ブラッディ・マリーはいかが?


...6話
普通の人よりかはいくらか非日常なことに慣れてる僕でも、それでも昨日のことは夢だったんじゃないのかななんて思えてくる。
慣れた消毒薬の匂いに包まれながら、あんまり座り心地がいいとは思えない椅子に腰掛けて、僕はぼんやりと部屋の中を見回す。
いつもと変わらない光景。耳に響くチャイムの後には、退屈な授業から開放された生徒達の声が響いてくる。あぁいいね。これぞ青春の舞台だ。僕はもうそんなの忘れて久しいってのに、学校にいるとほんの少しそんな時代を思い出す。チャイムの音を聞くとこっちまでわくわくしてくるじゃないか。
「ねぇねぇ、先生、先生!」
部屋に入る際にはノックするなんてこと、どうやらこの子達の頭には無いらしい。
まぁ、僕も先生らしく注意なんてしないから悪いのかもしれないけど。でも、先生らしくするなんてまっぴらごめんなんだから仕方ない。
「君たち、休み時間の度に僕のとこに来るけど、たまには自分の教室でクラスメイトと友情でも育んだらどうだい?」
「授業中にいっぱいしゃべってるからいーの。ね、それよりも先生、昨日ハッターさんとどこ行ったの!? 二人きりでどこ行ったの!?」
「ご両親に話があってね。彼女の体調のことで。よく倒れてるようだから、その相談をしに行ったんだよ」
僕はしれっとした顔でそう言った。つまりはそういうことになってるんだ。
仕事中に学校を抜け出した僕だけど、そこはそれ、同僚が上手く話をまとめておいてくれた。持つべきものはいい友人だ。その代わり今度デートすることになったけど、それで教頭からの説教を聞かずに済むのならお安い御用だ。
「えー、わざわざ? そんなので家まで行かなくてもいいじゃん。先生だって忙しいのにさ」
女の子の一人が不満そうに呟く。僕が一人の生徒に構うのが不満でならないって顔。女の子のわかりやすい嫉妬は嫌いじゃない。そもそも、もてることを嫌がる男なんていないだろう。この子達だって本気で僕のことが好きなわけじゃない。ただ、学校にいるカッコいい先生に、ちょっと憧れを持ってるだけ。
そのぐらいの方がちょうどいいんだ。本気の恋愛は疲れるから。
「僕は優しい先生だからね。生徒のことが心配で心配でたまらないんだよ」
「うっそだぁ。先生この間、ボビーが転んで怪我した時なんて、舐めときゃ治るとか言ってたじゃない」
「そりゃ男にはね。でも女の子が怪我した時には優しいだろ?」
ねぇ? と微笑みながら言えば、女の子達は顔を見合わせてくすくすと笑う。
「じゃあ先生、昨日ハッターさんのお母さんと会ってきたの?」
「いや、お父さんだったよ」
正確にはそうじゃないみたいだけど。
「えー、お父さんと? 何かそれ気まずくない?」
「いや別に? 気さくな人だったしね。白いスーツとグラサンが、そりゃもうよく似合う人だったよ」
「もー、先生ってば嘘ばっかり」
やだもう、と呆れたように笑う声を聞きながら、僕は軽く肩をすくめる。本当だなんて何度言ったところで信じてもらえないんだろうな。いつの世も正直者はバカを見るんだから。
休み時間の度にやって来る女の子達は、とりあえず僕の周りに集まって、きゃあきゃあと意味のないおしゃべりをしているだけで満足らしい。僕は適度に相槌を打って、適度に聞き流す。その内話はそれて、女の子同士のおしゃべりなんて始めるぐらいなら、わざわざここに来なくてもいいような気もするんだけど。女の子のやることにそう大した意味なんて無いんだろう、きっと。
「あ、ねぇねぇ先生! あたしね、今日自分でお弁当作ってきたんだけど! えらくない?」
「へぇ、どういう風の吹き回し? この調子じゃ午後に抜き打ちの小テストでもあるんじゃないのかな」
「ひっどーい。先生に一口あげようと思ったのにー。この前卵焼き食べたいって言ってたから!」
もしかして僕のために作ってきたとか?
