ブラッディ・マリーはいかが?


...13話
結局その日は、いくら待ってもソフィーからはメールも電話も来なかった。
でも多分、血が足りなくて貧血になっているんだったら、ソフィーから連絡は来なくてもオーガスタスからは来るはず。そう思いながらもやっぱりその不安が拭えなくて、放課後ソフィーの担任を掴まえて聞いてみたら、朝のホームルームの後、風邪で休むとソフィーから学校に電話があったようだった。
あぁほら、やっぱりそんな理由じゃないか。
そうわかって僕はとたんに安心した。安心して、今、ソフィーの家の前に立ってたりする。
「……って思わず来ちゃったけどさ」
風邪で休んだだけなのに保健医が見舞いってどうなんだろう。
いやでも、保健医として来たわけじゃない。あれ、でもそうじゃなきゃ何で来たんだろう。僕にとってソフィーは何なんだ? 年の離れた友達だとでも?
でも、友達だったら見舞いに行くのは普通だ。ソフィーだって迷惑がりはしないだろう、多分。だってこの間は一緒に遊んだりもしたんだから。ずいぶん楽しがってくれてたみたいだし。また今度一緒に遊びに行く約束だってしたぐらいなんだから、それなりの好意は持ってくれてるはず。
頭の中でそんなことを考えて、虚しさにため息をついた。
今まで女の子にどれだけ好かれてるかなんて考えたこともなかったのに。好意を持たれるのは当たり前。自分がどれだけ好かれてるかなんて、不安に思うことなんて一度もなかった。これが一般男子の思考回路なのかな。みんなこんな不安な思いを抱えてるんだとしたら大したもんだ。僕にはとても耐えられそうにない。
「大丈夫、大丈夫。わりと好かれてるはずだ」
寝込んでたらどうしようか。いや、学校を休んだぐらいだからその可能性は多いにある。そうしたらお大事にって言付けだけ親にしておいて―――って、ソフィーの親と会うのか、僕は。
女の子と遊ぶことはたくさんあっても、その女の子の親と会うことなんてまず無くて、どんな顔をして会えばいいんだろうと家の前に立ちながら軽くパニックになった。
そもそもソフィーの親は僕のことを知っているのか? というか、ソフィーの親ってことはもちろん吸血鬼なわけで、吸血鬼の親に挨拶ってどんな風にすればいいんだろう。「いつも娘さんに血液を提供していますジェンキンスです」とでも名乗れって? それとも普通に? 吸血関連のことは話題に出さずに普通にしていた方がいいんだろうか?
一つ考え始めたら、だんだんもうわけがわからなくなってきた。
あぁくそ、吸血鬼とかそんなことを考えるからいけないんだ。知り合いの、そこそこに仲のいい女の子を見舞いに来た。そうだ、それだけ。それだけ考えてればいいじゃないか。
ちょっと具合を確かめたら帰るつもりなんだし。十分とかそこらで。うん、それぐらいならソフィーだって迷惑なんかに思わないだろうから。
「……よし」
何か今なら、ヴァレンタインに男にチョコレートを渡す女の子の気持ちが少しわかりそうだ。
これ以上余計なことを考えない内に、素早くチャイムを押す。
だれが出てくるんだろう。お母さんかな。それよりも妹さんとかだったらまだ楽なのに。女子高生の相手は慣れてるから。って、人に聞かれたら誤解を受けそうな台詞だけど。
「先生?」
だけど、玄関のドアが開くと同時に馴染みのある声が聞こえてきてびっくりした。
「ソフィー? あんた起きてていいの?」
「先生こそどうしたんですか、いきなり」
質問は同時に口から飛び出して、その後お互いにちょっとまじまじと見詰め合ってしまったりなんかした。
……パジャマ姿だし。ピンクの水玉とか、いかにも女の子ですって感じのパジャマが意外なような想像通りのような。
「先生、どうかしたんですか」
呆然とした様子のまま、ソフィーが開けたドアを押さえながら再び尋ねてくる。
「あ、えっと、お見舞い。風邪で学校休んだから、心配で」
学校にいる間に百回以上も携帯を取り出したぐらい心配だったんだよ。
なんて言ったら多分、冗談だと思って笑われるか、本気だとわかってもらえても同時に気味悪がられそうだったから、がんばって「ちょっと心配だったんだ」ぐらいの様子を装った……つもりなんだけど。
「わざわざ来てくれたんですか」
「だってほら、家近いから。別にそんなわざわざとかいうほどのことじゃないし」
ちょっと早口になったのが自分でもわざとらしいと思う。嘘をつくのなんて慣れてるはずなのに。
