ROOM*ROOM


A5/オフ本/52P/¥400
08年5月発行、09年12月完売
ルームメイト番外編。再録本に入れた書き下ろし部分のみ収録。

[ ご馳走があって、ケーキが無くても ]


「ねぇリディア。このホテルなんてなかなかお洒落だと思うんだけど、どうかな。夜景も素敵だし、ディナーの内容にも満足してもらえると思うんだけど」
「は?」
 夕食の後片付けをしていたリディアは、聞こえてきたエドガーの声に、水を出したまま顔を上げてしまった。
「何の話をしてるのよ」
「だから、泊まるホテルの話」
「泊まるホテルって何なのよ! あたしはそんな話は知らないわよ」
 シンクに勢い良く流れ続ける水に気づいて、慌てて止める。
 汚れた食器はまだ残っていたが、とても皿洗いを続ける気にはなれなかった。だって、泊まるホテルとは。一体エドガーは何をしようとしているのか。
 つけていたエプロンで手を拭いて、ぱたぱたとスリッパの音を立てながら、キッチンからリビングへと向かうリディアを見つめて、エドガーは嬉しそうに「新妻みたいだね」なんてふざけたことを言う。
「ホテルって何のことよ。あなた何をしてるのよ?」
 リビングのソファで何かを読んでいるようだったから、てっきり読書でもしているのかと思ったら。
 見れば、机の上に乗っているのは、文庫本ではなく旅行のパンフレットだ。
「旅行に行く気なの?」
「旅行とまではいかないけど、食事をした後にそのまま泊まりたいなと思ってね。夜景を眺めながらワインでも飲みなおすのもいいだろう?」
「あ、あの、だれと?」
「もちろん君と」
 他にいるわけないだろうとでも言いたげに、エドガーは驚いたようにわずかに目を見開く。
 けれど驚いたのはリディアの方だ。
 エドガーと二人でホテルに泊まる? そんなの冗談じゃない。
「い、行くわけないでしょ! 何であなたと一緒にホテルになんか泊まらなきゃいけないのよ。勝手にそんなの決めないでちょうだい!」
「じゃあ君は、一体どうやってクリスマスを過ごすつもりだったんだ?」
 つまり食事をしてからホテルに泊まるというのは、何週間後かに迫ったクリスマスの予定なのか。
 ドラマなんかではよく見る展開だわと思えば、リディアはどうすればいいのかわからなくなる。まだ高校生のリディアには、そんなデートは早すぎる。デートだと意識するだけで恥ずかしいというのに。
 一体どうやってクリスマスを過ごすつもりかと言われても。
 まだ十二月に入ったばかりだ。確かに、ホテルの予約を取るのであれば、もう予定を考えなければいけないのかもしれないけれど。そんなつもりは全く無いリディアは、何も考えてはいない。もうすぐクリスマスだということはわかっていても、その前に迫った期末テストの方が、リディアにはよっぽど重要だった。
「どうやってって……別に、いつも通りに過ごしてればいいじゃないの。ご馳走とまでは言えないけど、何か食べたい物があれば作ってあげるし……」
 それともエドガーは、リディアの手料理ではなく、ホテルの高級ディナーが食べたいのだろうか。
「リディアの愛がこもった手料理を食べられるのは、そりゃ嬉しいさ」
 リディアの気持ちを読んだかのようにエドガーは言う。
 だけど、愛をこめたって。全く入っていないとまでは言わないが、面と向かって真面目な顔でそんなことを言わないでほしい。
「だけどリディア。この部屋でクリスマスを迎えた場合、僕らの邪魔をする猫がいるじゃないか」
「猫って……ニコが怒るわよ」
「僕はね、君と二人きりのクリスマスを過ごしたいんだよ、リディア」
 扇情的な灰紫の瞳が、熱くリディアを見つめている。
 そんな視線を向けられると、何だかエドガーに触れられているような気持ちになってしまって、焦ってリディアは視線をそらしてしまう。触られていないのにエドガーの指の感触を思い出してしまうなんて、あたしはもしかしたらおかしいのかもしれないと思いながら、リディアは必死に平静を装う。
「別に、普段から二人きりになる機会なんていくらだってあるし……ニコだって、きっとクリスマスのご馳走を楽しみにしてるわ。あたし達だけ出かけたら可哀想じゃない。わざわざホテルになんて行かなくていいわよ」
「君は僕よりもニコの方を優先するのか?」
 拗ねたようにエドガーは言う。どっちを優先させるとか、とくにそんなことを考えたわけではないリディアは、ため息をつきながらお茶の用意を始めた。少し落ち着いてほしい。
 ホテルでのディナーなんて、リディアには敷居が高すぎるということに、エドガーは気づかないのだろう。きっと彼にとっては当たり前のことなのだから。
 住む世界の違いなんて、もう気にしないようにしようと決めたリディアだが、こんな瞬間にやはり意識をしてしまう。同じマンションで暮らしていても、やっぱりエドガーとは生活も価値観も違うのだと思い知らされてしまう。
 でも、流されるわけにはいかない。
 いれた紅茶をエドガーの前に置くと、「ありがとう」と言って彼は微笑む。そんな時のエドガーは、煌びやかで眩しい笑顔というよりは、リディアがほっとできるような、安心させるような笑顔を浮かべていて、胸の奥がほっこりとするのだ。
 いつもそんな風に笑っていてくれればいいのに。
 向かいのソファに戻ろうとすると、エドガーに腕を掴まれ、隣に座らせられた。そのまま腰に腕が回って身体が密着する。仕事から帰ってきてスーツを脱いだエドガーは、いつものシャツとズボンという格好だが、リディアはもう夕飯の前に風呂に入ってしまったのだ。厚手のパジャマは、けれど普段着に比べると薄いもので、どうしたって緊張する。エドガーに、とたんにうるさくなった心臓の音が聞こえてしまいそうで。
「僕と二人きりのクリスマスを過ごすのは、嫌?」
「い、嫌、っていうか……」
 至近距離で覗き込んでくるエドガーの瞳は、いつも異常に艶っぽい。男の人に使う言葉ではないのかもしれないが、そんな表現が本当にぴったりなのだ。
「じゃあ、どうして? 僕のことが嫌じゃないのなら、二人きりでロマンチックなイヴを過ごしてもいいんじゃないのかな。それとも、他に何か希望でもある? 教えてくれ、リディア。君と思い出に残るひと時を過ごしたいんだ」