ブラッディ・マリーはいかが?


...14話
家を出る時もバスに乗ってからも学校についてからも白衣に腕を通してからも、僕の頭の中を占めていたのは、ソフィーは今日学校に来ているのかなんてことだけだった。
昨日のあの元気な様子を思い出せば、今日は多分学校に来ているんだろう、と思う。だけど一時的に熱が下がってただけかもしれないし……あぁ、それこそ昨日は思いの他長居をしてしまったから、その所為で熱がぶり返したなんてことになってなければいいんだけど。
「……学校に来てるのかな来てないのかな」
案の定今日も、今はまだ曇りだけど、昼頃には雨が降ってくるって天気予報で言っていた。天気が悪い日は屋上じゃなくて保健室で『食事』をしようってことになって、だから今日もソフィーが学校に来ていれば、昼休みにここに来てくれることになっているんだけど。
そのソフィーが登校しているのかそうでないのかがわからなくて、妙にそわそわする。
教室まで行ってちょっと覗いてこようかな、とも思ったけど、何回も教室に行って目立つのもあれだし(まぁもう十分目立ってるかもだけど)、ソフィーに見つからなければいいけど、見つかったら何て言い訳すればいいんだろう。いや、その際は素直に言うしかないんだけど―――何でそこまで気にするんだって話だ。自分でもそう思うぐらいなんだから。
いやでも、元気になったのかどうか気にするのは普通のことだと思う。友達だったら絶対に気になるはずだし……問題は、僕とソフィーは別に友達なんかじゃないってことだけど。でもそれだって、保健医が生徒の体調を気にするのは普通のことで……。
……普通のこと、だよね、うん。
何だか引っかかりを覚えつつも、とにかく気になって気になって仕事なんて手につかない。椅子を左右に回転させながら、ぼんやり窓の外を眺めていた。チャイムが鳴って、体育の授業をやりに校庭に生徒達がぞろぞろと出てくる。こんな曇りの日じゃ、半そでに短パンなんて格好は寒いだろうになぁ。でもまあ、これから運動するんだからそれぐらい薄着の方がちょうどいいのか。
女の子達がおしゃべりをしながら歩いてる様子は、眺めていて素直に可愛いなぁと思える。顔立ちがとかそんなんじゃなくて、そうして固まって他愛もない話をしている様子がただ可愛い。恋愛対象になんてならないけど、見ていて微笑ましくなる。惜しいのはブルマが廃止になったことだけ。今でもブルマだったらなぁ……そうしたら体育教師になったって良かったのに。
体育の授業は二クラス合同だから、出てくる生徒の数も多い。
それでもその中で、一際目立つ赤毛を見逃しはしなかった。
「―――学校来てたんだ」
ほっとするのと同時に、病み上がりで体育なんてやって大丈夫なのかと不安になる。昨日帰る前に食事もさせたから、そっちは大丈夫だとは思うけど……。せめてジャージぐらい羽織ればいいのに。これでまた体調崩したらどうするんだ?