ここで、そうなんだよだって心配だったからって頷くのと、大したことじゃないよって風を装うのと、ソフィーはどっちが好みだろう。それは即ち、僕への好感度の大きさによるものなんだけど。大抵の女の子は僕が何かしてあげることを喜ぶ。わざわざ君のために来たんだよ、なんて言えば喜んで抱きついてくれる。でもソフィーはそんなんじゃない。それだけはわかる。
「とりあえず、あの、上がって下さい。立ち話もなんですから」
「……主婦みたいな台詞だね」
思わず素直にそうもらすと、ソフィーは言われ慣れてるように小さな苦笑を浮かべた。
「あたし、事実上この家の主婦みたいなものですから。どうぞ、先生。濡れちゃいますから」
「じゃあお言葉に甘えて」
芝生のキレイな、よく手入れのされてる庭だった。いかにもいい家庭っていう感じの。小人の置物なんかがひょっこり植木の合間から顔を覗かせたりしているのが可愛らしい。こういうのもソフィーが選んでたりするのかな。
「お邪魔します」
「今、あたし以外にだれもいませんから」
普通女の子にそんなことを言われたら、誘われてるって勘違いしそうなものだ。
ソフィーとしてはただ教えてくれただけなんだろう。事実、親に挨拶しないで済んでほっとしたけど。ちょっとでもそんなことがわかる子だったら、「もうすぐ母親が帰ってくると思うの」なんて、それとなく釘を刺すものだ。ソフィーにはそういう危機感が足り無すぎる気がする。それとも僕が信用されてるのか。仮にも学校の先生だから?
「あんた寝てなくていいの?」
埃一つない廊下。うちとは大違いだなぁなんて思いながら、スリッパを履いてその廊下を歩く。
「朝からずっと寝てたんです。熱もだいぶ下がったみたいで。お腹がすいたから、今ちょうどおかゆを食べてたんです。そしたら先生が来て」
ソフィーが案内してくれたのはリビングだった。窓が大きく取られていて、雨が降ってなければ庭の景色がよく見えるんだろう。電話台にはたくさん家族の写真が置かれていて、結婚式の写真なんかまである。ソフィーの両親なのかな。他にも何かの賞かなんかが飾ってあって、まるでドラマの中の家みたいだった。完璧じゃないか。
「じゃあ、僕が来たタイミングはばっちりだったのかな」
「えぇ。三十分早かったら、あたしまだ寝てましたから」
邪魔されなくて良かったです、とソフィーが笑う。ちょっとどきっとしちゃうような笑顔で。
ソフィーはダイニングテーブルの上にあった皿を片付けて、すぐさまお茶の用意をして戻ってくる。って、病人が何やってるんだか。
「あの、すぐ帰るからさ。いいってば。ほら、座ってなよあんた。風邪引いてるんだから」
「ただの風邪だし、熱はもう下がってますから。明日は学校に行けますし、もう大丈夫です」
「そうやって油断をしてるとまた熱がぶり返してくるだろう? 先月まで暑いぐらいだったのが入梅で寒くなって、そういう気温の変化で体調崩すなんてよくあることなんだから。治りかけっていうのが一番いけないんだよ。ほら、上着とか無いの? そんな薄いパジャマじゃダメじゃないか」
机の上にお茶を並べたソフィーは、驚いたような呆れたような顔で僕を見た。
「何さ、その顔」
「……そういえば先生って、保健の先生だったのね」
何を今更。
ソフィーは大人しくダイニングチェアの背にかけてあったカーディガンを羽織ってくれたから、僕もそれ以上口うるさく言わなくて済んでほっとした。
向かい合わせにソファに座ると、ソフィーの視線が僕の手元に向いた。あぁそうだ。すっかり忘れてたそれを、今更だけど僕はソフィーに渡す。
「元気そうで良かったよ」
「……あたしに?」
見舞いと言えば花だろうって、そのぐらいの気持ちで買ってきた花束。花束と言うよりかは小さなブーケみたいな。ピンクのマーガレットと後はよくわからない小さな花がいっぱいに詰まってる。
それを見てソフィーはびっくりしている。
「ここにはあんたしかいないじゃないか。受け取ってくれないと、このまま花束持って家に帰る虚しい男になっちゃうんだけど、僕」
押し付けるようにしてソフィーに花束を渡した。
本当になんで、こうした些細なことが上手くいかないんだろう。笑って受け取ってくれればいいだけなのに。ソフィーはまだ、自分の手元にやって来た花束を見て目をぱちぱちさせている。
「マーガレットはお気に召さなかった?」
ありがとうって言ってくれないことが気になって、ついつい嫌味ったらしい声が口から出てしまった。くそっ。余裕はどこに言ったんだ、僕の余裕は。相手は十近くも年下の高校生なんだぞ?
