キャンパスライフ
 車とやらが真横をびゅんびゅんと走り去っていくたびに、ソフィーはびくんと体を跳ねさせた。ハウルに何度、「そう簡単にはぶつかってこないよ」と笑いながら言われたところで、ソフィーの緊張が解けるわけではなかった。
(そう簡単には、ってことは、ぶつかることもあるってことでしょう?)
 ソフィーがそう言うと、ハウルは少し言葉につまったように視線を宙に彷徨わせてから、「まぁ、事故はどこにでも付き物だからね」と、全くもってソフィーを不安にさせてくれることを言った。こんなにスピードを出した大きな物体がぶつかってきたら、それこそ人間なんて木っ端微塵になってしまうではないか。あぁだから、やっぱり車なんてものはろくな物ではないのだ。
「大丈夫だって、ソフィー。あんたは未来の旦那の職業をお忘れかい? もし車が突っ込んでくるようなことになっても、僕はすぐにあんたを助けてあげるさ」
「だってハウル、ここじゃ魔法は使っちゃいけないんでしょう?」
「普段はね。何せここでは魔法なんてものは無いことになってるから。でもいざとなれば話は別さ。僕は遠慮なく魔法を使わせてもらうよ。だから少しは安心しなさいって」
 ハウルはそう言って安心させるように微笑みを浮かべたが、世間一般には魅力的と称されるようなその微笑も、今のソフィーには何の効果も無いものだった。
「……こんな所になんて来なきゃいいのに」
 ハウルと並んで歩きながら、思わずもれた素直な呟きを、もちろんハウルは聞き逃したりはしなかった。「ソフィー!」と大袈裟に名前を呼んでから、ハウルは目を見開いてまくし立てた。
「あぁ、あんたときたらはまだわかっていないだなんて! ここまで来てそんなことを言われるだなんて思ってもみなかったよ。これからの生活を楽しみにしているのは僕だけだったのかい? 何てこった。僕はせっかく王様からもらった長期の休暇を、ただあんたと楽しく過ごしたいと思っただけなのに、あんたときたらそんな僕の気持ちも踏みにじってくれるんだから!」
「ちょ、ちょっとハウル!」
 人通りの多い真昼間からそんな風に叫ばれて、ソフィーは周りを見ながら慌ててハウルの口を塞いだ。通り過ぎる変わった服装(ソフィーの目にはそう映った)の人々は、ちらっとソフィー達を見たものの、何かを言うこともそれ以上見つめることもなくさっさと通り過ぎて行った。何だか見かける人という人は、全て急いでいるようにソフィーには感じられた。
「別に何もあたし、そこまで言った覚えは無いわ」
「僕にはそう聞こえたんだ」
「気のせいでしょ」
「僕は繊細なんだから、もう少し言葉に気をつけてしゃべってくれないと」
 ハウルは厚かましくもそんなことを言った。一体彼のどこが繊細なのか、ソフィーは教えてほしいぐらいだった。ただ臆病で我儘なだけじゃないの、と心の中でそっと呟いてから、二人は再び歩き始めた。
 道はずっと一本道で、白い策の向こう側には、絶えず車がびゅんびゅんと風を切って走っている。先ほどの大声はどこに行ったのかと不思議になってしまうほど、ハウルはすっかりご機嫌顔に戻って、調子のいい鼻歌なんて歌っている。
「ここもウェールズなの?」
「ウェールズに似てるけど、それとは別のまた違う世界さ。別にウェールズでも良かったんだけど、それだとウェールズのことを全く知らないあんたが上手く潜り込むことはできないからね」
 ハウルが何を言っているのか、ソフィーにはよくわからなかった。ここがウェールズでないことだけはわかったが、ウェールズと同じように車が走っているし、それにやはり魔法も人前では使ってはいけないらしい。服だって変だ。スカートはすごく短くて、足がすーすーして仕方ない。何だってこんな変な世界にハウルはやって来たのだろう。
「ねぇハウル。どこに行くの?」
「まぁまぁ。行ってみてのお楽しみってね」
 ハウルはそう言って教えてくれなかった。もう、と思ったものの、きっともうすぐ着くのだろうと思ってソフィーはそれ以上尋ねることはしなかった。慣れない世界は歩くだけで大変で、ソフィーはきょろきょろとしながらも絶対にハウルから逸れないようにすることだけで精一杯だった。
(王様からもらった長いお休みを、この世界で過ごすつもりなのかしら?)
 ハウルが荒地の魔女を倒したことすらつい最近のことだというのに、もう今は違う世界にいるだなんて。確かにあの日、ハウルはぞくぞくした暮らしになるだろうねと言ったけれど、これではなりすぎではないのだろうかとソフィーは思ってしまう程だった。
 ハウルはすぐさま王室付き魔法使いとなって働くものだとばかり思っていたのだが、その前に荒地の魔女を倒した功績を称えられて、長期の休暇を貰えることとなったのだ。と言っても、まだ王室付きらしい仕事などは何も始まっていなかったのだから、休暇というよりも働き出すのが遅くなったぐらいにしか思えないのだが。
 確かにあの件ではハウルはずいぶんとがんばったと思うし、それは王様もわかるからこそこうして長期の休暇をくれたのだろうが、だからと言って、だれが異世界にまで行ってしまうだなんて思うだろうか?
(本当にもう、やることが突拍子も無いんだから!)
 動く城に残ったマイケルとカルシファーは今頃どうしているだろうか? 笑顔で見送ってくれたけれど、マイケルは一人で寂しがってはいないだろうか。 (ううん、自由にマーサに会いに行けるって、喜んでそうだけど)
 先が思いやられて、はあ、と決して軽くはないため息をソフィーがもらした時、「ここだよ」とハウルは足を止めた。
「ここ?」
「ほらほら、ソフィー」
 ハウルは笑顔でソフィーを促した。物思いに耽っている間にびゅんびゅん走り去る車の数は減り、脇に反れたような道をハウルはずんずんと進んで行った。周りには同い年か、それよりも少し上ぐらいに見える若者達が同じように歩いている。
 並木道を進むと、やがて大きな建物が見えて来て、ソフィーはびっくりして目を大きく見開いた。
「すごい! ここはお城なの?」
「まさか! この国には王様のいるお城なんて物は無いんだよ」
 ハウルはおかしそうに笑ってから、ソフィーの顔を覗き込んで、今にも踊り出しそうな楽しげな声音で言った。
「さぁソフィー、これから、僕らの楽しいキャンパスライフの始まりさ!」


 かくして、どこかもわからない異世界にて、半ば無理やり、ハウルとソフィーのキャンパスライフは幕を上げたのだった。