椅子に座ったままイライラとして、そんな自分に少し呆れる。
校庭に向かって歩いて行くソフィーは、僕のことなんか気づきもしない。振り返って保健室を見ることもしないのに、僕はしっかりソフィーに気づいてこんな風に苛立ってるだなんて。何だかバカみたいじゃないか。
背筋が真っ直ぐだなとか、やっぱりいつだって三つ編みなんだなとか、ハーフパンツから覗く足が細いなぁとか、そんなどうでもいいようなことばっかり考えていた。
だけど、そんな真っ直ぐな後姿にどうしてか違和感を覚える。
何でだろう。他の子と同じように体育着で……そりゃ、あの三つ編みはちょっと真面目すぎるけど。でもそんなのいつものことだし、他の女の子達だって三つ編みではないけど髪を結んでて……。
「……って、何で一人なんだろ、あの子」
どこに行くんだって、トイレに行くんだって購買に行くんだって集団で歩く高校生の女の子達の群れの中で。
ソフィーだけ一人だった。あぁ、だから簡単に見つけられたんだ。群れていなかったから、少し離れた所を一人ぽつんと歩いているから、だから。
何で一人なんだろう。そういえば、この前の女の子達の態度。てっきりソフィーと仲がいいかと思ったら、何だか引っかかる態度だった。あの時はそんなに気にしていなかったけど。
一度気になると、どうしたって頭から離れてはくれなくて。
体育教師が出てきて、生徒達を整列させて集めるまで、やっぱり一人でぽつんとしているソフィーの姿から、僕は目を離すことができなかった。
だってどうしてか目立っていたんだ。一人きりなのに背筋をぴんと伸ばしたその後姿は。不思議なほどに。



どうしてなんだろうなぁ。
「先生、今日のはいつもとちょっと違うんですよ。わかりますか?」
「うん?」
卵焼きを口に入れた僕に、ソフィーはそんな謎かけをしてくる。
にこにこと僕の答えを待って笑うソフィーに、これは答えを外したら怒るだろうなぁ、なんてちらりと思いながら必死に考える。だけど僕は料理のことなんて全然わからないんだ。美味しいか不味いかだってたまにわからないぐらいなんだから。
「えーっと……鳥骨鶏の卵を使ってる、とか?」
「もう、先生」
「あ、うそうそ。じゃあねぇえーっと……あ、いつもよりもちょっと水っぽい、かな、とか……」
言ってから、あれこれっていつもより不味いって言ってるみたいかなと気づいて少し焦った。そんなつもりは全くなかったんだけど。
「そうなの!」
だけどソフィーは嬉しそうにぱっと笑う。
「今日のは、卵焼きじゃなくて出し巻き卵なんですよ」
「へー。そうなんだ」
って言われても、その違いがよくわからないんだけど。出し巻きってあれかな、お節に入ってるやつ? あれ違ったかな?
一人暮らしを始めてからというもの、正月だってまともにお節なんて食べないもんだから、そもそもお節に何が入ってたかもよく思い出せない。カマボコと黒豆と……あと何だったかなぁ。最後にまともなお節を食べたのだって、もう何年前のことなんだか。
「先生卵焼きが好きだから、出し巻きも好きじゃないかなと思って作ってみたんです」
「あぁうん、美味しいよ。しっとりしてて。こっちも好きだなぁ」
なんて、違いもよくわからない男に言われても嬉しいのかなぁと思ったけど、ソフィーは満足そうに笑って自分も出し巻きをつまんでいる。やっぱり女の子だなぁ。相手が喜ぶから、とか。こんな些細な違いなんて、男は言われなきゃ気づかないし言われたって気づかないし、別にそんな気にもしないんだけど。まぁ、それを口に出さないぐらいの分別はあるつもりだけど。
ソフィーが作ってきたお弁当を二人で食べながら、これは何でそっちは何で、なんて説明を毎日聞いている。正直あんまり頭には入ってないんだけど、ソフィーがずいぶんな料理好きだってことはわかった。お弁当は毎日カラフルで、あー女の子ってやっぱり可愛いなぁなんて、ハートのついたピンでとめられているアスパラのベーコン巻きを口に運びながら思う。
ソフィーと話すのは毎日他愛もないことばっかりで、それこそお弁当の話から、そういやあの先生がこんなこと言ってたよとか、昨日のあの番組がとかそんなことばっかりで。たまにジャン・バティの話なんかも交じるけど今日は聞かない。
そんな、多分他の女の子と変わりもない話ばっかりしている。
だからなぁ。どうしたってわからない。どうして今日、ソフィーは一人だったんだろう。
