「ねぇ……もういい加減にしてちょうだい。明日も花屋は開くんだから。あんただって仕事なんでしょう……?」
長く続く夫婦の蜜事に、文句を紡ぐ声は自然と掠れ、自分でもその声のあまりの頼りなさに驚いたほどだった。これでは文句を言っているのか誘っているのかわからないと、思った自分の思考に嫌気が差した。少し頬は赤くなったけれど。
「……もうちょっとだけ。あと一回で終わらすから」
「あと一回ってね。あんたさっきもそう言ったじゃない。いい加減にして、身体が持たないわ……あんたも少し自分の年を考えたら?」
いつもならこう言えば、「それはひどいよ奥さん」と、情けないほどに眉を下げてハウルは言い返してくるはずだった。そうしたらソフィーはその鼻面をぴしんと指ではじいて、そのうち腰を悪くするわよと、いつものように言って二人で笑い合うはずだったのに。
「お願い」
ハウルの手が再び伸ばされる。火照った身体は、容易く彼の指を受け入れる。自分の身体が、まるで彼のものになってしまったかのように、ただハウルの意思だけによって動かされる。好きに、されている。
それは確かに心地のよいものだったけれど、明日のことを考えれば、どうしたってその熱い波に流されるわけにはいかなかった。それに、引っかかりを覚えもしたから。
「ハウル。本当に止めて。それにあんたどうしたの? 何で今日に限ってそんなにしつこいのよ」
「しつこいって、ひどいな。ただ奥さんと愛し合いたいだけなのに」
ダメなの? と、ハウルが小首を傾げる。口元だけに笑みが浮かんでいた。ソフィーを見ているようで見ていない。
「お願いだから……ね、ソフィー」
「ハウ…っ」
名前を呼びかけた口は、ハウルのそれによって塞がれる。入れられる舌と絡み合う術は知っていたし、慣れてもいたけれど、今はもうそうする気になんかなれない。頭を動かしても、ハウルは諦めることなくソフィーの唇をむさぼり続ける。
「もう……いい加減にしてってば!」
平手を繰り出すことこそしなかったが、気分的にはそうしてやりたいぐらいだった。体力の違いを、少しは考えてもらいたい。結婚当初はもっと優しくしてくれていたのにと思うと、悔しくなって唇を噛み締めた。
「怒んないでよ、ソフィー」
額にくっついた前髪を振り払おうと、伸ばされた腕を叩いてやった。
「怒らせてるのはだれよ。嫌だったら止めるから、無理強いはしないからって、結婚した晩に言ったのはだれよ? もう数年も経ったらどうでもよくなったとでも言うつもり?」
「そんなんじゃないよ……あぁ、そんな怖い顔しないでってば。うん、わかった。あんたが嫌ならやめるから」
力なく微笑んで、ハウルは空いていたソフィーの隣に倒れこんだ。始めからそうしてればいいのよと思いながら、ソフィーはハウルに背を向けるようにして横になった。同時に、伸びてきた腕に閉じ込められる。
暑苦しいから止めてと、言っても良かったのだが、それはさすがに可哀想かなと思って喉の奥に仕舞い込む。ベッドの中でねばつかれるのも嫌だった。
「……どうかしたの?」
静かになって、やっと目が閉じられるようになったというのに。身体中の熱さはまだ残っていて、このまま眠りについてしまえば、きっと朝まで眠り続けられるだろうと思うのに。
「どうして、今日はそんなにしつこいのよ」
気になってしまうと眠れない。ただ何となくなのかもしれないけれど、普段のハウルは、それなりにソフィーのことを労わってくれる。家事と育児で疲れていることはわかっているから、無理をさせるようなことは普段はしない。
だというのに、今日はどうして。
「王様から、何か厄介な仕事でも命じられた? 長期の出張が入ったとか……」
「あんたって、昔から変わらずバカなぐらいお人よしだね。ついさっきまであんなに怒ってたくせに、もう僕のこと心配してくれるの?」
背中からは、思いの他明るい声が聞こえてきた。もっと落ち込んでいるかと思ったから、ソフィーは何だか騙されたような気持ちになった。
「バカなぐらいお人よしじゃなきゃ、あんたとなんか結婚できないわよ」
「それひどいな。それじゃ何さ、僕との結婚は慈善事業だとでも言うわけ? こんなにカッコよくて奥さん思いで、その上王室付き魔法使いだなんてなかなか無い良物件だってのに」
「その王室付き魔法使いを、ことあるごとに辞めたがってるのはどこのだれよ。ベンに聞いたわよ。この前も会議をサボったんですって? そんなことしてたら、そのうちあんた本当に首になっちゃうわよ」
「あぁ、それはいいな。じゃあ明日の会議もぜひサボらないと」
くっくとハウルは喉を鳴らす。そうじゃないでしょうと言いかけて、ソフィーは気づいた。はぐらかされている。肝心な問いに、ハウルは答えてくれていない。
結婚してもう数年が経つのに、どうしてこの人は相変わらずなんだろうと思う。臆病なことは知っている。不正直なことも。けれど妻にぐらい、もう少し素直になれないのだろうか。
最後の最後まで我慢して、そこでようやく吐露するぐらいなら、その前に話して楽になってしまえばいいのに。わざわざそんな、自分で自分を追い詰めるような真似をしなくたって。だれも、傷つけたりなんかしないのだから。
「……何か、あったのね」
ハウルが何も言わないからこそそうわかった。
「早とちりはあんたのお得意だねソフィー」
「あんたに関しては、そうでもないと思ってるのよ、あたし。違うって言うのならちゃんと顔を見せて」
「別に隠してるわけじゃ」
「隠してるじゃないの」
ぴしゃりと言い切ってやれば、背中の向こうでハウルは黙った。身体にまとわりついている腕は変わらず暖かい。服を着ている時には細身だと思ったけれど、脱いでみると意外にハウルの身体は男らしい。けれど白い腕を見ながら、つねってやろうかしらとソフィーは思う。
「あたしには言えないようなこと?」
「あんたに言えないことなんてないよ」
「……この嘘つき」