不機嫌な少女
僕の婚約者はいつ見ても不機嫌そうな顔をしている。
初めて会った時浮かべていた、あんなにも嬉しそうな微笑みは、婚約してからは一度も目にしたことがない。
「エドガーさま。荷物が届いておりますが」
「だれから?」
「ハミルトンさまからです」
パソコンの画面から視線を逸らして、ハミルトン、と口の中で呟いた。
「宝石商のマティルダ・ハミルトンさまでは無いのでしょうか?」
「あぁ、そうだった」
それほどありふれた苗字ではないはずなのに、すぐに思い出すことができなかった。それだけ、記憶に残っていなかったということだ。つまりその程度の存在。
くるりと椅子を回転させて、レイヴンから荷物を受け取った。小さな小包だ。けれどその中身の予想はついている。
箱の中に目当ての物を見つけて、僕は小さく笑った。
「さすが。やることが早いな」
「……お買いになられたのですか?」
僕の手の中の物を見て、レイヴンは不思議そうに尋ねてくる。レイヴンが口を挟むだなんて珍しいな、とかすかに驚く。
女性に宝石を贈ることはあっても、女性から贈られてくることなんて初めてだから、レイヴンが不審に思うのも無理はないのかもしれない。
「いや、買ったわけじゃないよ。貰い物だけど……まぁ、一日の報酬とでも言うべきかな」
「報酬、ですか」
「あぁ。先日のパーティーでは一日エスコート役を務めたんだからね。このぐらいの見返りがなきゃやってられないよ。厚化粧の女性はあまり好きじゃない。粉がこっちにまで吹き飛んできそうだったよ」
僕の冗談にもレイヴンは笑わない。ただ、困ったように、「はぁ」と頷いただけだった。
箱の中から取り出したネックレスを見回した。この手のは、正直言うと僕の好みからは少しずれている。
「どう思う、レイヴン」
よく見えるように差し出して尋ねてみれば、レイヴンは無表情のままにそのネックレスを見つめた。
「箱と鍵とハートです」
確かにその三つのチャームのついたネックレスだった。
「まぁそうなんだけどね」
どう思うか、感じるかなんて質問は、少しレイヴンには高度すぎたのかもしれない。そのままじっとネックレスを見つめるレイヴンに、「何でもないよ」と小さく微笑みかけた。
「こういうカジュアルなデザインはあまり好きじゃないんだけどね。パーティーなんかにはつけていけないし……。でも、この前ダイヤとパールのネックレスを贈ったら突き返されたんだ。こんな高価な物はもらえないってね。 これだったら、そう高価には見えないと思うんだけどな」
丁寧に箱に戻す。この箱も止めた方がいいかもしれない。そこらのデパートで扱っているようなラッピングにしておかないと、また突き返されてしまう。僕の一日の労働が無駄になるだなんて冗談じゃない。
「まったく。ここまで手間をかけさせられる相手は初めてだな」
「……リディアさんですか?」
おずおずとレイヴンは尋ねてくる。
「そうだよ。それしかいないじゃないか」
けれど、だからこそ相手をするのが楽しいというのもある。今まで他のどんな女性にだって、あれこれと思い悩んだことはなかった。大抵の女性は名のある宝石なら喜んでもらうものだ。そうしないのはリディアだけだった。
「どこかでこれと同じデザインの物を見かけてね。何となく、これならリディアは気にってくれるような気がしたんだ。だけどもう製造中止になっていたから、マティルダにちょっと頼んだんだよ」
言いながら、ふと気づいて顔を上げた。
「言っておくけど、マティルダに関してのことはリディアに言う必要はないよ。わかってるね?」
「わかっております」
以前うっかりばらされたことがあるから、慎重にならざるを得ない。僕の婚約者だからと、リディアの意思を尊重してくれるのは嬉しいけど、お願いだから僕にとって都合の悪いことは言わないでくれと切実に思う。
箱を机の上に置きながら、笑顔でこれを受け取ってくれるリディアを想像しようとした。
