そう言われたのは、確か中学三年の頃だった。
人付き合いがどうにも苦手で、中学校の入学式も、リディアにとってはただ憂鬱なだけだった。友達ができるかどうか不安で、けれど自分から話しかける勇気はないリディアに、優しく声をかけてくれたのが彼女だった。
明るくはきはきとした性格の子だった。リディアは彼女のそんな部分を好きになって、友達になるのに時間はかからなかった。
入学してから三年に進級するまで、ずっと仲のいい友達だった。
けれど、どうやらそう思っていたのはリディアだけで、彼女の方は、徐々にリディアに対して複雑な気持ちを抱くようになっていたらしい。
そんな彼女の思いが爆発したのは、中学三年の時のヴァレンタイン。
彼女には、ずっと好きなクラスメイトがいた。
友達だと思っていたのに、リディアはそれを知らなかった。女の子達が好んで交わす恋愛話を、あまりリディアが好きではなかったからかもしれない。リディアからそんな話を振ることはなかったし、彼女が自分から話を振るようなこともなかったから、一年からの付き合いであるにも関わらず、好きなクラスメイトの名前も知らなかった。いや、片思いをしていることすら知らなかったのだ。
そんな彼女が、ヴァレンタインの日に告白をした。
そうして、無残にも振られてしまったのだ。
リディアが絶好されたのは、そのすぐ後のことだった。その時のリディアには、どうして自分がそんなことを言われなければならないのか、皆目検討もつかなかった。理由がわかったのは、後日、他の友達に理由を聞かされてからのことだった。
つまり、彼女がずっと好きだったのは、リディアの幼馴染だったのだ。
それ自体にもリディアは驚いた。けれどもっと驚いたのは、自分が彼の幼馴染であることに、彼女がずっと嫉妬心を覚えていたということだった。
そんなことを言われても、リディアだって困る。好きで幼馴染になったわけではないし、そのことでリディアが自慢をしたことなんて一度も無いのだから。
けれどそれよりも何よりも、一番まずかったのは、その幼馴染の振り方だったのだろう。手作りのチョコを持って告白をしに来た女の子に、彼はにべもなく言い放ったらしいのだ。
「リディア以上に好きになれる女の子はいないから」
その結果、リディアは友達に絶好を言い渡されてしまったのだ。
何度思い返しても、そんな振り方は無いだろうとリディアは思う。もう少し相手を傷つけない振り方があったはずだ。けれどそう思いながらも、どんな振り方をされたとしても、同じように彼女は傷ついたのだろうとも思う。そうして、彼女が常日頃からリディアに嫉妬心を燃やしていたのなら、どのみち結果的には同じことになったのかもしれない。
「……あの、疫病神」
自分の声で、リディアは目を覚ましてしまった。
この夢を見るのは、もう何度目になるのだろう。すっかりトラウマになってしまっているらしいと気づいて、ため息がもれる。
それも仕方ない。幼稚園に始まって、中学校を卒業するまで。ずっと同じような揉め事は続いていたのだ。中でも、仲のいい友達だと思っていた分、彼女との絶好は胸に響いた。こうして今でも夢に見るぐらいには。
「幼馴染じゃなかったら、どれだけ平和だったのかしら……」
無駄だとわかっていても、ついついそんなことを考えてしまう。
深いため息をもらしてから、リディアは起き上がった。普段の起床時間よりもだいぶ早かったが、今から寝なおせば寝過ごすことは確実だ。夏休みボケが直りきらず、昨日も一昨日も寝坊だった。
まだしばらく鳴らないであろう目覚ましを止めると、リディアはパジャマを脱ぎだした。いつもは慌てる着替えも、早起きをした今朝はそんな必要はないのだと思うと、何だか不思議な気分だった。
リビングに下りていったリディアは、ダイニングテーブルに座りくつろいだ様子で新聞を読む『疫病神』の姿を見たとたん、露骨に嫌な顔をしてしまった。
「何でいるの?」
