ブラッディ・マリーはいかが?


...16話
「私がソフィーを呼んだっていいんだよ」
そうオーガスタスが言うのは、僕がソフィーに避けられているからだろう。
一瞬そうしてもらおうかなと思ったけど、僕は断った。それこそ子供同士の喧嘩に親が出てくるような、そんな決まりの悪さを覚えたからだった。
「門前払いされたら慰めてくれるだろう?」
「あぁ。一晩中付き合ってあげよう」
「………………あー、ごめん、やっぱ遠慮するや」
引きつった顔で断る僕に、オーガスタスは笑顔で「それは残念だ」なんて言うんだから、本当止めてもらいたい。何かオーガスタスが言うと冗談に聞こえないというか……いや別に、ホモっぽいなんて言ってるわけじゃないんだけど。
車を出すという親切も断って、僕は適当に歩き出した。
そのまま歩きでソフィーの家まで行くつもりはなかったけど、多分少し時間が欲しかったんだろう。オーガスタスから聞いた話を頭の中で整理する時間が。
「奥が深いなぁ吸血鬼って……」
思わずもれた僕の呟きが聞こえたのか、犬の散歩をしながら横を通りかかったおばさんが驚いたように振り替える。
いやいや何でもないよって顔をしながら歩き続けたけど、まぁそんな話を聞かれたってだれも現実の悩み事だなんて風には思わないだろうから安心だ。
あまりに現実離れしてるから、かえって隠し事をしているだなんて自分でも思えなくなっている。例えばソフィーが僕の首筋に噛み付いている様子を見られたって、だれも血を吸ってるなんて思わないだろう。情熱的な愛情表現だって思ってくれるはずだ。そして次の瞬間には僕は校長に呼び出されてるんだ。
そのぐらい、吸血鬼なんて存在は現実離れしすぎてる。
それでも僕にとっては身近な存在であったはずなのに、そういえば知らないことっていうのは多すぎて、今だってまだ頭が軽く混乱している。
人間として生まれて、後々から吸血鬼になる。吸血鬼になった元人間の女の子、かぁ……。
そりゃああんだけ嫌がるのも無理はないよなぁ。十数年間普通に人間として生きてきて、そこから急に血を吸わなきゃ生きていけないなんて言われたら、どんな気持ちになるんだろう。
「……想像もできないな」
でも僕だったら何かあっさり適応しちゃうような気もするけど。
だけどやっぱりそれも想像にしか過ぎなくて、もちろんソフィーの気持ちなんてわかるはずもない。
生まれながらにして吸血鬼ならまだいいのに。人間としての自分を知らなければ、きっともっと楽なはずなんだ。例えば持っていた物を無くすよりも、最初から無い方がいいように。無くなってしまった人間だった自分を、ソフィーはこれからずっと思い出さなきゃならないんだろうか。
心臓を、突かれたような気がした。
「悲しすぎるよなぁ」
これからソフィーに会いに行って、僕はどうすればいいんだろう。
何ができるんだろう。
ずっと人間として生きてきた、今も人間の、そしてこれからもずっと人間でいるだろう僕が何を言ったって、慰めにもならないんじゃないのかな。
でもオーガスタスは、僕に会いに行ってほしいみたいだった。まぁ、機嫌は治してもらわないと困るし、それに食事だってしてもらわないと……可哀想だとは思うけど、それでも体調を崩させるわけにもいかないんだから。
つまり結局、何をどうこう考えたところで、僕にできることなんて大して無いんだ。
それなら悩むだけ無駄だ。こういう切り替えの早さは僕の長所だと思う。あんまり友人達には評判がよくないんだけどどうしてなのかな。
適当に歩いている内にバス停を見つけた。数十分バスに揺られて地元の駅まで着いて、そこからものんびりと歩いてソフィーの家に向かう。
何か手土産でも買っていった方がいいのかなとも思ったけど、のん気にケーキなんて食べたい気分じゃないだろうなぁと思って諦めた。何となく、ソフィーはケーキが好きだろうなぁと思ったんだけど。イチゴショートとかすごいよく似合う。いつか一緒にちょっとお洒落なケーキ屋さんにでも行ければいいのにな。
手ぶらのまま住宅街の中に入る。僕の家はもうちょっと行った所のアパートだから、静かな住宅地の雰囲気は何だかちょっと居心地が悪い。