が、できない。
無理もない。リディアの笑顔なんて、もうここ数ヶ月見ていないんだ。
考えると少し虚しくなる。どうして笑ってくれないのだろうか。
「他には何かあった?」
「リディアさんの今日の予定を入手しました。今日は学校が終わった後、そのまま友人と一緒に映画を見に出掛けるそうです」
映画。そういえばリディアと一緒にそんなものを見に行った覚えはない。何となく面白くない気分でため息を吐いた。
場所を聞いて、少し考え込む。けれど本当はそんな必要などなかった。考え込む段階で、すでに決まっていたのだから。
「すぐにこれをラッピングしてくれ」
「はい」
できることなら笑顔が見たいと思う。
けれどそれは無理だろう。
仕方ない。無理やり婚約を迫ったのはこっちなんだ。
+
駅前のロータリーに車を停めて、うごめく人の波を見つめていた。
その中にいても、不思議とあのキャラメルだけは目に飛び込んでくる。楽しそうに笑顔を浮かべる顔に、無性に胸が締め付けられる。どうしてあんな顔をするんだ。僕には向けてくれないくせに。
「リディア」
呼びかけた。この人ごみの中だ、すぐには気づかないかもしれないと思ったけれど、彼女はすぐに僕に気づいてくれた。
その瞬間の表情の変わりようは、一体何なのだろうか。
きょろきょろと辺りを見回していた、驚きに満ちた表情から、一転、暗く疲れたような顔へと。
リディアは今、自分がどんな顔をしているか気づいているのだろうか。そんなことを思いながら、僕は顔に浮かべた笑みを力を込める。上等だ。それでこそ、攻略しがいがあるっていうものじゃないか。
「リディア、こっちだよ」
あえてもう一度声をかける。迷っている様子がよくわかる。行くべきか、行かざるべきか。でも、リディアがどう出るかなんてわかっている。だから僕はただ、笑顔を浮かべたまま待っていればいいだけ。何て楽なんだろう。
リディアの周りにいる友達が、騒いでいる様子がここからでもよくわかる。
もっと騒げばいいんだ。騒げば騒ぐだけ、リディアはどうすればいいのかわからないように戸惑っている。どうせ僕のことなんて、友達には話していないに違いない。隠していた罰だよ、とこっそりとそう呟く。どうして僕のことをさっさと認めないんだろう。 そうすればずっと楽になれるのに。
エドガー、と、小さくその唇が呟いたのがわかった。
ゆっくりと口の端を上げて僕は笑う。
周りの友達に背を押されるようにして、リディアは数歩歩き出した。途中で止まって、けれど意を決したようにまた歩き出す。僕の元へと向かって。
「……何しに来たの」
「婚約者に向けた言葉とは思えないね。君に会いたくて来たんだけど?」
様子を見に来ようと、近づいてくるリディアの友人達に聞こえるように言ってやる。
「あぁそう。じゃあもう会ったからいいでしょう? さっさと帰ったら?」
「相変わらずつれないね」
それにももう慣れてしまって、始めの頃のように一々驚くことなんて無くなったけれど。
思わず髪に伸ばした手をすかさず振り払われたりする時に、もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないのかな、とはやっぱり思う。
「あたしはあなたの顔なんて見たくないのよ」
「大丈夫。そのうち、会いたくてたまらないようになるから。僕が落とせなかった女の子なんて今までにいないからね」
「じゃあ、あたしがあんたにとって人生初の相手になるわよ……!」
「それはそれで魅力的だな。初めての相手っていいね。僕にとっても君にとっても」
リディアが右手を振り上げる。難なくそれを受け止めながら、引き寄せて至近距離から顔を覗き込みながらささやいた。
「あんまりこういう様子は見せない方がいいんじゃないかい? 友達に後で噂をされたくないのなら、ね」
「……最低」
何が? 僕が?
