどこがいいのかよくわからないんだ。あぁ、それはもう可愛いとは思うけどね……でも、可愛いだけの女の子なんて世の中にはたくさんいる。なのにどうしてリディアじゃなきゃいけなかったんだろう。考えても、やっぱりよくわからない」
考える必要性すらないってことかなと、そんな風にも思える。何か理由があるような気はするのだが、それが何なのかよくわからない。
「一目ぼれだったのでは」
レイヴンらしかぬ台詞を聞いて、エドガーは少し目を開いた。
「いえ、以前リディアさんにそう仰っていたので」
「あぁ……そうだね、リディアには確かにそう言ったよ。一番わかりやすい言葉がそれだと思ったからね。でも、何だろうな、それだけじゃ何だか物足りないような気がして……」
うーん、とエドガーはうなった。だがしかし、一体それが何なのか、自分でもやっぱりわからないのだ。
コーヒーを飲み干し、トレイにカップを戻す。と、リディアが小さく身じろぎした。もうすぐ起きてしまうのかもしれない。
「着替えはもう少し後でいい。可愛い妹の寝顔をもう少し見ていたいからね」
「はい」
一礼して、レイヴンは部屋から出て行く。リディアの寝顔を見られても平気な男はレイヴンぐらいだなと、去っていく後姿を見ながらそう思う。
額にかかった前髪をそっと撫でた。柔らかいリディアの髪は、いつもくすぐったくエドガーの指にまとわりつく。髪に甘えられているようだと、そう思うだけで何だか幸せな気持ちになる。
朝日を帯びて、その瞳は金色に輝いて見えた。どこの少女とも違う、エドガーを魅了して止まないその瞳は、眠気の所為だろうか、いつもよりも柔らかく蠱惑的に見えた。
「ん……えどがー……?」
「おはよう、リディア」
至近距離で見つめて囁いても、リディアは顔を赤くもしない。寝ぼけてるんだなと思いながら、そんなところも可愛くて、自然と笑みが浮かんでくる。
「まだ眠い? 昨日遅くまで起きてるから。だから言っただろう、もう寝た方がいいって」
「だって、それは……にいさまが悪いのよ」
「僕が? どうして?」
「おはなしよむの、じょうずだから」
ふわふわとした口調でリディアは言う。そんなことを言われたのは初めてで、エドガーは少し驚く。お話を読むのが上手か、と胸中で反芻しながら。
「楽しかったわ、すごく」
「じゃあまた、違う本を買ってきてあげるよ。また一緒に読もう」
「えぇ」
にっこりと、それはもう嬉しそうにリディアは笑った。
その、あまりの無防備さに。
「―――」
信頼されているのだと、わかって嬉しくもなり、何だかものすごく切なくなった。責任の重大さを、改めて知ったような気持ちになって。
「やくそくね、兄さま」
「あぁ……あぁ、約束だ」
ぎゅっと背中に腕を回せば、リディアはすりすりとエドガーの胸に頬をこすりつけてきた。普段であれば絶対にやってくれないであろう可愛い仕草。寝惚けてるってのはいいなと思いながら、その可愛さを堪能しようと、回した腕に力を込める。
普段であればとっくに起き出している時間ではあったが、もうベッドから抜け出す気なんて欠片もなかった。頭は冴えていたが、身体はこの温もりから離れられない。
「兄さま……もうおきるんじゃないの?」
「まだ眠いんだろう? 寝てていいよ。僕も付き合うから」
「にいさまは、おきてもいいのよ」
「せっかくだから二人でのんびりしよう」
朝寝坊するっていうのも悪くないよと鼻先をぶつけながら囁けば、リディアはそのくすぐったさにくすくすと笑った。
「さぁおやすみ、僕の眠り姫」
「そうしたら、えどがーが王子さまなの?」
楽しそうに笑いながら、リディアは目を閉じる。
「もちろん。だってリディアは僕のことが好きだろう?」
「……さぁ、どうかしら」
寝惚けていても、好きとは言ってくれないのかと少し落ち込んだ。
でもそれがリディアらしくて、好きだと言ってくれなくても、自分の腕の中で安心したように眠りに落ちる、その姿が何よりも嬉しいものだったから。
いつまでも君の王子さまでいられるますようにと、願いをこめて、唇に近い頬へとキスを落とした。
(07.3.5)