ブラッディ・マリーはいかが?


...10話
駐車場に車を止めて、そこそこ大きなショッピングモールの中にある映画館まで歩きながら、そういえば最後に女の子と映画を見に来たのはいつだろうなんて考えていた。
そんなことしょっちゅうのようにあったはずなのに、ここ最近少しご無沙汰だっただけで、何だかもうえらく昔のことのように思えてくる。
知り合った可愛い女の子と、話が弾んでデートに出かけるなんてだれにだってある話。僕はその頻度が人よりちょっとばかし多いだけのことで。だから当然、人より多くデートをこなしてきた僕は、人よりもデートに慣れてるはずなのに。
ちらり、と視線を横に向ける。真横よりも少し下に。量の多い赤毛が邪魔で顔が見えない。けどもう欠伸はしていなかった。それに少しほっとしながら、僕はゆっくりと歩く。女の子ってどうして歩くのが遅いんだろう。そんな、他の女の子といる時には考えもしなかったことをどうしてか考えてしまう。
ソフィーといるとそんなことばっかりで。
やっぱり、女子高生と遊びに来たのは間違いだったのかもしれない。もう子供のつもりじゃない彼女達は、それでもやっぱり子供だから。とくにソフィーは化粧っ気も何も無いから、大人びた、なんて表現はとても使えない。年相応の女の子。つまりまだ子供の。
「そういえば、見たい映画って決めてきた?」
館内に入って、人の多さにびっくりする。大きなショッピングモールだし、休日ならこんなものか。家族連れも多いけどカップルも多くて、何だかなぁという気持ちになる。傍目から僕らはどう見えてるんだろう。保険医と女子高生? 万が一そうばれることがあったとしても、億が一だってソフィーが吸血鬼だなんてばれることはないんだろうな。だってどこにでもいる普通の女の子にしか見えない。実際に血を吸われてる僕にだって、そうとしか見えないんだから。
「えぇ。ちょうど見たいのがあって」
「へぇ」
女の子が見たがる映画って、やっぱり恋愛物なんだろうなぁ。
実を言うとその手のは苦手なんだけど。何が楽しくて他人のラブロマンスなんて見なくちゃならないんだ。ヒロイン役がよっぽど美人でグラマラスで、濃厚なラブシーンがあるっていうのなら別だけど。でもきっとそんなのはソフィーの方が見れないんだろうな。
すかっとするアクション物だって、ソフィーは好きじゃないに決まってる。いや知らないけど。でもソフィーの性格には似合わないと思う。
「どれが見たいの?」
「あれです」
チケット購入の列に並びながら、ソフィーはちょうど傍にあったパネルを指差す。
どんな女優かなと思って指差した方を見て、僕はちょっと固まる。……女優じゃなんていないじゃないか。
「ね、すごい可愛いでしょ?」
「えーと…………これは、ペンギン?」
「ペンギンの子供がね、一人前になるために旅に出る話なんです」
ラブロマンスでもなければアクション物でもなくて、ペンギン。
ちょっと予想外すぎて、しばらくパネルのペンギンを見つめてしまった。目が合ったかもしれない。つぶらな瞳。うん、確かに可愛いんだけど。
濃厚なラブシーンは無さそうだなと諦める。あぁでも、産卵シーンならあるかもね。興奮しちゃったらどうしよう。
「あ……先生、ペンギン嫌いでしたか?」
何かずれた質問だなぁと心の中で苦笑する。嫌いなのはペンギンじゃなくてアニメなんだけど。嫌いというより興味が無いというか。