女性にそう言われるのは慣れている。でも、リディアにそう言われると、不思議とどう返事をすればいいのか一瞬困る。一瞬だけね。
「最低だなんて失礼だな。いつも紳士的な振る舞いを心掛けてるつもりだけど? ぜひ家までエスコートさせてほしいな。どうせ帰るところだったんだろう?」
「あなたに送ってもらうつもりなんて、あたしは全然……!」
「このまま友達のところに戻ったら、質問攻めにされることは間違いないけど、それでもいいの?」
小さく微笑む。躊躇ったようにリディアは唇を噛む。わかったわ、と小さく頷いたのを見て、満足した気持ちになる。最初からそう言ってくれればいいのに。でも、このやりとりが楽しくもある。他のだれともしないような会話が。
一度小走りで友達の元に戻ると、二言三言だけ言葉を交わして、リディアはすぐに戻ってきた。助手席のドアを開けて僕は待っている。
「どうぞ、ミス・カールトン」
「お願いだから、何もしゃべらないでくれる?」
女の子からそんなお願いをされるのは初めてだった。 おかしくて、ついくすくすと笑ってしまうと、リディアはむくれたようにそっぽを向いてしまった。可愛いな、とこんな時にごく素直に思う。扱いが難しいのか簡単なのかよくわからない。
本当に不思議な女の子だ。
高速を飛ばせば、あっという間にリディアの家までついてしまう。
その間、会話らしい会話はほぼ無かった。僕が何か話しかけても、リディアは無視するか鬱陶しそうに返事をするかのどちらかで、とても楽しくおしゃべりを楽しむ雰囲気なんてどこにも無い。
「……送ってくれてありがとう」
それでも家の前に車を止めれば、リディアは小さな声でそんな風にお礼を言う。
その今時珍しい律儀さが可愛くておかしくて、僕は笑いながら「どういたしまして」と言う。僕の笑いをからかわれたとでも思ったのか、リディアはむっと唇を尖らせた。無意識のそんな動作に目が奪われる。
「でも、もうあんな風に迎えになんて来なくていいから。っていうか、どうしてあたしがあそこにいるってわかったのよ?」
「愛の力かな」
「ふざけないで」
だって、調べさせてたなんてことを素直に言ったら怒るに決まってるじゃないか。
肩をすくめると、リディアは鞄を掴んで車から降りようとした。
「ちょっと待ってくれ」
「何よ?」
だからどうしていつもそう喧嘩腰なんだ。
愛想よくしてほしいとは言わないから、せめてもっと普通にしてほしい。そんなに僕の望みは高望みなんだろうか。
内ポケットから取り出した箱をリディアの膝に落とした。差し出しても受け取ってくれないことはもうわかっている。
「……何なのよ、これ」
「開けてみればわかるよ」
「高価なプレゼントだったらいりませんから」
そうして箱を突き返してくる。ため息をつきながら、僕はそのラッピングをほどき始めた。プレゼントの箱を自分で開けるほど虚しいことってそう無い気がしてくる。
取り出したチャームのついたネックレスを、リディアの首元にあててみた。不快そうな顔をしながらも、気になるのがリディアは自分の胸元を見下ろしてる。
「うん、よく似合う。可愛いよ」
やっぱり僕の趣味とは少し違うけど、リディアにはこうした可愛いデザインの物がよく似合う。
「またネックレス? いらないって言ったでしょ」
「返されても困るんだけどな。まさか僕がするわけにはいかないし。君がもらってくれないとゴミになる。いらないのなら捨ててくれて構わないよ」
本気だった。
それがわかったのか、リディアは怒った顔をしながらも困ったように、おずおずとネックレスを受け取った。
「君の趣味じゃない?」
「……そうじゃないけど」
それならどうして嬉しそうな顔をしてくれないんだろう。しなくても、ただ受け取ってくれればいいだけなんだ。僕の自己満足だってことぐらいはわかってる。
「高かったんじゃないの?」
「いや、ちっとも」
今回ばかりはお金を出して買ったわけじゃない。その分の労働はもちろん楽なものではなかったけど。
「この前のとは桁が違うよ」
多分そのぐらいだろうと大体の勘で言えば、リディアは信じられないことを口にした。
「一万ぐらい?」