「ううん、すごく可愛い。あたし……あたし、男の人にお花もらったの初めてで」
―――先生ありがとう。
「……あぁ、うん」
もっと立派な花束にしてあげれば良かった。
今度もしあげる時があったらそうしよう。でも、言い訳じゃないけど、小さくて可愛い花束の方がソフィーには似合ってる。でも今度はもっと立派なのを。
「そうだろうね。あいつは花束なんて買ってくるような柄じゃないしね」
「あいつ? ……あぁ、ジャン・バティのこと? そうね、ジャンは花屋になんて行ったことないんじゃないかしら。そうじゃなくても、クラスの男子だって花屋になんて行かないと思うわ」
ソフィーは真面目な顔でそんなことを言う。僕のちょっとした嫌味なんて全然通じてない。それがソフィーらしいくて、何だか毒気を抜かれてしまう。
「ジャンが花を選んでるところなんて、あたし想像できないもの」
くすくすとソフィーは笑う。ちょっと鼻声だ。明日にはいつも通り元気になってるといいんだけど。
「それはいいけどさ、ソフィー。あんたも少しは気をつけなよ。簡単に余所の男を家に泊めるとかさ。親は何にも言わないわけ?」
ジャン・バティの名前が出たら、どうしたってそのことを思い出さずにはいられなくて、思い出したとたんにむしゃくしゃとしてくる。
「母さんも、あたしが一人で留守番してるよりも、ジャン・バティがいた方が安心だって言ってたもの」
「……母親も公認なわけ?」
さっぱり理解できない。
男子高校生なんて一番危ない年頃じゃないか。しかもあいつは絶対ソフィーのことを意識してる。そんなの見てればソフィーの母親だってわかることなのに。
それとも何だ、それを超えるぐらい信頼されてるってことなのか? そこら辺の事情に僕が首をつっこむわけにはいかないから、親が了承済みならもう黙るしかない。
「ほら……最近まで、よく倒れてたから。それが心配みたい、母さんも」
僕の不満そうな表情を見て、ソフィーはそう付け足してきた。それなら、まぁわからないわけではないけど。
「だけど気をつけなよ、ホントに。あの年頃の男なんて何してくるかわからないんだからさ。ちょっとでも妙なことされそうになったら本気で怒るんだよ。ちょっとでも甘い態度を取ると調子に乗るからね」
「怒ってるのは、ジャン・バティの方だと思うけど」
ぽつり、とソフィーがもらす。
「へ? あいつが怒ってるって? 僕に?」
「ううん、あたしに。家に来ると、よく怒るのよ。どうでもいいことを気にするんだもの」
よっぽど辟易しているのか、ソフィーは疲れたように肩をすくめる。
ちょっと意外だ。そんな神経質なタイプには見えないけど。体育会系っぽいし、些細なことなんて全く気にしなさそうに見える。
「へぇ。例えばどんな? 朝ごはんにパンは嫌だとか?」
弱味でも握れるかなと思ったら、ちょっとわくわくした声音になった。だって腕力では勝てそうにないんだから仕方ない。
「あぁ、それも言うわね。パンだと食べた気がしないんですって。でもそうじゃなくて、リビングに洗濯物を干すなとかって怒るのよ」
「……部屋が洗濯物臭くなるから?」
「目につく所に下着を干すなって怒るの」
―――ちょっと待ってくれ。
「なに、ちょっと。待ってよ。あんたリビングに自分の下着干してるの? ジャン・バティがいる時に? それありえないだろ!?」
「あたしのだけじゃないわよ。家族全部の」
「もっとありえない!」
思わず立ち上がって叫んでいた。
お母さん……は、熟女は専門外だから別にどうでもいいんだけど、妹がいるって話してたじゃないか、たしか年子の。それも全部見られてるってことだろ? ソフィーの下着も? どんなの着てるんだろうとかあぁそんなことはどうでもいいとして。うん、どうでもいいんだそんなの。
「見られていいわけ!? 男に自分の下着見られてもいいの!?」
