ブラッディ・マリーはいかが?


...15話
人とは適度な距離を空けていた方が付き合いやすい。
それは多分、大人になるに従って、だれもが思うことだとは思うんだけど。
とくに僕はそういう面が顕著だと思う。人に合わせることは苦手だし、昔から変わってるなんて言われることはしょっちゅうだった。そういうつもりはないんだけど、まぁ個性豊かなのはいいことだよねって笑っておいた。そういうところが変わってるらしいんだけど自分ではよくわからない。
それでも一応社会人なんてものになってみれば、ある程度の人付き合いも仕事の内だってわかってるし、良好な人付き合いがそのまま働きやすさにも繋がってるわけだから、「僕は個性的だから」なんて言い訳が通用しないことももちろんわかっている。
休み時間に顔を合わせれば話をして、たまには仲間内で食事に行ったり飲みに行ったり、メールなんかもしたりはするけど、でも本音でしゃべることなんてなかなか無いし、多分だれだってそうだ。だってそうしていた方が楽だし、賢いやり方なんだきっと。たまにそんなやり方が虚しくなったりもするけど、寝る前に缶ビールでも開けちゃえばそんなことも翌日にはもう忘れてる。 そんな付き合い方を、社会人になってからずっと続けてきたっていうのに、どうしてその線を見誤ったりしちゃったんだろう。
「……やっぱり、僕の所為だよなぁ」
この場合、どう考えたって。
踏み込むべきじゃなかったんだ。余計なことなんてしなきゃ良かったんだ。
だれにだって踏み込まれたくない領域っていうのはあるし、僕のこの前の行為は完璧にそれを無視してしまったんだろう。余計なことなんて言わなきゃ良かった―――他のだれにもそんなことはしないのに。関係のないことに首を突っ込まない分別ぐらいはあると思ってたのに……どうしてソフィーにだけはそうできないんだろう。あぁでも、そんなのは最初っからか。どうにも気になって、首ばっかり突っ込んでたような気がする。
だから呆れられたのか、本気で怒らせたのか。それとも傷つけたのか。
そのどれなのか、あるいはどれでも無いのか、理由なんて僕にはさっぱりわからないけど、とにかくもう二日もソフィーに会ってない。つまり、二日も『食事』をさせてない。まずいんじゃないのかこれって。
一昨日家に帰ってすぐに謝りのメールを送ったけど返事は帰ってこなくて、それでもまぁ明日学校で直接顔を合わせてもう一回謝ればいいやなんて軽く思っていたんだけど、ソフィーは保健室にはやって来なかった。そして今日も。
「怒ってるのかなぁ……」
怒ってるのだったらまだいい。傷ついてるんだったら、僕はどうすればいいんだろう。傷つけてしまったのだったら。
多分学校には来てるんだろう。僕のことを怒ってるんだとしても、それで学校を休むような子じゃない。だから教室に行けば会えるとは思うんだけど、あんまり頻繁に教室まで行って妙な噂を立てられても困る。困るのは僕よりもソフィーの方だろうし。
生徒が保健室に来るのは普通でも、保健医が教室まで行くのはあまり普通じゃない。
……それに、会いに行って、ソフィーに嫌そうな顔をされたら死にたくなりそうだ。
「あー。くそっ」
メールを送っても返事は来ないし、この調子じゃ電話をしたって出てくれないに決まってる。どうすりゃいいんだ。
とにかく謝らなきゃ―――余計なことをしてごめんって。傷つけたのなら謝りたい。謝らなきゃ。
「それに食事もさせないと……」
二重の意味でとにかく気持ちが焦っていた。
でも、謝るのはともかく、食事だからってソフィーを呼び出そうものなら、きっとものすごく嫌がられる。ただでさえ食事に拒否反応があるみたいな子なんだから……どうして僕がそんなことまで気を使わなきゃいけないんだろうって感じだけど、まぁほら、女の子って繊細だから。本当に女子高生ってどうしてああも難解な生き物なんだろう。
放課後になればもしかしたらソフィーが来てくれるかもしれないなんて期待していたけど、そんな都合のいいことは起こるはずもなくて、完全下校のチャイムが聞こえて僕はようやく席を立った。