そんなの大したことないって、他の大人なら言うのかもしれないけど。でも学校っていう場で、保健医としてでも、身近で女子高生っていう存在を見ている者として言わせてもらえば、一人きりでぽつんとしてる女の子ってのはそれほど珍しいものなんだ。女の子ってのは、そもそも群れたがる生き物でもあるし。多分、学校なんて場所ではそうしていた方が安心だし、それが当たり前なんだってだれもが思ってるものだろうから。
学校で、一人でいるっていうのは、けっこうきついものなんだと思うけどな。
もしかしていじめられてるのだろうか、とも思ったけど、ソフィーからはそんな感じが全くしない。
一応保健医なんてやってると、そんな相談……と言うよりも、愚痴かな。そんなことをもらしにくる生徒もいる。
いじめなんて本格的なものではないけど、ちょっと友達と上手くいかないとか、こんなことがあって苛立ってるとか、多分僕があまり教師らしくないから言いやすいんだろうけど、たまに話をしにくる生徒達に感じるものをソフィーには全く感じない。
いじめられてるとか、避けられてるとか、友達と上手くいかないとか。そんな悩みがあるのなら、それらしい雰囲気があってもいいはずなんだけど。
そんなに隠し事が上手い子には見えない。だから僕は、ソフィーのことが気になって、そうして今はこんな風に一緒に弁当をつまむようになったわけなんだし。
「……あの、さ」
弁当箱が空っぽになる頃を見計らって話を切り出す。あんまり楽しい話題ではないと思ったから、食べ終わるまで待つことにしたんだ。
「余計なお世話かもしれないんだけどさ」
「……はい?」
少し警戒したようなソフィーの表情。ほら、こんなに素直に表情に出る子なんだから。隠し事なんてそう上手くできるはずがないんだ。
「いや、そう大したことじゃないんだけどさ。今日あんた、体育の授業があっただろ? それでさ、僕が見た時あんた一人でいたからさ。何か、友達と上手く行ってないのかなーとか。だったらちょっとほら、相談とかのれるんじゃないのかなとか……」
ほら、一応僕保健医だから。そういう生徒の相談にも乗るのが仕事だからさ。
なるべく重たく聞こえないように、さらっと言ったつもりだった。笑顔を浮かべていたし。笑顔が無くなったのはソフィーだけ。
「高校生にもなるとさ、みんな色々個性とか価値観とか違ってくるし、喧嘩とかすれ違いとかよくあることだと思うんだよね。あぁ、それは僕がもう大人だから、『よくあること』なんて言えるんだけど、やっぱり僕も高校の頃は色々あったし……だから何ていうのかな、話だけでももし良かったら聞けるんじゃないのかな、とか……」
これでも僕は色々と言葉を選んで、なるべくソフィーを傷つけないようにと思って言ったつもりだった。
だからソフィーの返事には驚いた。
「先生には関係ありませんから」
その言葉に、僕が少しも傷つかないとでも思っているのだろうか。
だって、関係ないって。
……あぁそうなんだ。僕には関係のないことなんだ。だって僕とオーガスタスが交わした約束の中には、ソフィーの交友関係にまで面倒見ろなんて項目は入っていないはずだから。そんなことはわかってるんだ。あぁでも。
「関係は……そりゃ、無いけど。でもさ、何かあったんなら……喧嘩とかしたのならさ、やっぱり仲直りした方が」
「何もありません。喧嘩もしてません。あれでいいんです」
「あれって何? 一人きりでいる方がいいってこと?」
信じられない思いで聞いた僕に、ソフィーは頷きも首を横に振ることもしなかった。
一気に保健室の中の居心地は悪くなった。おかしいな。さっきは卵焼きか出し巻きかなんてどうでもいい話をしていたはずなのに。
やっぱり踏み込みすぎたのがまずかったのか。でも、気になることは気になるんだから仕方ない。気になる思いを隠したままソフィーと付き合うよりも、正直に尋ねてしまう方が僕の性には合ってるんだから。
「よくわかんないけど、それって駄目だよ。学校ってさ、勉強するところだけど、それだけじゃないだろ? 友達を作ることの方が大事だなって僕は思うよ。僕だって、高校の時の友達と今だってたまに会って酒飲んだりとかするしさ」
「先生がそう思うのなら、先生はそういう付き合いをすればいいと思います。でも、あたしは違いますから」
「いや、僕はって……だから、一般論の話をしてるわけで」
「そうしなきゃならないルールなんて無いでしょう?」
「……いや、そうだけど」
さっぱりわけがわからない。
ソフィーって女の子のことを、少しはわかってるつもりだったけど、それは僕の錯覚だったのだろうか。
女の子らしくて今時珍しいぐらい真面目で料理好きで鈍感で。そんな、でもどこにでもいるような普通の女の子だと思っていたのに。女の子って、友達とおしゃべりしたり買い物したりするのが大好きな生き物なんじゃなかったのか?