「先生に見られたら嫌よ、そりゃ。だけどジャン・バティは家族みたいなものだし。それに、雨が降った時なんかは、他に干す場所が無いんだもの。和室だと畳がかびちゃいそうで嫌だし……リビングは温かいから早く乾くでしょう?」
そんな、当然でしょう? みたいな顔で言われても。
つまりソフィーにとって、自分の下着が見られることよりも、早く洗濯物が乾く方が大事なのか。何て主婦魂なんだそれは。とても年頃の女の子とは思えない。思えなさ過ぎる。
「ジャンが来るのだって、いつもいきなりだし。そんな、突然来られても洗濯物はもう干してあるんだから仕方ないじゃない」
「それ、あんたの妹さんは何にも言わないわけ? 嫌がるだろ、普通!」
「気にしてないんじゃないかしら。何にも言わないし。気にしてるのはジャン・バティだけなのよ」
そりゃ、多感な男子高校生だったら気にするだろうさ。
女の子ってどうしてこう強いんだろう。呆れながら僕はソファに座り込む。ソフィーは絶対そんなことは嫌がりそうなぐらい初心に見えるのに。よくわからない。
落ち着け、と自分に言い聞かせてお茶をすする。大体にして男は、『女性』って生き物に夢を見すぎなんだ。別に僕はソフィーに夢を見てたわけじゃなくて、ただ想像とのギャップに驚いてるだけだけど。
僕にも姉がいるから何となくわかるけど、そうだよね、気にするのって案外男の方なんだ。女性人は別に気にもしないもので。っていうか、じゃあジャン・バティはソフィーがどんな下着をつけてるのか知ってるわけか……。あれ、何だろうこの殺意。
「あ、それにね、先生。おかしいのよ、ジャン・バティって」
くすくすと思い出し笑いをもらしながらソフィーは言う。何だろう、何か嫌な予感がする。
「あのね、この前もお風呂覗かれて」
「風呂覗かれた!?」
お茶をぶちまけそうになった。
だって、風呂を覗かれたって覗かれたって覗かれたって。だから高校男子なんて信用すべきじゃないんだ! 見たがるに決まってるんだから。あいつはつまり下着どころかそれをつけてないソフィーさえ見たってことになるのか? 今度殺ろう。殺るべきだ。
「あ、違うの。覗かれたのはあたしじゃなくてジャン・バティなの」
「あぁほらだから家に泊めるなんて間違ってるんだって……え」
「ジャン・バティがお風呂に入ってるって知らなくて。電気がついてたけど、消し忘れたのかと思ったの。だからドアを開けたらジャン・バティがいてびっくりしちゃったわ」
「…………へぇ」
自分の勘違いを恥ずかしいと思うよりも、その時の状況が目に見えるようで、かすれた返事しか出なかった。
つまり全部見られたのはあいつの方ってことか……それも。好きな女の子に。不意打ちでいきなり裸見られるってどんな気持ちなんだろう。僕は味わったことがないからわからないけど。何かちょっと同情する。
「ジャンったら、すごい悲鳴上げるんだもの。あたしのこと殺人鬼だとでも思ってるのかしらってぐらいに。別にあたしは気にしないんだから、ジャン・バティだって気にしなきゃいいのに。ね、おかしいでしょ?」
「……うん、そうだね」
ソフィーが気にしないからこそ、あいつが気にするんだと思うんだけどなぁ。
本当に信じられないぐらい鈍感だ。見ていて微笑ましくはあるけど。最近の女子高生って概念も、ソフィーを見ていると崩れてくようだ。
「あぁそうだ、ソフィー。あのさ、お昼のことなんだけど……」
肝心な話を少ししてから、帰ることにした。見舞いで疲れさせてもいけないし。
明日は学校にも行けそうだと言っていたから、「じゃあ明日ね」と言ってわかれた。
最後まで聞けなかったことは一つだけ。
何でメールの一つもくれなかったの? なんて。
―――情けなさ過ぎて、そんなことは言えなかった。
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