「いや、別に。動物の中じゃけっこう好きだよ。歩き方が可愛いよね」
「本当? 嫌なら別に先生が見たい映画でも……」
「あぁいや、平気だって全然。あんたの見たいやつを見る約束なんだしさ。僕だってペンギン好きだしちょうどいいじゃないか。ね?」
僕とソフィーの好みが合わないことなんてはなからわかってたんだから。どっちかが譲歩しなきゃいけないのなら、それをするのは大人の役目だってこともわかってる。そんな小難しいことを考えなくても、反射的にそう言っていただろうけど。だってせっかく遊びに来たんだから、楽しんでもらいたいじゃないか。
ソフィーはまだ何かを言うように口を開いたけど、ちょうどその時前の人たちがチケットを買い終えて、僕らの番になってしまったからソフィーは口を閉じた。今からじゃ何の映画にしようなんて話し合う時間は無いってことに気づいてくれたみたいだった。
「大人一枚と、高校生一枚」
後ろから、ソフィーが生徒手帳を取り出す。あぁそうか、高校生にはそんな物があるんだよねとしみじみと眺める。もちろん僕が学生の頃にもあったけど、持ち歩くのがめんどくさくていつも忘れていた気がする。友達もそんなのばっかりだった。
「まだ少し時間あるし、飲み物と何か食べ物でも買おうか。やっぱり映画館で食べるならポップコーンかな」
「あの、先生」
歩き出した僕の服の袖をソフィーは引っ張る。
「なに?」
「お金、あの、あたしの分の。払いますから」
社交辞令で一応そう口にする女の子達を僕はいくらでも知っている。でもソフィーみたく、もう鞄から財布を取り出してぎゅっと握りながら言う女の子は初めて見た。
どうやら本気でそう言っているらしい。僕は思わず目をしばたたかせる。驚きだね、こりゃ。
「いいってば、別に。奢るよ」
「ダメです、そんなの」
ダメって何さ。
「先生に奢ってもらう理由がありませんから」
「……理由ってさぁ」
真面目通りこして、この子はもしかして頑固なんじゃないのか。
奢ったり奢られたりするのに理由なんて別に必要ないと思うのは僕だけなんだろうか。奢りたかったら奢るし、奢られたら素直にありがとうって言っておけばいいんだ。ただそれだけのこと。だって映画代なんてたかが千円とちょっとじゃないか。社会人の給料が一体いくらだと思ってるんだ、このお嬢さんは?
「別にそんなのいらないだろ。僕が奢りたくてそうしてるんだし。言っておくけど、僕は今日あんたに財布を出させるつもりはないよ。そんな情けない男にしないでくれよ」
「情けないって……」
「あんた、男の子とデートしたことないの?」
僕の質問は唐突に聞こえたのか、ソフィーはぱちくり、と瞬きをした。あ、ちょっと可愛い。
「まぁ、デートしたとしても、同い年の高校生だったらどうかは知らないけどね。少なくとも、年上の男とデートをしたら、相手の男に甲斐性ってものがあれば大抵は奢ってくれるもんだよ。まぁそんなのはくだらない男の見栄だけど、それで奢ってもらえるのが女の子の特権なんだから、あんたは素直に奢られておけばいいんだよ。そんなもんなんだから」
ちょっと早口に僕は言って、ソフィーの様子を伺う。
何でこんな単純なことを僕は真面目くさった顔で言ってるんだろう。言わなくても女の子ならだれでもわかってるようなものなのに。何でソフィーはそんな単純なこともわからないんだ?