似たような家がキレイな区画ごとに並べられていて、うっかりすると行き過ぎてしまうから気をつけないといけない。そうして見つけたハッターの名前。
この家に吸血鬼の女の子が住んでるなんて、だれも思いもしないんだろうな。閑静な住宅地なんて、僕らのイメージする吸血鬼には似合わなさ過ぎる。お化けでも住んでそうな古い洋館とかじゃないと、何だかしっくり来ない感じが今でもするぐらいだ。
僕だって知ったらソフィーは家から出てきてくれないかもなぁ、なんて思ったけど、まさか無断で家に入るわけにも行かないからインターホンを押す。
居留守を使われたらどうしよう、なんてことも考えたけど、しばらくしてドアは開いた。
だけどそこに現れたのはソフィーでもなければソフィーの家族でも無かった。
何でこいつがいるんだ。
「何しに来たんだよ」
僕なら気に入らない奴が目の前にいたら、無言でドアを閉めるぐらいのことはしてやるけど、そうはしなくて一言いってやらなきゃ気がすまないって辺りにこいつの青さを見た気がした。
「ソフィーに会いに来たんだけど」
「会わせてやると思ってんのかよ」
はっと鼻で笑われた。
相手は子供、相手は子供。ここで喧嘩をしたってどうにもならない。
「会わせてやるって何なのさ。ソフィーはあんたの娘なわけ?」
「ソフィーがあんたに会いたくないって思ってることがわかる程度には深い付き合いだよ」
相手は子供、相手は子供。……なんていくら自分に言い聞かせたって無駄だ。こいつと僕の相性は合わなさ過ぎる。
高校生のくせに深い付き合いだなんてよく言える。それがどういうものなのかもろくにわかってないくせに。
「あぁそう。あんたにどう思われたって別に構わないけどね。ここはソフィーの家であんたの家じゃない」
門を開けて勝手に中へと入っていく。ジャン・バティは露骨に顔をしかめながらも、ドアの前からどこうとしない。僕を中に入れる気はないようだ。
「通せんぼ、って、よく小学生の男の子がやりそうなことだよね」
バカにしきった笑みで言いながら、わずかに僕よりも高いジャン・バティの顔を睨みつける。
「ぶん殴ってやろうか? 今度このてめぇの顔ぶっつぶしてやるよ」
どうやら前回のことは全く反省なんてしてないらしい。まぁ、そうだと思ったけど……。こんな間近で、あの馬鹿力に殴られたら死ぬかもしれない。
「なるほどねぇ。玄関先で僕の死体を見つけたら、さぞかしソフィーは喜ぶだろうさ」
「安心しろよ。ソフィーに気づかれる前に庭に埋めてやるから」
「あぁ、埋葬までしてくれるわけ? そりゃいいさ。きっと僕はいい肥料になるだろうからね」
ところで。
「そういえばジャン・バティ。あんた、ソフィーに風呂覗かれたんだって?」
「なっ」
口をぱかっと開けるジャン・バティの身体を押しのけて玄関に入った。
「この、てめ、何でそれを……!」
「ソフィーから聞いたんだよ。あぁ、安心して大丈夫だよ。ソフィーはなーんにも気にしてなかったみたいだからね。今度から風呂に入る時はしっかり鍵をかけたらどうだい?」
高校生のガキの分際で、大人に口先で勝とうだなんて無理なんだよ。
後ろから慌てたように追いかけてくるジャン・バティを無視して、僕はリビングに入って行く。
「てめ、マジで殺されてぇのかよ!?」
「あぁそうだ、ジャン・バティ。忘れてた、オーガスタスから伝言があったんだ」
ものすごい力で肩を掴んでくるジャン・バティを振り返る。馬鹿力なんてものじゃないだろうこれ……。
「今度の試験でまた赤点取るようなら、しばらくソフィーの所に行くのは禁止させるってよ」
オーガスタスの名前に、ジャン・バティはぎりっと歯軋りをした。数秒間睨みあう。
「……泣かしたらマジで庭に埋めるぞ」
最後に軽く突き飛ばされて少しよろけた。
捨て台詞を残して、ジャン・バティはリビングから出て行った。階段を上っていく足音が聞こえる。気を利かせて部屋から出て行ってくれたというよりは、ふてくされてるような足音だった。どうやったって、オーガスタスには逆らえないらしい。何となくその気持ちはわかるけど。
庭に埋められたくはないよなぁ、と思いながら部屋を見回す。つい最近も入ったリビングだ。でもソフィーの姿はどこにも無い。
それでも僕は焦らずに、台所をひょいっと覗いた。