普通プレゼントの値段を聞いたりしないだろう、ってことよりも。
これがたった一万で買えると思うリディアに、僕はただびっくりした。
どうやらこの金色の鎖もチャームも、ゴールドだとは思っていないらしい。抜けているというか、今まで本当に宝石らしい宝石なんて貰ったことが無いんだなと改めて知った気持ちだった。
「うん、そう。そのぐらいかな」
吹き出しそうになるのを堪えながら僕は頷く。安物だと思えば、少しは身に付けてくれる気になるだろうか。
本当は安い車なら買えるぐらいの値段なんだけど。そう知ったらリディアがどんな顔をするのか、想像すると少し笑えた。
「でも、本当にもうこういうのはいらないから」
「僕があげたいだけなんだから。気にしなくていいんだよ」
「嫌なの。一方的にただもらうだけっていうのは」
「じゃあ僕にもくれたっていいんだよ」
「何を?」
少しバカにしたように言われた。自分で何でも買えるくせにと。
「君からの愛とか」
「無いものはあげられませんから。死んでも無理よ」
「じゃあキスでいいよ」
愛が無理ならその程度でも別に。
言って、無理やりにでも貰おうと顔を引き寄せた。何となくその気になっただけ。でも、きちんと温もりを味わう時間もなく、ただほんのちょっと掠れるように触れただけで突き飛ばされた。
泣きそうな顔で。
「な、何するのよ……!」
「まだしてない。未遂だけど」
「バカっ!」
今度の平手は避けようが無かった。少し驚いていたんだと思う。キスをしようとして嫌がられたことなんて今まで一度も無かったから。
そのまま、逃げるようにしてリディアは車から飛び出て行ってしまった。バタンと玄関の扉が閉まる音がする。名前を呼ぶ暇もなかった。
「……初めてだったのかな」
叩かれた頬を押さえながら呆然と呟いた。
まさか、あの年で? 男性経験は無いんだろうなとは思っていたけど、まさかキスもしたことが無いだなんて。今時小中学生だってやってることなのに?
「敵わないな」
あぁ、そうだとわかってたら、もう少し雰囲気に気をつけてあげたのに。最初に聞けば良かった。
今日の収穫はこれだけか。だんだん頬が痛んでくる。早く冷やさないと腫れが残るかもなと思いながら、エンジンを吹かせた。
初めて会った時浮かべていた、あんなにも嬉しそうな微笑みは、婚約してからは一度も目にしたことがない。
「エドガーさま。荷物が届いておりますが」
「だれから?」
「ハミルトンさまからです」
パソコンの画面から視線を逸らして、ハミルトン、と口の中で呟いた。
「宝石商のマティルダ・ハミルトンさまでは無いのでしょうか?」
「あぁ、そうだった」
それほどありふれた苗字ではないはずなのに、すぐに思い出すことができなかった。それだけ、記憶に残っていなかったということだ。つまりその程度の存在。
くるりと椅子を回転させて、レイヴンから荷物を受け取った。小さな小包だ。けれどその中身の予想はついている。
箱の中に目当ての物を見つけて、僕は小さく笑った。
「さすが。やることが早いな」
「……お買いになられたのですか?」
僕の手の中の物を見て、レイヴンは不思議そうに尋ねてくる。レイヴンが口を挟むだなんて珍しいな、とかすかに驚く。
女性に宝石を贈ることはあっても、女性から贈られてくることなんて初めてだから、レイヴンが不審に思うのも無理はないのかもしれない。
「いや、買ったわけじゃないよ。貰い物だけど……まぁ、一日の報酬とでも言うべきかな」
「報酬、ですか」
「あぁ。先日のパーティーでは一日エスコート役を務めたんだからね。このぐらいの見返りがなきゃやってられないよ。厚化粧の女性はあまり好きじゃない。粉がこっちにまで吹き飛んできそうだったよ」
僕の冗談にもレイヴンは笑わない。ただ、困ったように、「はぁ」と頷いただけだった。
箱の中から取り出したネックレスを見回した。この手のは、正直言うと僕の好みからは少しずれている。
「どう思う、レイヴン」
よく見えるように差し出して尋ねてみれば、レイヴンは無表情のままにそのネックレスを見つめた。
「箱と鍵とハートです」
確かにその三つのチャームのついたネックレスだった。
「まぁそうなんだけどね」