いっそ家まで行ってみようか。
でもそれもなぁ。ものすごく鬱陶しい男みたいじゃないか。ソフィーが出てくれればまだいいけど、ソフィーの母親なんかが出てきたらどう言えばいいんだ? おたくの娘さんを怒らせてしまったようなんで謝りに来ました、とか? みっともないにも程がある。
ソフィーが来てくれないもんだから、今日の昼は売店の弁当だった。何て味気ない。ソフィーの卵焼きが懐かしかった。って、昨日今日と食べてないだけなんだけど。
「明日は来てくれるのかなぁ」
携帯を開いても、やっぱりソフィーからのメールは来ていなかった。
もう一度だけメールしてみようか。そう思って新規メールを開いても、何て打てばいいのかわからなくて、結局携帯をまた閉じてしまう。
その、閉じたばかりの携帯が震えた。
「わっ」
もしかして。もしかしてもしかしてもしかして。
大きすぎる期待を胸に開いた携帯の画面に表示されていたのは男の名前で、その瞬間の僕の落胆はかなりのものだった。
もう二度とソフィーからメールなんて来ないのかもしれないなんて思いながら、あぁだけどこの名前はと気を取り直す。
「もしもし?」
『やぁ、ハウル。今大丈夫かい?』
ハリウッドスターみたいな爽やかな声だった。
でもその爽やかさが逆に少しうさんくさく感じる。そう思うのは、ソフィーからのメールじゃなかった落胆があるからなのかもしれないけど。
「あぁうん、平気だけど。珍しいね、あんたが電話してくるなんて」
というよりも初めてだ。
『たまには君と親交を深め合うのもいいと思ってね』
「……へぇ」
『あまり嬉しくなさそうな声だね』
そりゃあ男と親交を深め合ったって嬉しいはずなんかない。それは女の子だけでいい。
『それなら親交を深め合うのはまたの機会にして、別の話題をしようか』
「ソフィーのことだろ」
『君とは実に話が早くて助かる』
喉を鳴らしてオーガスタスは笑うと、家で待っているとだけ言われて通話は終わった。
この調子だと、すっかりもうオーガスタスには筒抜けになってるんだろう。
「何だかなぁ……」
子供の頃、友達と喧嘩をしたことが母親にばれていたような居心地の悪さだった。年下も年下、まだ子供の高校生相手に一体僕は何をしてるんだか。
そんなことを考えていると、オーガスタスと顔を会わせるのは何だか微妙な気持ちで、それでも誘いを受けた以上、行かないわけには行かないんだ。





ソフィーにここ二日も『食事』をさせてないっていうのに、オーガスタスは長年の友達を迎えるような朗らかさだった。
でもそれが本心からなのか演技なのかはよくわからない。僕がうがった見方をしているだけなのかもしれないけど、そう簡単に信用するにはどうにも怪しい出会い方をしてしまったんだから仕方ない。大体どうして今日も白スーツなんだよ……。
「そのまま結婚式場にでも行くつもり?」
前と同じ部屋のソファに座りながら言う僕に、オーガスタスはにこやかな笑顔で答える。
「仕事をする際には、それなりの格好をするものだろう?」
「……え、あんたその格好で仕事してるの?」
「取引先にも好評でね」
どんな取引先なんだよ一体。
突っ込みたい気持ちは満々だったけど、そんなことはどうでもいいんだよと自分に言い聞かせて深くソファに腰掛ける。
「さて、一杯どうだい? と言いたいところだが……。とりあえずそちらの話をまず聞かせてもらおうか」
「大体の話は知ってるんだろう?」
情けない話を自分からするのは抵抗があってそう言ったんだけど、オーガスタスはにこやかな笑顔で僕が話すのを待っている。性格が悪いのか何なのか……。まぁもう今更かと思って手短に話す。つまり僕がソフィーを怒らせて避けられてるっていう、虚しい話を。
オーガスタスはその間一言も口を挟まなくて、そのことが僕を余計に不安にさせた。
黙られてると、何を考えてるのかさっぱりわからない。表情からはちっとも読めないんだ。怒っているのか呆れているのか、そのぐらいわかるようなことを何か言ってくれればいいのに。