「あんた、何そんな部屋の隅っこにうずくまってるの」
親に怒られた子供みたいじゃないか。
ソフィーはびくっと肩を震わせた。でも顔を上げてはくれなくて、そのままうずくまっている。
「ほらほら。僕はあんたと話をしに来たんだからさ……こっちおいでよ。せっかく邪魔な番犬もいなくなったんだからさ」
触れてもいいものか少し悩んだ。
ねぇ、と肩をゆする。振り払われでもしたらどうしようかと思ったけど、ソフィーはそのままじっとしてるだけだった。
「えっと、いきなり家に来てごめんね。でもさ、どうしても会いたくて……いやいや別に深い意味は無いんだけどいやそのえっと」
一人でしゃべって一人で焦って、何やってるんだろう僕。
何かアホみたいだな、と思って少し遠い目になる。あぁ、言いたいことぐらいまとめてくれば良かった。
「………………ってない?」
「え?」
ソフィーが何か言っていた。相変わらず、体育座りをしながら顔を両腕にうずめているから声が聞こえ辛い。
「ごめん。ソフィー、何て言ったの?」
「……先生、怒ってない?」
泣きそうに小さな声だった。
一瞬何を言われたのかわからなくて、すぐに返事ができなかった。
「え……何で僕が怒るのさ」
と言うよりも、僕は、てっきりソフィーの方が怒ってるもんだとばかり思っていたんだけど?
「怒ってないよ。僕は全然怒ってないからさ……とにかくほら、ソフィー、顔上げてよ。ね、落ち着いてゆっくり話そうよ」
こんな台所の隅っこにいるのなんてゴキブリぐらいのもんだよ。
ほらほら、とちょっと強引にソフィーを立たせる。軽いなあ。手を引いてリビングまで移動して、ソファに座らせた。やっぱりソフィーは俯いたままで、僕の顔を見てくれそうにない。
「あんた、僕が怒ってると思ってたの?」
黙ったまま、ソフィーはこくっと頷く。
「僕は、ソフィーの方が怒ってると思ってたよ」
「……なんで?」
やっとソフィーが顔を上げてくれた。一番に気になったのは泣きそうな表情よりもその顔色の悪さだった。青いっていうよりも、青白い。
「だって、ほら……この前も、昼休みに……余計なことを言って、怒らせちゃったのかなって」
「あれは……」
ふるふる、とソフィーが力なく首を振る。別に怒ったわけじゃないとでも言うように。
「あたし、先生を怒らせちゃったって思ったの。メールも無視しちゃったし、お昼休みだって……今日は行こうと思ったけど、先生が怒ってるかもしれないって思って……」
「心配はしてたけど、別に怒ってないよ。っていうか、今日来てくれれば良かったのに。あんたが来ないから、今日の昼食なんてそりゃわびしいものだったんだよ」
と自分で言いながら、いやいや問題が違うだろうとつっこんだ。
「だってあたし……」
「とにかく、僕もあんたも怒ってなんかないんだ。とりあえず、仲直りだけしておこうよ」
ね? と微笑めば、ソフィーは躊躇いつつも頷いた。
お互いに何で思い込んでたんだろうなぁ。僕らって思い込みが激しかったりするのかもしれない。あぁ良かった。これでとりあえずは安心できると思いながら、でもここで終わりじゃないんだよと自分に言い聞かせる。
むしろここからが本題というべきか。
「あのね、ソフィー。あんたは怒るかもしれないんだけどさ」
余計なことに首をつっこむべきじゃないってあれだけ思ったはずなのに、それでも今首を突っ込もうとしてるんだから、本当どうしようもないのかもしれない。
だけど知らないフリはできないし、そんなことをするのはソフィーに対してもものすごく失礼な気がする。何より僕の気が晴れない。
「オーガスタスから聞いたんだ……あんたが、最近、なったって」
何に、なんていう言葉はこの場合いらなかった。
ソフィーの顔色が変わった。表情と雰囲気が。その顔を見て少し後悔する。でも、隠したままいられるわけはないんだ。
「ごめん。勝手に聞くべきじゃなかったよね。だけど……」
「……それなら、先生もわかるでしょう?」
ソフィーの顔が歪んだ。
「人間だったのに、前まで確かに人間として生きてたのに、今はその人間の血を吸ってるのよ。そうしなきゃ生きていけないからって……とんだ化け物じゃない!」
「化け物だなんて思わないよ。あんたそんな風には見えないよ」