どう思うか、感じるかなんて質問は、少しレイヴンには高度すぎたのかもしれない。そのままじっとネックレスを見つめるレイヴンに、「何でもないよ」と小さく微笑みかけた。
「こういうカジュアルなデザインはあまり好きじゃないんだけどね。パーティーなんかにはつけていけないし……。でも、この前ダイヤとパールのネックレスを贈ったら突き返されたんだ。こんな高価な物はもらえないってね。 これだったら、そう高価には見えないと思うんだけどな」
丁寧に箱に戻す。この箱も止めた方がいいかもしれない。そこらのデパートで扱っているようなラッピングにしておかないと、また突き返されてしまう。僕の一日の労働が無駄になるだなんて冗談じゃない。
「まったく。ここまで手間をかけさせられる相手は初めてだな」
「……リディアさんですか?」
おずおずとレイヴンは尋ねてくる。
「そうだよ。それしかいないじゃないか」
けれど、だからこそ相手をするのが楽しいというのもある。今まで他のどんな女性にだって、あれこれと思い悩んだことはなかった。大抵の女性は名のある宝石なら喜んでもらうものだ。そうしないのはリディアだけだった。
「どこかでこれと同じデザインの物を見かけてね。何となく、これならリディアは気にってくれるような気がしたんだ。だけどもう製造中止になっていたから、マティルダにちょっと頼んだんだよ」
言いながら、ふと気づいて顔を上げた。
「言っておくけど、マティルダに関してのことはリディアに言う必要はないよ。わかってるね?」
「わかっております」
以前うっかりばらされたことがあるから、慎重にならざるを得ない。僕の婚約者だからと、リディアの意思を尊重してくれるのは嬉しいけど、お願いだから僕にとって都合の悪いことは言わないでくれと切実に思う。
箱を机の上に置きながら、笑顔でこれを受け取ってくれるリディアを想像しようとした。
が、できない。
無理もない。リディアの笑顔なんて、もうここ数ヶ月見ていないんだ。
考えると少し虚しくなる。どうして笑ってくれないのだろうか。
「他には何かあった?」
「リディアさんの今日の予定を入手しました。今日は学校が終わった後、そのまま友人と一緒に映画を見に出掛けるそうです」
映画。そういえばリディアと一緒にそんなものを見に行った覚えはない。何となく面白くない気分でため息を吐いた。
場所を聞いて、少し考え込む。けれど本当はそんな必要などなかった。考え込む段階で、すでに決まっていたのだから。
「すぐにこれをラッピングしてくれ」
「はい」
できることなら笑顔が見たいと思う。
けれどそれは無理だろう。
仕方ない。無理やり婚約を迫ったのはこっちなんだ。
+
駅前のロータリーに車を停めて、うごめく人の波を見つめていた。
その中にいても、不思議とあのキャラメルだけは目に飛び込んでくる。楽しそうに笑顔を浮かべる顔に、無性に胸が締め付けられる。どうしてあんな顔をするんだ。僕には向けてくれないくせに。
「リディア」
呼びかけた。この人ごみの中だ、すぐには気づかないかもしれないと思ったけれど、彼女はすぐに僕に気づいてくれた。
その瞬間の表情の変わりようは、一体何なのだろうか。
きょろきょろと辺りを見回していた、驚きに満ちた表情から、一転、暗く疲れたような顔へと。
リディアは今、自分がどんな顔をしているか気づいているのだろうか。そんなことを思いながら、僕は顔に浮かべた笑みを力を込める。上等だ。それでこそ、攻略しがいがあるっていうものじゃないか。
「リディア、こっちだよ」
あえてもう一度声をかける。迷っている様子がよくわかる。行くべきか、行かざるべきか。でも、リディアがどう出るかなんてわかっている。だから僕はただ、笑顔を浮かべたまま待っていればいいだけ。何て楽なんだろう。
リディアの周りにいる友達が、騒いでいる様子がここからでもよくわかる。
もっと騒げばいいんだ。騒げば騒ぐだけ、リディアはどうすればいいのかわからないように戸惑っている。どうせ僕のことなんて、友達には話していないに違いない。隠していた罰だよ、とこっそりとそう呟く。どうして僕のことをさっさと認めないんだろう。 そうすればずっと楽になれるのに。