人が聞けば自意識過剰とでも言われそうだけど、多分それは間違ってない。昔から勘はいい方だし、そうじゃなくてもこんなの本人を目の前にしていればわかるってもんだ。
だけどちょっとまずいな、と思う。女の子達と仲良くするのは好きだけど、特定の子と仲良くするつもりはない。一応は教師だからと言うよりも、ただ面倒だから。
それに、お弁当。何か引っかかる。
……あぁ、そうだ。あの子はどうするんだろう。
「ごめん、ちょっと仕事思い出した」
眼鏡を外して立ち上がる。
休み時間はあと五分。でも、教師の呼び出しなんだから、少し授業に遅れたって大丈夫なはず。
「行かなきゃいけないとこがあるから、ほらほら、君たちも教室に戻りなさいって」
聞き分けが悪いように見える女の子達でも、そこは一応高校生。はーいと軽い返事をして、ぱたぱたと小走りに保健室から出て行った。その前に、また後でねなんて言われたような気もしたけど、僕は返事をしなかった。
机の中の資料を取り出して、クラスを確認してから僕も部屋を出る。
保険医ってのは、どうしていつも白衣を着てなきゃいけないんだろう。生徒達の軽い怪我の手当てをすることだってあるけど、消毒液を塗ったり絆創膏を貼ったりするのに、白衣が必要な理由もとくに無いと思う。階段を上りながら、ひらひらと揺れる白衣の裾を感じて、僕はそんなことを考えていた。
三階にある三年生の教室。保険医がこんなとこまでやって来るのはそうあることじゃないから、僕が教室のドアを開けた時には、少し教室が静かになった。本当に、ほんの少しだけど。
「えーっと……」
お目当ての赤毛はすぐに見つかった。
窓際の席。教室内の喧騒なんて知らないとでも言うかのように、静かに本を開いている。
僕が学生の頃にも、必ずクラスに一人はいたけどね。地味で目立たない女の子。きっといつの時代にもいるんだろう。でもその女の子が赤毛で、それも吸血鬼となれば話は別だ。
吸血鬼。
その言葉を思い浮かべる度に、どうしたって違和感を覚えてしまう。
だって、あの、三つあみの女の子がよりによってそれだなんて。吸血鬼なら吸血鬼らしく、黒いマントでもつけててくれればいいのに―――あぁ、黒フードの姿なら見たけどね。
「先生、どうしたんですか?」
「うん?」
近くにいた女の子が声をかけてくる。その声が聞こえたのか、ソフィーが顔を上げた。一瞬、僕らの視線が激しくぶつかり合う。どうしてそう思ったのかはわからない。ただ、僕にはそう思えた。
僕が微笑むのと、ソフィーが本を閉じたのは同時だった。人差し指でくいくいっと合図をすると、ソフィーは小さく頷いた。本をカバンの中にしまって、僕がいるのとは反対の後ろの扉から出てきた。
「ちょっと借りるよ。少し授業に遅れるかもしれないけど、そうしたら先生に言っておいて」
「はい」
女の子は不思議そうな顔をして頷く。でも、余計なことは聞かずにすぐに友達の輪の中に戻って行った。
「ちょっといいかな。ここだとあれだから、保健室で」
「……はい」
隣を歩きながら、ソフィーは小さく頷く。その、おしとやかに見えなくもない態度に、僕はあれっと不思議に思う。
昨日の様子じゃ、もっとお転婆な子だとばかり思ってたんだけどな。
でもそういえば、僕はソフィーがどんな女の子なのかもよく知らない。まともな、普通の女の子と交わすような会話を、ソフィーとした記憶すらない。実際してないのだろう。それじゃ相手の性格なんてわかるはずもない。
「さぁ、どうぞ」
女の子を保健室にエスコートするっていうのも、何だか変な感じだな。
「そこに座ってて。お茶飲む? お菓子もあるけど」
女性人と仲がいいと、自然とそういうのは集まってくるから重宝してる。甘い物は好きな方だからとくに。