ソフィーだけじゃなくて、オーガスタスも、ジャン・バティも。
「化け物よ! だれが何て言ったって……もう人間じゃないんだから…っ!」
「ジャン・バティのこともそう思ってるの? 気に食わない奴だけど、でもあんたのことをすごい心配してることはわかってるよ。あいつだって人間じゃないけど、でもまぁ……ソフィーにとっては、優しい奴なんじゃないの? それでも、人間じゃないから化け物ってことになっちゃうの?」
「もし世間にばれたらそうなるわよ。生肉を平気で食べちゃうもの、ジャン・バティは。焼くと怒るのよ。不味いって」
言って皮肉気にソフィーは笑った。自虐的に。
「……そういう風に笑うの、良くないよ。せっかく可愛いんだからさ」
「可愛いなんてどうでもいいわよ、吸血鬼なんだから!」
驚いた。
ソフィーの口から、その名前を聞いたのが、初めてというわけではない。
でも、聞いて心臓が軽く跳ねるぐらいには、やっぱりその名前はまだ僕らの間で当たり前のものではなくて。そうして、今のソフィーは、あと一歩で壊れてしまいそうな、そんな脆さを孕んでいるように僕には見えて。
もう止めておいた方がいいのかな。話せば話すだけソフィーを追い詰めるだけのような気がする。オーガスタスは僕に何かを期待しているようだったけど、僕がその期待に応えられるとはとても思えない。吸血鬼のことだってろくに知らないんだ。ソフィーのことなんてそれ以上に。
あぁ、だけど。
そんな風に言わないでほしい。そう思ってしまうのも確かなんだ。
「どうでもよくないよソフィー。どうでもいいことなんて世の中にはそれほど多いはないよ。ねぇ、そりゃ……辛いことだとは思うよ。でも、何も死ぬわけじゃないんだ。学校にだって今まで通り通えるんだしさ。何もそう悲観することは無いんじゃないのかな」
よっぽど生肉を食べちゃう方が大変だと思うのは僕だけかな。だってまさか学校で生肉を食べるわけにはいかないんだから。
「ちょっと食事の仕方が違うぐらいでさ。でもそれ以外は今までとほとんど同じじゃないか。まぁ狼人間とかが傍にいるのは……ほら、付き合いの幅が広がったってことでさ。ね? 友達だって学校の先生だってさ、だれもあんたがそうだなんて思わないんだし……もしかしたらその内、ほら、僕みたく、別に吸血鬼とか狼人間とか気にしない友達だってできるかもしれないし」
「友達なんてもういらないもの」
強い口調に僕は首を傾げる。だから、どうしてこの話になるとソフィーはこんなにも頑なになるんだろう。
「何でさ? 人付き合いなんて今まで通りできるじゃないか。オーガスタスだってきっとそう思ってるし……」
「どうしてできるって思うの? 何でそんなことが言えるの!?」
ソフィーが叫ぶ。その必死さに、何か間違ったことを言ったんだろうかと僕は慌てる。
「だって……別にあんたもオーガスタスも、映画なんかに出てくる吸血鬼みたく危ない存在なんかには見えないよ。実際そうじゃないんだし、友達とだっていくらだって付き合えば……」
「何で……何で、あたしに実際に噛まれてるのに、先生はそんなことが言えるの……!」
噛まれてるからこそ言える台詞だと思った。実際にソフィーに噛まれても、それでもやっぱりソフィーを化け物だなんて思えなかったから。
でもソフィーは違ったんだ。
「あたし、友達も、噛んじゃうかもしれないって……!」
その言葉に、多分、全部入ってた。
あぁ。……何で、わからなかったんだろう。わかって、あげられなかったんだろう。
「絶対に、人からは吸わないって決めてたの。ジャン・バティを初めて噛んだ時に……絶対に、人は噛まないって決めたのに、ジャン・バティの次は先生を噛んじゃった……!」
僕を初めて噛んだ日から、もしかしてずっとソフィーは一人で思いつめてたんだろうか。
そんなこと気にしなくていいのに。僕は何も気にしてなかった。
「友達も噛んじゃったらどうしようって……っ」
とうとう泣き出してしまった。
我慢できなくて、泣き出したソフィーを抱きしめた。
「……そんなことないから」
あやすように背中を撫でる。