「……そんなもの、なんですか」
「そう、そんなもの」
重ねて頷くと、ソフィーはしぶしぶといった様子で鞄に財布をしまう。
「わかりました」
「……奢ってあげて女の子にそんな不満そうな顔されたの初めてだよ」
とことん変わった女の子だなぁ。
しげしげと眺める僕の視線に気づいたのか、「それなら払わせてくれてもいいのに」とソフィーは唇を尖らす。拗ねたような顔をすると、ますます子供っぽく見える。
「心配しなくても、奢られるのなんて今の内なんだからいいじゃないか。あと十年二十年もすれば奢るような男もいなくなるんだから」
ふざけた顔をして笑ってやれば、ようやくソフィーも小さく微笑んでくれたからほっとする。
「ほらほら、ポップコーン買おうよ。あんたがくだらないこと気にしてる間に売り切れちゃうかもしれないじゃないか」
「先生ってば」
その、先生呼びもなぁ。
学校の中で聞くのは別にいいけど、映画館で聞くと何か変な感じだった。
でも他にソフィーに呼ばれる名前なんて無いんだから仕方ない。



映画は思いの他楽しかった。
わかりやすい内容だけど、そこまで子供向けでもなくて、子連れで来たら親でも子供でも楽しめるような。
さすがに周りにカップルの姿は見なかったけど。……僕らどう思われてたんだろうなぁ。兄と妹にでも見えていたりして。ありそうで困る。
「何か軽く食べていこうよ」
と、ソフィーを誘ってモール内のレストラン街へと出る。女の子が好みそうなイタリアンレストランを見つけたからそこに入って、それぞれパスタを頼んだ。僕はそれ以外にもサンドイッチを。
「先生さっきもポップコーン食べてたのに、よく入りますね」
「ソフィーだって食べてたじゃないか」
「あたし三口くらいしか食べてないもの」
そうだったっけ。
「だってポップコーンなんか全然お腹にたまらないじゃないか。空気食べてるようなもんだよ」
「空気食べたことあるんですか、先生」
「うんお金ない時とかに」
笑いながら言えば、ソフィーは「もう」と呆れたような顔をする。静かにパスタを食べる様子を見て、女の子だなぁなんてくだらないことを僕は考える。
食べるのも遅いし、大口開けたりなんてしないし。おおよその男が想像する、『女の子』ってものを形にしたらまんまソフィーだろうなと思う。学校での、あの三つ編みはちょっと頂けないけど。
「普段からそうしてればいいのに」
「……え?」
飲み込んでから口を開けるから、ソフィーの返事はちょっと遅い。
「髪。おろしてる方が可愛いよ」
もちろん結び方にもよるんだろうけど。多分三つ編み以外だったら可愛いはずだ。想像しようとしたけど、でも学校での三つ編みのインパクトがすごすぎて、他の髪型をしているところがいまいち想像できない。
ソフィーは、何だかわけのわからないことを言われたような顔をしていた。まるでいきなり英語で話しかけられたような顔。
「三つ編みより、そっちの方が可愛いよ」
もう一度繰り返して言う。
そこでようやく僕の言うことが理解できたみたいに、ソフィーは顔を真っ赤にした。可愛いって言っただけなのに。どんだけ初心なんだよと僕も驚く。
ブランド品の洋服やらバックやらを買い集めるのに夢中になってる女子高生がいる一方で、こんなに初心な子も残ってるんだから、捨てたもんじゃないよななんて考える。遊びには前者の方が手っ取り早いけど、でも好感が持てるのはソフィーみたいなタイプだよなぁなんて。
口の中で、ありがとうございます、みたいなことを呟きながらソフィーはフォークを握りなおす。
必死に僕と目を合さないように俯く姿を見ていると、笑い出しそうになってしまう。多分怒るから、がんばって堪えるけど。
出会った頃には、まさか一緒にペンギン映画を見て、向かい合ってパスタを食べるようになるなんて思わなかったよなぁ、なんて考えて。
思い出したことが一つ。
となると、どうしても気になって気になって仕方がなくなるのが僕なんだ。
「あのさ、ソフィー。一つ聞いてもいいかな」
「……何ですか」
赤い顔のままのソフィーに、こんなこと聞くべきじゃないのかなとも思ったけど、でも思い出した時に聞いてしまいたいし。
「あのさ、あの時のことなんだけど」
「あの時?」
「僕があんたと、夜中に出会った時のこと」