「あ、そういやこの前、トルーマン先生にもらったクッキーがけっこう美味しくて……」
「先生、あたしお茶もクッキーもいいですから」
はっきりとした声が部屋の中に響く。コップを手にしていた僕は振り返って、その場に立ったままのソフィーとばちりと目が合った。
「話って何ですか」
「……僕らの間で出る話っていえば、あんただってわかってるだろ?」
僕が女の子にお菓子をふるまおうとしたことなんて、これが初めてだっていうのに。そのありがたさなんてちっともわかっちゃいないんだから。
そう思うと何となく気分が悪くて、自分にだけコーヒーを入れて僕は椅子に座った。座りなよ、とソファを顎でさせば、ソフィーは静かに腰を下ろした。
「昨日、一応話は決めたけどさ。でもあんたと細かいことは話してなかったなと思って。いつ……」
食事をさせればいいのか。
なんて、口にしていいものなのか。
吸血鬼に対する礼儀なのか、女の子に対するそれなのか、自分でもよくわからない。とにかく逡巡する僕に、ソフィーは決して明るくはない顔をした。
「……本当にやる気だなんて、思わなかったわ」
「だってあんた、ちゃんとオーガスタスとも約束したじゃないか」
もっとも僕は、人と交わした約束なんて、そう重要だとは思わない性格だけど。
それでも何だろう。不思議と、あの約束を破るつもりはなかった。オーガスタスが、もし僕を脅すような真似でもすれば、そうしたのかもしれない。でもそんなことはしなかった。だから僕も破らない。矛盾してるようだけどしてないんだ、これは。
「でも、守らなくてもいいのよ。先生が約束を破ったって、オーガスタスは何もしないわ。するだけ無駄だもの。そうしたら他の相手を見つけるまでよ」
「で、その間あんたはまたばたばたと倒れまくるっていうのかい? 僕にそれを黙って見てろって? そっちの方が嫌がらせみたいじゃないか」
別に責めるつもりなんてこれっぽっちもなかったけど、僕の台詞にソフィーは痛そうに顔を歪める。
嫌がらせって言葉はまずかったのかもしれない。そんなことを言いたいわけじゃないのに……あぁだから、つまり、ソフィーの思い切りが悪いのがいけないんだ。この話はもうまとまったとばかり思ってたのに。同じことを穿り返さないで欲しい。
「だからね、この話はもう決まりなんだからいいじゃないか。あんたには僕が必要だし、僕はあんたを見捨てる気はさらさらないんだ。それでいいだろ?」
「―――先生がそう言うのなら」
僕の強気な口調に、不承不承といった感じでソフィーは頷く。
気が強いのかおしとやかなのか頑固なのか、本当にちっともわからないお嬢さんだ。
「で、それなんだけどさ」
いつやればいいのかなんて、ソフィーに聞いても多分答えは返ってこないだろうことはわかっていたから、僕は少し考えてから口を開いた。
「昼休みはどうかな。お昼食べ終わってからでもいいんだけど……そうだな、人目につかないとこだと……屋上とかで」
「だって、あそこ、立ち入り禁止でしょう?」
「生徒だけの場合はね。教師は入っても問題ないんだ」
とりあえず、そういうことにしておこう。屋上に来る教師なんていないだろうし。見つかったって、悩み事の相談でもされてたことにすればいいんだ。
「どうかな」
どうして血を提供する側の僕が仕切ってるんだろう。それは疑問だったけど、僕から言わなきゃソフィーは自分からは言い出さないんだろうから仕方ない。
ソフィーは悩んだような顔をしていたけど、チャイムが鳴ったのに気づくと、慌てたように頷いた。
「わかったわ……昼休みになったらすぐに行く」
「終わってからお弁当? じゃあ僕も先に行ってるから。うるさい先生には見つからないようにね」