おはようの挨拶も無しにそんな不躾なことを尋ねるリディアに、けれど驚いた様子もなく疫病神―――エドガーは顔を上げた。そして、リディアの顔を見たとたんに嬉しそうに微笑む。
「おはよう、リディア。今日も可愛いね」
「お世辞は結構よ。で、何で朝からいるのよ?」
生まれた時から家が隣同士なだけあって、一日の間で顔を合わせる時間は多かった。けれど、こんな朝早くからというのは滅多に無い。
睨み付けるリディアに対し、エドガーは新聞を広げたまま、あっさりと答える。
「言ってなかったっけ? うちの家政婦が今日からしばらく休みなんだ。何でも、娘さんが出産するみたいでさ。落ち着くまで休ませてほしいって言われたんだ」
「だから、うちに朝食を食べに来たってわけ?」
「うん。オムレツが食べたいな」
悪びれた様子もなく、エドガーは柔らかな微笑みを浮かべながら言う。
輝くような金髪に、印象的な灰紫の瞳。幼い頃は人形のようだった顔立ちは、今では女性にため息をつかせずにはいられない程に成長している。その所為で、リディアはずっと苦労させられているのだ。無駄に顔が整っている所為で、エドガーに思いを寄せる女の子は後を絶たない。そうして彼女達は揃いも揃って、幼馴染のリディアに敵対心を寄せるのだから、たまったものではない。
けれど、そんな整った顔とは裏腹に、強かな性格をしていると知っている者は数少ない。
「カップ麺でも食べてればいいじゃない」
そんなことを言ってしまうのは、今朝の夢の所為だ。
もう昔のことだとはわかっていても、それでもイライラが収まらなくて、ついそんなきついことを言ってしまうリディアにも、エドガーは微笑んだままだ。
「そんなこと言っていいのかな。せっかくいい情報を持ってきたのに」
いい情報。
耳はぴくりと動いてしまう。けれどあからさまに飛びつくのは悔しくて、リディアはキッチンに向かいながらも、何でもない様子を装ってしまう。
「それが何よ。教えてくれなくてもいいわよ、別に」
「ふぅん、本当に? 今日の数学で、抜き打ちのテストがあるって情報だったんだけどな。リディアはあんまり数学が得意じゃないし、知らなかったら悲惨なことになるかなと思って教えに来たのに」
「え、本当!?」
開けたばかりの冷蔵庫をばたんと閉め、リディアはリビングにかけ戻っていた。
「詳しく知りたい?」
新聞を広げたまま、エドガーはにやりと笑う。
悔しい気持ちが消えたわけではなかったが、それよりもテストの情報の方が大事だった。いつも数学には泣かされているのだ。
「教えてくれるつもりで来たんでしょ?」
それでも素直に教えて欲しいとは言えなくて、リディアはむくれた表情になってしまう。こんなところが可愛くないのだとはわかっていても、他の女の子がするような、可愛い態度はリディアには似合わないのだから仕方ない。
「教えたら、君は何をしてくれる?」
なのにエドガーは、期待するような笑顔でそんなことを言う。
リディアができることなんてたかが知れている。そんなことはエドガーもわかっているだろうに、一体何をしてほしいのだと、不思議に思いながら尋ねた。
「何をしてほしいのよ?」
「キスとか」
「……殴っていい?」
軽く拳を握ってリディアが睨みつけても、エドガーはからりと笑うだけだ。
「じゃあね、朝食のオムレツでいいよ」
キスに比べれば全然マシだ。仕方ないとキッチンに戻り、冷蔵庫から卵をいくつか取り出しながらも、面白くない気分だった。いつもいつも、エドガーの思い通りにされてしまうのだから。
「そういえば、教授は?」
エドガーも、ただ座っているだけではない。食パンをトースターに突っ込む様子は慣れたものだ。週の半分近くカールトン家に入り浸っているエドガーは、父親よりもこの家について詳しいだろう。恐らく父は、詰め替え用のシャンプーやアイロン台がどこにしまわれているかなんて知らないに違いない。
「昨日は帰ってくるのが遅かったみたいだから、きっとまだ起きてこないわ。教え子さんの結婚式があって、遠くまで出掛けてたから」