エドガー、と、小さくその唇が呟いたのがわかった。
ゆっくりと口の端を上げて僕は笑う。
周りの友達に背を押されるようにして、リディアは数歩歩き出した。途中で止まって、けれど意を決したようにまた歩き出す。僕の元へと向かって。
「……何しに来たの」
「婚約者に向けた言葉とは思えないね。君に会いたくて来たんだけど?」
様子を見に来ようと、近づいてくるリディアの友人達に聞こえるように言ってやる。
「あぁそう。じゃあもう会ったからいいでしょう? さっさと帰ったら?」
「相変わらずつれないね」
それにももう慣れてしまって、始めの頃のように一々驚くことなんて無くなったけれど。
思わず髪に伸ばした手をすかさず振り払われたりする時に、もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないのかな、とはやっぱり思う。
「あたしはあなたの顔なんて見たくないのよ」
「大丈夫。そのうち、会いたくてたまらないようになるから。僕が落とせなかった女の子なんて今までにいないからね」
「じゃあ、あたしがあんたにとって人生初の相手になるわよ……!」
「それはそれで魅力的だな。初めての相手っていいね。僕にとっても君にとっても」
リディアが右手を振り上げる。難なくそれを受け止めながら、引き寄せて至近距離から顔を覗き込みながらささやいた。
「あんまりこういう様子は見せない方がいいんじゃないかい? 友達に後で噂をされたくないのなら、ね」
「……最低」
何が? 僕が?
女性にそう言われるのは慣れている。でも、リディアにそう言われると、不思議とどう返事をすればいいのか一瞬困る。一瞬だけね。
「最低だなんて失礼だな。いつも紳士的な振る舞いを心掛けてるつもりだけど? ぜひ家までエスコートさせてほしいな。どうせ帰るところだったんだろう?」
「あなたに送ってもらうつもりなんて、あたしは全然……!」
「このまま友達のところに戻ったら、質問攻めにされることは間違いないけど、それでもいいの?」
小さく微笑む。躊躇ったようにリディアは唇を噛む。わかったわ、と小さく頷いたのを見て、満足した気持ちになる。最初からそう言ってくれればいいのに。でも、このやりとりが楽しくもある。他のだれともしないような会話が。
一度小走りで友達の元に戻ると、二言三言だけ言葉を交わして、リディアはすぐに戻ってきた。助手席のドアを開けて僕は待っている。
「どうぞ、ミス・カールトン」
「お願いだから、何もしゃべらないでくれる?」
女の子からそんなお願いをされるのは初めてだった。 おかしくて、ついくすくすと笑ってしまうと、リディアはむくれたようにそっぽを向いてしまった。可愛いな、とこんな時にごく素直に思う。扱いが難しいのか簡単なのかよくわからない。
本当に不思議な女の子だ。
高速を飛ばせば、あっという間にリディアの家までついてしまう。
その間、会話らしい会話はほぼ無かった。僕が何か話しかけても、リディアは無視するか鬱陶しそうに返事をするかのどちらかで、とても楽しくおしゃべりを楽しむ雰囲気なんてどこにも無い。
「……送ってくれてありがとう」
それでも家の前に車を止めれば、リディアは小さな声でそんな風にお礼を言う。
その今時珍しい律儀さが可愛くておかしくて、僕は笑いながら「どういたしまして」と言う。僕の笑いをからかわれたとでも思ったのか、リディアはむっと唇を尖らせた。無意識のそんな動作に目が奪われる。
「でも、もうあんな風に迎えになんて来なくていいから。っていうか、どうしてあたしがあそこにいるってわかったのよ?」
「愛の力かな」
「ふざけないで」
だって、調べさせてたなんてことを素直に言ったら怒るに決まってるじゃないか。
肩をすくめると、リディアは鞄を掴んで車から降りようとした。
「ちょっと待ってくれ」
「何よ?」
だからどうしていつもそう喧嘩腰なんだ。
愛想よくしてほしいとは言わないから、せめてもっと普通にしてほしい。そんなに僕の望みは高望みなんだろうか。
内ポケットから取り出した箱をリディアの膝に落とした。差し出しても受け取ってくれないことはもうわかっている。