「先生はもうちょっと、うるさくなった方がいいんじゃないの?」
呆れたようにソフィーは笑うと、駆け足で保健室から出て行った。何て真面目な子なんだか。他の子から、喜んで授業をサボるに決まってるのに。
今時の女子高生らしくない。でも制服はよく似合っていて、やっぱり高校生なんだななんて当たり前のことを考える。
とりあえず、昼休み。
あと一つ授業が終われば、その時間はもうすぐそこだった。



入り口からは見えないとこに腰を下ろして、壁に寄りかかった。
「うわー、いい天気だなー」
こうしてると、高校の頃を思い出す。もう十年の前のこと。昔もよく、授業をサボって屋上でこうしてたななんて。
ついその頃を思い出してポケットに手を突っ込んだけど、当然そこには何も入ってない。どうしてか学校の屋上で吸うタバコは美味しい気がしたんだ、あの頃は。別に好きでも何でも無かったのに変な話だけど。
チャイムが鳴ってから、もう少しになる。
やっぱり教室までソフィーを迎えに行った方が良かったかなとも思ったけど、あんまりにもここの居心地が良くて、気持ちがいいもんだから、僕は立ち上がらずにぼんやりと空を眺め続けた。
「―――先生?」
「……んあ?」
「なに寝てるんですか」
気が付いたらソフィーが目の前にいた。ちょっと目を瞑っただけだったのに。年を取ると時間が経つのが早いってホントなんだな。
「あー、ごめんごめん。だって気持ちいいからさぁ。ついうとうとしちゃうよね」
「先生って、ほんとお気楽ね」
「そっちのが人生楽しいよ。しかめっ面して生きてても仕方ないだろ?」
ねぇ? と笑いかけながら僕はソフィーを見上げる。明るい空の下で見ると、いつも以上にソフィーの髪は赤く見える。でも不快な色じゃない。むしろキレイだなとすら思う。
よく見れば可愛い顔をしてる。意思の強そうな眉。もっとにっこり笑って、ついでにその赤毛を解けば男の子にももてそうなのに。宝の持ち腐れじゃないか。
「先生?」
小首を傾げる様子はちょっといいかもしれない。
「や、何でもないよ」
立ち上がろうとして、そうする必要もないかと思い直す。
「やっぱり、一番いいのって首筋?」
「……そこが一番生気が集まるって、オーガスタスは言うわ」
生気。
あまりの言葉に、ちょっと驚く。
僕らが食事をする時、そんなの気にしたことなんて一度もない。可愛い女の子の口から聞くと、どう反応していいのか一瞬困ってしまう。
あぁでも、僕が固まるとソフィーはやりにくいかもしれない。
「あ、えっと、そっか。うんうん、そうだよね。野生動物もさ、獲物をしとめる時には首筋を狙うもんね」
でも余計なことまで言い過ぎた。
ソフィーが俯いてしまって、僕は慌てる。あぁもう、この回りすぎる口は困ったもんだ全く!
「いやでもほら、女の子に首筋噛まれるってあれだよ、けっこう興奮するよ。しかも女子高生だよ? 世の男達からすればよだれ物だと思うんだよねこれ」
「……だれも羨んだりしないわよ」
低い低いソフィーの声。地雷を踏んでしまったかもしれない。あぁくそ。
これ以上何も言わない方がいいかもしれないと思って、僕は大人しく白衣を脱いだ。
シャツのボタンを二つばかり外して、首筋を出す。ソフィーには一体どう見えてるんだろう。美味しそうだなんて思われてるのだろうか。
「ソフィー」
おいでよ、と手を伸ばす。
「……ちょっと痛いかもしれないわ」
「注射ぐらい? だったら泣いちゃうかもしれないな」
おどけて言った僕にソフィーは笑う。口だけで。
ソフィーの手が僕の胸元にかかった。握るというには弱すぎて、触れると言うには必死さが伝わってくる。
近づく顔。つい釣られてキスしちゃいそうになるこの角度。してみたらソフィーは何て言うんだろう?