革張りのソファが、公衆便所みたく座り心地が悪く思えるじゃないか。
「……なるほど」
話を聞き終えて、ゆっくりと頷く。
お願いだ。だれかこの沈黙を何とかしてくれ。
「…………大人げなかったって思ってるよ」
高校生を怒らすだなんて。怒らせて、その機嫌もろくに治せないだなんて。
「いや、君の所為ではない」
オーガスタスは軽く笑う。まるで、こんなことがあるってことも予想していたみたいな笑い方だった。癪だけど、大人の余裕を見せ付けられるような笑い方だ。
「話を聞く限り、君は何も悪いことは言っていない。悪いのはあの子の方だろう。気が強い上に頑固ときている。まぁ、私からすればそんなところが可愛くもあるのだが……相手をするのは大変だろう」
「いや、別に……」
今現在大変なんだけど。
「傍にこれほど心配してくれる相手がいるというのに、それに気づかないのはまだあの子が子供だからなのだろう」
その言葉の意味はよくわかる。僕にも多分そんな頃があったからだ。その頃の記憶は思い出すと恥ずかしいことばかりで、それでも今よりは必死に毎日生きていたような気はする。明日がどうなるかわからなかったような気も。
今もなんだか、その頃とは違った意味で明日がどうなるかわかったもんじゃないけど。
「僕の心配はソフィーにとってはいらないお世話だったみたいだからさ。今度からは首をつっこまないで大人しくしてることにするよ」
そうして食事だけさせてあげれば、その方がソフィーのためなんだろう。
「私としては、ハウル。君には出来る限り首をつっこんでほしいところなのだが」
なのにオーガスタスはそう言って笑う。そんなことを言われたって、それでソフィーに嫌がられるのは僕はごめんだ。
「君のことが迷惑だったわけではないだろう。ソフィーにとって痛いところを突かれたから、顔を合わせたくないだけだろうと思うよ」
「痛いところ……」
「あの子はどうやら、友人と距離を置きたいらしい。前からそういう素振りはあったのだが……ここにきて、付き合いを絶つ気でいるのかもしれない」
困った子だな、と、オーガスタスは肩をすくめた。父親が娘を心配する様子で。
「え、付き合いを絶つって、友達と? 何でそんなことする必要があるのさ」
「吸血鬼だということを気にしているとしか思えないが……」
それ以上のことはさすがのオーガスタスもわからないのか言葉を濁す。
そりゃあまあ、女子高生の思考回路を、大の大人の男が完璧に理解することなんて不可能なんだから仕方ない。
「そもそもさ、ソフィーってどうしてあんな風なわけ?」
「あんな風、とは?」
「ほら、自分が吸血鬼だってことを……何だろう。嫌がってるっていうか、ものすごく悪いことだって思ってるみたいなさ」
第三者の僕がこんなにも普通にしているのに、当の本人のソフィーの方が過敏になっているような。
吸血鬼全員がそうだっていうのならわからなくもないけど、オーガスタスはそんな素振りは微塵もないし。そもそも、あんなに一度の『食事』をするのにもびくびくしてて疲れないんだろうか。よくわからない。ジャン・バティから食事をする時もそうなのか?
「ソフィーを見てるとさ、何か、自己嫌悪の塊みたく見える時があるんだよね」
食事をする時の表情の一つ一つが。
自分からは決して食事をしたいなんて言い出せなくて。
映画を見た帰りの、車の中の、あの、……泣き顔が。
「君はまったく―――敏いな」
驚いたような諦めたような、期待以上のものを見つけたような、そんな複雑な表情だった。何でそんな顔をされるのかわからなくて、僕は首を傾げる。
「今更こんなことを言っても、信じてはもらえないかもしれないが……あまり君を巻き込むつもりは無かったのだよ」
「本当に今更だね」
嫌味のつもりはなかったけど、僕の言葉を聞いてオーガスタスは苦笑した。
そして次の瞬間、真顔になって言われた言葉は、予想外のものだった。
「ソフィーはまだ、吸血鬼になった自分自身を受け入れられていないのだよ」
「…………は?」
吸血鬼に、なった?