「へぇ」
のん気な返事は、すぐ後ろから聞こえてきた。
肩越しに、エドガーがリディアの手元を覗き込んでいた。リディアがキッチンに立っていると、エドガーはよくこうしてくっついてくる。
「もっとベーコンを入れてほしいな」
「我がまま言うとあなたの分だけ作ってあげないわよ」
「リクエストしただけじゃないか」
「それが我がままなの」
怒りながら振り返った瞬間、頬に唇を押し付けられた。
「もう、邪魔しないでよ!」
「ただの挨拶じゃないか」
肩をすくめると、エドガーはテーブルへと戻って行った。
あんな挨拶をするのはエドガーぐらいだ。キスされた頬をこすりながら、リディアはフライパンに小さく切ったベーコンを入れる。もうお互いに小さな子供ではないのだから、ところかまわずキスをする癖は何とかしてくれないものだろうか。
できあがったチーズとベーコンの入ったオムレツを皿によそりテーブルへ運べば、トーストはキツネ色に焼きあがっていた。いつものようにバターとイチゴジャムを並べ、コップにはたっぷりと牛乳を注ぐ。
向かい合わせに座りながら、エドガーは嬉しそうにオムレツを食べ始める。オムレツぐらい、いくらでも家政婦さんが作ってくれるだろうに、どうしてそこまで喜ぶのかリディアにはさっぱりわからない。
「それで? 数学のテストって本当なの?」
「うん。今日の五限目辺りに来ると思うよ。先週配られたプリントあるだろ? 宿題って言ってたやつ。あそこから大部分出題されるみたいだから、後で見直しておいた方がいいよ。それで赤点だと再テストになるみたいだから」
「何でそんなに詳しいのよ」
トーストにバターを塗りながら答えるエドガーに、リディアは感心すると言うよりも少し呆れてしまう。
「生徒会役員なんてやってると、色々と情報は入ってくるものなんだよ」
そう言うと、エドガーは完璧な微笑みを浮かべる。
クラスの女の子達が騒ぐ微笑みだ。けれどそんなもの、リディアはもう見慣れてしまっている。教えてくれたのはありがたいが、おかげで朝から憂鬱な気持ちだ。どうして数学なんてものが世の中に存在するのだろう。
「きっとクラスの半分以上が赤点だろうね。宿題なんてやってない子がほとんどだろうし。あの先生も、本当抜き打ちテストが好きだよなぁ」
人事のような口調で言う。
「そうよね。あなたはいつテストを受けたって、満点取れる自信があるものね」
つい嫌味っぽい口調になってしまったリディアに、エドガーは困ったように苦笑した。
エドガーが人一倍頭がいいのは、それだけ努力をしているからだ。身近にいる自分が一番よくそれをわかっているはずなのに。
「あ、あの……」
「うん。だから別に僕は困らないけど、リディアはそうじゃないだろうなと思ったからさ。でも、余計なお世話だったかな」
もしかしたら、朝食を食べに来たというのは嘘で、リディアに抜き打ちテストがあるということを教えるために来てくれたのだろうか。
そんな風に思ったら、先ほどからの自分の態度がひどく子供めいたものに思えて、とたんにリディアは申し訳ない気持ちになった。
「ううん。あの、助かるわ。ありがとう」
なまじ身近にいるものだから、ついつい意地を張ってしまって、エドガーに助けてもらうことはたくさんあるのに、お礼を言うことは少なかった。
珍しく素直な気持ちでそう言えば、エドガーは驚いたように目を丸くした。リディアがそんな風に言うとは思っていなかったのかもしれない。
「本当にそう思ってる?」
しかも疑われているし。
「思ってるわよ」
「じゃあさ、学校で僕らが幼馴染だってことをばらしても―――」
「それは絶対に嫌」
最後まで聞くことなくリディアがそう言い切ると、エドガーは重苦しいため息と共に肩を落として見せた。
エドガーには、何かある度に助けてもらっているとはわかっている。
けれど、それとこれとは別なのだ。
助けてもらう以上には、迷惑もかけられているのだと、リディアは今朝の夢を思い返してそう思わずにはいられなかった。