でもそういえば、ソフィーは友達と買い物なんかにも行ってないようだったなと思い出して、ますます後に引けなくなる。
もしかしてずっと友達がいないとか? でも、ソフィーが倒れた時に心配してた女の子達は確かに友達って感じだったし……。よくわからない。
「ルールはないけど、でも皆が何でそうしてるかわかる? 決められてるからやってるわけじゃない。そうした方が自分のためだからだよ」
学校っていう狭い檻の中で、一人になるのが嫌で友達といつでも一緒にいるのは確かにくだらないことだろう。
でもそうしたきっかけで仲良くなった友達と、もしかしたらこの先何十年と付き合っていくかもしれないんだから。
くだらない、なんて一笑してやらないでいるよりも、くだらないかもしれないけどやってみて、そうしてから決めた方が物事はずっと楽しくなるって、ガキの頃はわからなかったそんなことだけど。
「友達は作った方がいいよ。ほら、あの子達……名前忘れちゃったけど。あんたと仲良さそうな子達がいたじゃないか。今から仲直りすればいいじゃないか」
「嫌です」
短いけれど、これ以上無いほどはっきりした返事。
嫌って……。
「何でさ。何かあったの? 嫌なこと言われたりした?」
「何もありませんし言われてもいません。先生には関係ないんですから黙ってて下さい」
ソフィーが腕を伸ばして、空っぽになっていたお弁当箱を片付け始めた。もうそろそろ昼休みが終わるからというよりは、今のこの僕との会話を終わらせるためのようだった。
「関係は無いけど気になるんだよ。そういうのって駄目? 関係ないから口出しするななんて言ったらどうにもならないじゃないか。そんなこと言ったら、今の世の中だれも口出しなんてできなくなっちゃうよ」
わざとらしく肩をすくめて見せた僕を、ソフィーは何かをこらえるような顔で睨み付けて来た。睨んでるのに、どこか泣きそうな顔だった。だから、何でそんな顔をするんだ。
「その方がいいです。先生みたく、人のことに首ばっかりつっこんでるような人が増えるより、そっちの方がよっぽどいいです」
「え、何でそこで僕が出てくるのさ。僕別にそんな首つっこんでは……」
「突っ込んでます、十分!」
言い切られて、言葉が無くなる。
いや、そりゃあ。
突っ込んでないとは言えないけど。今まで考えないようにしてたことがふいに頭に浮かんでくる。やっぱりソフィーは、僕が現れたことを今でも嫌だと思ってたりするのかな……。『食事』に抵抗があるんじゃなくて、『僕』が嫌なんだったりして……でも、また遊びに行く約束だってしたんだ。昨日だって、見舞いの花を喜んでくれてたじゃないか。迷惑がられてるなんてことは……そんな、ことは。
あぁ駄目だ。そんな余計なことは考えるべきじゃない。今ここで僕が落ち込んだってどうにもならない。
「わかった。僕のことはまた後で話そうよ。そうじゃなくて、今は友達は大事にした方がいいってことを言いたくて」
「大事に、なんて……」
したいから、と、ソフィーの唇が動いた気がした。声にならない声だった。
椅子から立ち上がって、駆け出そうとする。逃げ出そうと。慌てて手首を掴んだ。逃げられたくなかった。大事な話をしているからというわけではなくて、僕の目の前から、ソフィーに逃げられたくなかった。僕から。
「あたしなんかに近づかない方がいいのよ……ッ!」
「ソフィー!」
すごい力で振り払われる。僕の呼び声も虚しく、あっという間に逃げられてしまった。
残されたのは弁当箱。置いて行っちゃって、明日の昼はどうするつもりなんだろう。いや、持って帰ったとしたって、僕の分なんて作ってきてくれないかもしれないけど。
「……近づかない方がいいって、さぁ」
半分泣いてたかもしれない。
あんな顔じゃ、午後の授業なんて出られないだろうに。追いかけるべきだったのか。でも、追いかけたところで何て言えば?
「あー。血ぃ飲ませるの忘れたし……」
何だかなぁ。
もうどこを探したって、仕事をする気力なんて残ってはいなかった。
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