なったって、つまり、それは―――
「え、だ、だれに噛まれたのさっ!?」
「噛まれたわけではないが」
どうしてかつまらなさそうな顔でオーガスタスは言う。聞き飽きたように。
「だって、吸血鬼になるって、つまり噛まれなきゃ……」
「確かに、吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になる。ただしそれは純血種のみの話だ。そして、私もソフィーも純血種では無い。今はもう人間の血の方が濃すぎるぐらいだ」
「純血種……」
そういえばいつだったか、ソフィーの口からそんな言葉を聞いたような気はする。
でもそれはいつのことだったっけ。
「そして、噛まれた人間は確かに吸血鬼にはなるが、純血種と同じようにはならない。その力は遥かに劣るし、元人間の吸血鬼が人間を噛んだとしても、その人間は吸血鬼にはならない。あくまでも、人間を吸血鬼に変えることができるのは純血種のみだ。……大体、吸血鬼に噛まれた者が皆吸血鬼になるのだとしたら、今頃君はもう人間ではなくなっているぞ」
「あぁ、そっか」
言われてみれば単純なことだった。僕は人間のままじゃないか。
「映画等では、吸血鬼は次々と人間を吸血鬼に変え、同胞を増やしていくといった設定がお決まりのようだね。だから君も色々と思い違いをしているのかもしれないが……そもそも我ら吸血鬼は、ほとんどが人間と変わらない生き物だよ。DNA細胞に、たった一つ、我らにはあって君達人間には無い細胞がある……それだけの違いだ。そのたった一つの細胞が、我らが我ら足りえる核となっているのだよ」
「……その細胞があるかないかで、血を飲みたくなるかそうでないかが決まるってこと?」
「厳密にはもう少し違いはあるが……まぁそんなところだ。人間と同じように、私達も生殖で子孫を残す生き物だからね」
つまり昔から、吸血鬼も結婚して、赤ん坊を産んで、育てて、そして立派な吸血鬼になってきたってこと?
イメージと違いすぎるその現実に、軽く頭が混乱してくる。だっていつか見た映画じゃ、吸血鬼の赤ん坊って妙な卵から生まれたコウモリだったような……。
「もちろん、コウモリで生まれてくるわけじゃない。人間と同じ赤ん坊で生まれてくる」
「何で僕の考えてることがわかったのさ」
「大抵の人間は、皆同じことを考えるからね」
呆れたようにオーガスタスは肩をすくめて見せる。人間と同じだと知ってほっとしたけど、同時に少し拍子抜けした。やっぱり現実は映画みたく突拍子も無いことは起こらないらしい。……吸血鬼が実在してるだけで、十分すぎるほど『突拍子』なことではあるんだけど。
「でもそれなら、ソフィーが吸血鬼になったっていうのは何なのさ? 噛まれたんでもないなら……」
「純血種の子供は生まれながらにしての吸血鬼だ。人間の血など一滴も入っていないのだから当然のことだがね。だが私達は、先にも言った通りすでに人間としての血の方が濃くなっている。時代と共に吸血鬼の数が減り、人間との婚姻を繰り返した結果だがね。そうして今の私達は、まずは人間として生まれる。そして、ある者は人間のまま、ある者は途中で吸血鬼へと変わる」
つまり、ソフィーは―――その、後者ってことになるのだろう。
「……ソフィーは、なったばかりなの?」
吸血鬼に。
「高校に入る前か、入った後だったか……とにかくその頃だったよ。私が初めてソフィーと会ったのもね」
「初めて? それまで会ったことはなかったの?」
「あぁ。私はソフィーの母方の親戚でね。と言っても、ソフィーの母親はソフィーが幼い頃に亡くなっているのだが……。三年前に、そして父親までもが亡くなったという知らせを聞いてね。心配になって訪ねてみれば―――」
オーガスタスは最後まで言わなかった。
だけど、その後にどんな言葉が続くかなんて、聞かなくてもわかっている。
その頃には、もう、ソフィーは人間では無かったのだろう。
母親がずっと前に亡くなっていたんだとか、父親までがつい数年前に亡くなってしまっていたんだとか、初めて聞くことばかりで、けれどそれよりもソフィーが人間でなくなってしまった時の話が一番僕には重たかった。
知るべきじゃなかったのかな。
多分ソフィーだったら、自分では、僕には話してくれない話だっただろう。
そんな話を、僕はオーガスタスから聞いてしまってよかったのだろうか。そんなことを今更考えても遅くて、そして聞き始めたからには僕は最後まで聞かずにはいられない。だって気になるんだ。ソフィーのことだから。