「……何なのよ、これ」
「開けてみればわかるよ」
「高価なプレゼントだったらいりませんから」
そうして箱を突き返してくる。ため息をつきながら、僕はそのラッピングをほどき始めた。プレゼントの箱を自分で開けるほど虚しいことってそう無い気がしてくる。
取り出したチャームのついたネックレスを、リディアの首元にあててみた。不快そうな顔をしながらも、気になるのがリディアは自分の胸元を見下ろしてる。
「うん、よく似合う。可愛いよ」
やっぱり僕の趣味とは少し違うけど、リディアにはこうした可愛いデザインの物がよく似合う。
「またネックレス? いらないって言ったでしょ」
「返されても困るんだけどな。まさか僕がするわけにはいかないし。君がもらってくれないとゴミになる。いらないのなら捨ててくれて構わないよ」
本気だった。
それがわかったのか、リディアは怒った顔をしながらも困ったように、おずおずとネックレスを受け取った。
「君の趣味じゃない?」
「……そうじゃないけど」
それならどうして嬉しそうな顔をしてくれないんだろう。しなくても、ただ受け取ってくれればいいだけなんだ。僕の自己満足だってことぐらいはわかってる。
「高かったんじゃないの?」
「いや、ちっとも」
今回ばかりはお金を出して買ったわけじゃない。その分の労働はもちろん楽なものではなかったけど。
「この前のとは桁が違うよ」
多分そのぐらいだろうと大体の勘で言えば、リディアは信じられないことを口にした。
「一万ぐらい?」
普通プレゼントの値段を聞いたりしないだろう、ってことよりも。
これがたった一万で買えると思うリディアに、僕はただびっくりした。
どうやらこの金色の鎖もチャームも、ゴールドだとは思っていないらしい。抜けているというか、今まで本当に宝石らしい宝石なんて貰ったことが無いんだなと改めて知った気持ちだった。
「うん、そう。そのぐらいかな」
吹き出しそうになるのを堪えながら僕は頷く。安物だと思えば、少しは身に付けてくれる気になるだろうか。
本当は安い車なら買えるぐらいの値段なんだけど。そう知ったらリディアがどんな顔をするのか、想像すると少し笑えた。
「でも、本当にもうこういうのはいらないから」
「僕があげたいだけなんだから。気にしなくていいんだよ」
「嫌なの。一方的にただもらうだけっていうのは」
「じゃあ僕にもくれたっていいんだよ」
「何を?」
少しバカにしたように言われた。自分で何でも買えるくせにと。
「君からの愛とか」
「無いものはあげられませんから。死んでも無理よ」
「じゃあキスでいいよ」
愛が無理ならその程度でも別に。
言って、無理やりにでも貰おうと顔を引き寄せた。何となくその気になっただけ。でも、きちんと温もりを味わう時間もなく、ただほんのちょっと掠れるように触れただけで突き飛ばされた。
泣きそうな顔で。
「な、何するのよ……!」
「まだしてない。未遂だけど」
「バカっ!」
今度の平手は避けようが無かった。少し驚いていたんだと思う。キスをしようとして嫌がられたことなんて今まで一度も無かったから。
そのまま、逃げるようにしてリディアは車から飛び出て行ってしまった。バタンと玄関の扉が閉まる音がする。名前を呼ぶ暇もなかった。
「……初めてだったのかな」
叩かれた頬を押さえながら呆然と呟いた。
まさか、あの年で? 男性経験は無いんだろうなとは思っていたけど、まさかキスもしたことが無いだなんて。今時小中学生だってやってることなのに?
「敵わないな」
あぁ、そうだとわかってたら、もう少し雰囲気に気をつけてあげたのに。最初に聞けば良かった。
今日の収穫はこれだけか。だんだん頬が痛んでくる。早く冷やさないと腫れが残るかもなと思いながら、エンジンを吹かせた。
最低な男の続編です。今度はエドガー視点で。
仲の悪い二人を書くのがすごく楽しいです。エドガーの最低っぷりも^^
でもこの二人、こんなことしてたら一生進展しなさそうだ。
(08.7.17)
仲の悪い二人を書くのがすごく楽しいです。エドガーの最低っぷりも^^
でもこの二人、こんなことしてたら一生進展しなさそうだ。
(08.7.17)