吐息がかかって、ぞくっとする。肌に触れたソフィーの唇は柔らかい。そんなことばっかり考えてる僕って、不謹慎なんだろうか。教師だからっていう以前に、ソフィーの『食事』の場で、そんなことを考えてしまう僕は。

そして。

体中が痺れた。

「……っ」
犬や猫に噛まれるようなものかと思っていたけど、そんなのじゃなかった。
ソフィーの歯の感触なんてものは感じない。ただ、噛まれたことだけはわかった。わかっているのに、痛みなどは感じない……ただびりびりと、首筋から電流が走る。噛まれたと言うよりは、感電したって感覚の方が近いんじゃないのだろうか。
本当に血を吸われているのかどうかもわからない。
もしかしてそんなのは全部嘘だったのか。頭がくらくらとする。貧血? いや違う。それにしては意識ははっきりしてる。ただ感電が―――あぁ、そんなものじゃないんだけど―――脳細胞の一つ一つにまで響いていく感じ。そして揺り動かされる。これ以上ないくらい頭ははっきりしてるのに、現実とそれ以外の境界線が曖昧になるんだ。
何も、かも。
ソフィーがいつ離れたのかもわからなかった。
「……先生?」
気遣わしげなソフィーの声。これは現実か? それとも夢? あぁくそ……何でこんなに頭がはっきりしないんだ! いや、してるんだ。してるのに何なんだこれは一体!
取り出したタオルでソフィーが口元を拭っている。そのタオルには確かに赤い物が付いている。僕は首筋に手を当てる。わずかな血が指についた。血。赤い物。あぁ、確かにソフィーは―――この可愛いお嬢さんは、僕の血を吸ったんだ。確かに、本当に!
「何なんだ……どうなったんだ、一体? 何でこんなに頭が……何で身体が痺れるんだ、こんなに! あんた僕に何かしたの? あぁいや、何もしてないよ。それはわかってるんだ、だけど何でこんな……痛いとか痛くないとかの問題じゃないじゃないか、全然!」
「先生、落ち着いて」
「落ち着いてるよ! だけど身体が痺れたんだ。あんた僕にスタンガンでも打ち込んだの? わけがわからないよこれ……あぁくそ、何だこれ!」
「先生……」
ソフィーがため息をつく。
「ジャン・バティには効かなかったけど……やっぱり、毒の効果かしら」
「毒って何!?」
思わずソフィーの肩を揺さぶっていた。だって毒って、毒って! そんな話僕は何も聞いてないぞ!
「何それ毒って! え、やっぱりこれなに、僕騙されたわけ!? あぁくそ、真面目に生きてるんだった! 知らない人の車には乗っちゃいけないってそういえば小さい頃ミーガンにうるさく言われたってのに!」
「ちょっと、落ち着いてよ先生。あんまり騒ぐと見つかっちゃうわ。……毒って言っても、大したことはないの。純血種は……あたし達の祖先は、その毒で人間を仲間に引き入れてたらしいけど」
「それで僕も仲間に……んごっ」
ソフィーの小さな手が僕の口を塞ぐ。落ち着いてよ、と睨み付けながら。
「純血種はって言ったでしょ。あたしにはそんな力は無いわ。あったら先生に噛み付いたりするもんですか。でも、その毒も少しは残ってるのかも……前にオーガスタスが言ってたんだけど。それは一時的なものだから大丈夫だって。もう少ししたら落ち着くわ」
それからしばらくの間、僕はソフィーに口を押さえられたままだった。
純血種はこれで人間を仲間にしていた。あぁ、吸血鬼に噛まれた人間は、吸血鬼になってしまうっていうあれか……伝承だとばっかり思っていたそれ。でも僕は今その子孫に噛まれた。でも吸血鬼にはならなかった、これは奇跡なのかそれとも?
ソフィーの言う通り、少しすると気分は落ち着いた。それもいきなり、すーっと。まるで時間制限でもついていたかのように。
……とんでもない時間だったような気がする。やったことないけど、麻薬ってこんな感じなんじゃないのかな。
「落ち着いた?」
「……うん、とんでもなくね」
僕は目の前に座ったソフィーを見つめた。
大きな瞳の女の子。僕が同じ高校生だったら、ちょっと気になって一度や二度ぐらい声をかけていたようなタイプ。
でも僕はもう高校生じゃない。十年も前にそんな時代は終わってしまった。だからもう僕はそんなことにはならない。僕がソフィーを好みのタイプだと思うようなことは無い。
「あんたって、本当に吸血鬼だったんだ」
しみじみと呟いた僕に、ソフィーは女子高生らしかぬため息をもらした。
「―――話の飲み込みが早くて助かってるわ」


この日を僕はずっと忘れることはなかった。忘れられるはずがなかったんだ。
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