ソフィーの動きが止まる。表情は何も変わらない。変わらないけど、何だか変わらないことに少し不安になってしまう。この手のことを話す時に、ソフィーは少し過敏すぎる気がするから。
「いや、別に、そう大したことじゃなくてさ。ただ、何であんな黒フードなんてかぶってたのかなって。そういえば理由聞いてなかったなって思って」
なるべく明るい声を出して言う。ちょうど映画を見ていた時間が昼時だったから、今は店内に人はまばらで僕らの話を聞いているような人もいない。こそこそする方がかえって目立つとわかっているから、僕は何でもないことのようにサンドイッチにかぶりつく。
「あぁ別に、あんたの趣味だって言うのならもう何も言わないけど」
「……趣味であんな格好するわけないでしょ」
呆れたようにソフィーはため息をつく。でも今は色んな趣味の人がいるからさ、とおどけて言えば、そうねとソフィーはあまりそうは思っていないような声音で言う。
教えてもらえるのか、どうなのか。嫌がるようだったら別に食い下がるつもりはなかった。ただ単に思い出しただけのことだし。できれば知りたいとは思ったけど。
僕がサンドイッチを二つ食べ終えるだけの時間が過ぎてから、ソフィーはやっと口を開いた。その間、一口もパスタを食べてない。もう冷めてるんじゃないのかな。
「おばあさま達がね、迷信深いの」
「あんたのばあさんが?」
「本当の祖母じゃないわ。オーガスタスの親戚のおばあさま方なの」
つまり年季の入った吸血鬼ってことか。
どうしてもやっぱり吸血鬼のイメージっていうと、美青年やら美女やらのイメージで、年老いたばあさん吸血鬼なんて想像もできない。でもオーガスタスだって吸血鬼って外見じゃないし、何よりソフィーだってそうじゃないんだから、現実と想像は違うってことなんだろう。うん。
「へぇ。で、その、オーガスタスの親戚のばあさんが迷信深いって? それであんたに黒フードを着せるわけ?」
どんな迷信なんだよ。大体それって迷信ていうのか。
僕が疑り深い目をしたことに気づいたのか、ソフィーは少し困ったような顔になる。言葉に迷っているようだった。
「月の光りを浴びるのはよくないって、おばあさま達は言うの」
「月の……?」
「えぇ。だから浴びないようにって、ああいう格好をさせられちゃうの」
ソフィーはその『迷信』とやらをちっとも信じてはいないようだった。僕だって信じられない。そもそも迷信というか、何だそりゃ、というような話じゃないか。
「何でまた、そんなバカげたことを言うのさ、そのばあさん達は?」
「昔は本当にそうだったらしいの。昔は、おばあさま達はもっと強い力を持っていたらしいから。今でもすごく強いんだけど、昔はこんなものじゃなかったってよく言ってるぐらいで……その頃には、月の影響を受けやすかったとか、そんなことを言ってたわ。よくわからないけど」
月の影響とか、ファンタジーな言葉すぎて、何て返事をすればいいのかとっさにわからなかった。あぁでも、そもそも吸血鬼なんて存在がファンタジーだしな……ファンタジーと日常の境目なんて、もう曖昧になってるじゃないか。
「じゃあなに。あんたは夜に出歩く時はいつもあんな格好をしてるわけ?」
まぁ、黒フードをかぶってれば、月明かりどころか変質者だって遠ざけられる気もするけど。
「あの日は偶然よ。オーガスタスの家に寄ってたら、ちょうどおばあさま達も来てたの。オーガスタスがいれば逃げられるんだけど、いなかったから大人しく言う通りにしてたのよ」
「じゃあオーガスタスも、その迷信とやらは信じてないんだ?」
格好からもそうだとはわかるけど。白スーツの上から黒フードなんてかぶってたら大笑いだ。
「信じてないわ。今は何の影響も無いって言ってるもの。おばあさま達にもそう言ってるみたいだけど、なかなか受け入れてもらえないみたい」
「まあ、年寄りは総じて頑固だからね」
それにしたって、月明かりが身体に良くないだなんて、それじゃそのばあさん達は一体どうしてるんだ。みんなそろって黒フードをかぶってるのか? あぁそれとも、年寄りは夜に外をうろついたりなんてしないのかな。
「あんたも大変だね」
「……先生ほどじゃないわ」
それってどういう意味なんだろう。
気になったけど、ソフィーは何事も無かったかのような顔でパスタを食べ出して、なかなか僕の顔を見てくれなかったから、何となく聞きづらくて尋ねることができなかった。
back next