「その時からだよ。私が、ソフィーの面倒を見るようになったのはね」
不幸な巡り合わせだとオーガスタスは笑った。
多分、ソフィーのことを本当に大事に思っているからこそ、そう思うのだろう。もっと幸せに、だれの死もなく出会えたら良かったのにと。
「ソフィーの父親は再婚していたのだが、もちろん相手は普通の人間だ。母親としては申し分ないが、吸血鬼としての面まではカバーできないからね」
「ソフィーから母親の話は聞いたことがあるんだけど……今もその人と一緒に暮らしてるわけ?」
「あぁ。気のいい人だよ。私の話を初めて聞いた時は倒れかかったがね。起きてからは、この子は私が守るんだからとソフィーを抱きしめながらに言っていたよ……素敵な母親だ」
「そっか」
それならいいんだ。安心した。
「それからは、時間との戦いだったよ。とにかくソフィーに一刻も早く血を飲ませなければならなかったからね。かと言って、すぐにパートナーが見つかるわけでもなし……知り合いの狼人族に話をつけてジャン・バティストを寄越してもらったんだ。我らが必要とするのは人間の血だが、狼人間の血でもとりあえず腹の足しにはなるからね」
「腹の足しって……」
ソフィーの前で言おうものなら、とたんに怒り出しそうだ。
いやでも、もう僕はとっくに怒らせてしまったんだけど。
「ジャン・バティストの血を飲ませるだけでも大変だった。会わせてから一月もの間飲もうとはしなくてね。まぁ、それだけショックが大きかったというのはわかるが……当事者ではない分、ソフィーの妹達の方が飲み込みは早かったな。ソフィーが飲まないのなら、自分達も食事はしないと言い出してね。結果、ソフィーが二日で折れた」
「……すごい姉妹だね」
持久戦じゃないか、それって。
その二日の間、ソフィーは何を考えていたんだろうなぁなんて思って、どうしようもない気持ちになった。
自分がもう人間ではないって、言われたらどんな気持ちになるんだろう。
「どこの吸血鬼もそんなものなの? みんな、なったばっかりの時はそうなるわけ?」
「いや、普通はそうはならない。言ったろう? 我らはまず人間として生れ落ちる。そうしてそこから、吸血鬼として目覚める者と、そのまま人間として生きる者とに分かれる。その原因は我らにもわからない。運命とでも言おうか。けれどどちらにしろ、普通は親に教え込まれるものだ。物心ついた頃にね。ソフィーの場合は稀だったんだ。母親自身も、吸血鬼の血筋ではあるが、本人は吸血鬼にはならなかった。目覚めなかったんだ」
「普通の人間として生きた……ってこと?」
「そうだ。だからソフィーの父親も、自分の妻が吸血鬼の血筋であったことを知っていたかどうか……。その上、母親はソフィーが物心つく前に亡くなってしまったからね。吸血鬼になったことは、ソフィーにとっては本当に突然の出来事だったのだろう。私が現れるまで、彼女は自分に起きた異変の原因すらわかっていなかった。貧血がひどくて、ろくに歩けない状態だったがね。私の話も、受け入れるまでにずいぶんと時間がかかったものだよ」
その時のことを思い出したのか、オーガスタスは疲れたように小さく息を吐く。
僕がソフィーに『食事』をさせる前も、ずいぶん貧血がひどいとは思ったけど。その頃は、それ以上だったってことか。
「人間の血が濃い私達は、純血種にはある血への欲求というものが無い。目の前に焼き立てのステーキを出されれば食べたいとは思うが、転んで出血をしている人を見ても飲みたいとは思わない。ただあくまでも、身体を維持するために飲んでいるに過ぎないのだよ」
「でもソフィーは、身体を維持するためでも飲みたくはないみたいだけど」
「それが問題なんだ。いい加減、現実をきちんと受け入れてもらわなくてはね。……もう二度と、人間には戻れないのだから」
そう言った時のオーガスタスは、まるで自分がソフィーを吸血鬼にさせてしまったとでも思っているような、そんな悲しそうな顔をしていた。
あぁでも、そうだ。
もう二度と人間に戻れないのなら、いつまでも今の自分自身を否定してるだなんて悲しすぎる。
「何とか、もうちょっと前向きになれないかな。だって今のソフィーのやり方は、まるで生きてることを後悔してるみたいだよ」
「できればその台詞を、ソフィーに言ってやってくれないかね」
どうだい? と微笑まれて、僕は一も二もなく頷いた。
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