「オーガスタスから聞いたよ。あんた達は、血への欲求とかそういうのはないんだろ? 僕からの食事だって無理やり飲んでるようなものなんだしさ……。それなのに、友達を噛むとか絶対に無いから。何より、あんたがそんなことするとは思えないよ」
「そんなのわかんないわ。あたし、絶対に人からは吸わないって決めてたんだもの。絶対にそれだけはしないって……!」
「じゃあ万が一、本当にそうなりそうなことがあったら、僕が止めてあげるから!」
どうして僕はソフィーを信じることができるのに、ソフィー自身は自分を信じることができないんだろう。
僕の胸から顔を上げて、ソフィーは笑った。馬鹿げた冗談を聞いたみたいに。
「……無理よ、そんなの。あたしはもう、この先ずっと……卒業したら、先生とだって会わなくなるのに」
「卒業したっていいじゃないか。ずっと傍にいるよ」
ソフィーがぱちっと瞬きをする。
ずっと傍にいるって、それはちょっと。
「いやいやいや違うから、別にそんな下心とかは無いよ本当に! 違うんだ、ただ純粋にさ、ほら僕らだってそうしたら友達になったっていいわけだし……」
言い訳すればするだけ、下心があるって認めてるようなものだと気づいてなおさら焦る。あぁもう……。
「だからとにかく僕が言いたいのは、あんたは絶対にそんなことはしないってことだよ。あんたがそれでも心配だっていうのなら、僕が見ててあげるから」
目を見つめながら力強くそう言えば、ソフィーは迷ったようだった。瞳が揺らぐ。
「大丈夫だよ、ソフィー。……絶対に大丈夫だって、僕は信じてる」
ソフィーが自分を信じられない分も。
「……何で、信じられるの?」
「だってあんた、そんな子じゃないだろ。優しい子だってわかってるから」
簡単なことだよと僕は笑う。たったそれだけのことじゃないか。
「今すぐには無理でも、あんたもその内、自分を信じてあげられるようになるよ。あんただけじゃなくて、子供の頃って、みんな自分のことが嫌いなものなんだ。どうしてこうなんだろう、どうしてああできないんだろうって後悔するばっかりでね。……でもね、不思議とその内自分のことが好きになるんだ。好きにならなきゃ、多分これから先何十年と生きていくのが辛いから、自然と好きになっていくんだよ。駄目なところもいっぱいあるけど、でもいいところもいっぱいあるってわかるようになるんだ。僕もそうだったから、大丈夫だよ」
今はまだ難しくてもその内には、きっと。
振り返って、あの頃はなんであんなことで悩んでたんだろうなぁって、ソフィーも思ってくれるようになるといい。
「一緒にいるから」
言葉だけじゃ足りなくて、ぎゅっと抱きしめた。伝わればいいのに。
「―――大丈夫だよ」
今まできっとだれも、ソフィーにこんなことを言ってあげる人はいなかったんだろうなと思ったら、僕まで泣きそうになって困った。
吸血鬼のことなんて何もわからなくていいから、ソフィーに必要だったのはこういう相手だったんじゃないのかななんて思いながら、ソフィーが泣き止むまでずっとそうしていた。
「……先生、何でこんなに優しいの?」
「そりゃ、そんなの……」
何でだろう。
普通は男が女に優しくするのは下心あってのことだよな、なんて思いながら、でも僕は別に下心があるはず……無いよな……うん。
顔に残ってた涙を袖で拭いてあげると、ソフィーは恥ずかしそうに笑った。やっぱり、こうやって笑ってる方がソフィーはずっと可愛い。
「先生ありがとう」
そんな顔して笑わないで欲しい。どうしたらいいのかわからなくなる。その上、いつ抱きしめたままのこの腕を外せばいいのかわからない。
とか思って僕が内心で焦っていたらドアがいきなり開いて飛び上がりそうなほど驚いた。
「てっめ、ソフィーに何しやがってるんだよ!? まじで庭に埋めるぞ…っ!」
「ななな何もしてないだろまだっ!」
「あぁ!? まだって何だこの……死ねてめぇ!」
「止めてジャン・バティ止めてよ先生に何するのっ!?」
とりあえずジャン・バティの乱入で腕が外せたことにはほっとしたけど、殺されそうになって逃げ回っている内に花瓶を割ってしまってジャン・バティと二人揃ってソフィーに怒られたのだった。
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